アンコクミツバ
| 分類 | 多年生草本に由来するとされる民俗植物 |
|---|---|
| 別名 | 黒三つ葉、影三つ葉、裏沢芹 |
| 初出 | 1704年頃(『甲州山村薬草録』) |
| 主な分布 | の山間部、のち南西岸にも拡散 |
| 用途 | 食用、染料、隠語、雨乞い儀礼 |
| 象徴 | 不在の豊穣、夜間の再生 |
| 保護状況 | 民俗上は準絶滅危惧、実態は所在不明 |
| 関連機関 | 国立民俗植物研究所、甲信香草保存会 |
| 命名者 | とされるが異説あり |
アンコクミツバは、主にの湿地帯で採取されるとされる三裂状の香草であり、古くはとの両方として用いられた植物名である[1]。現在では、・・の境界にまたがる奇妙な存在として知られている[2]。
概要[編集]
アンコクミツバは、表向きには三枚葉の形をもつ山野草として扱われるが、実際にはの行商人たちが「見えない香り」を売るために広めた概念であったとする説が有力である。名称の「アンコク」はの反語ではなく、夜間に採取すると葉脈が黒く見えることに由来するとされる[3]。
この植物は、後期の薬種帳に散発的に現れ、期にはの調査官が「分類不能の食用草」として報告した。もっとも、同時期の標本が一枚も残っていないことから、後年になって編集された地方誌の影響が指摘されている。
名称と語源[編集]
「アンコク」の由来[編集]
「アンコク」は、北部の方言で湿った陰地を意味する「あんこく」に由来するとされる。ただしにの学生が提出した作文では、同語は「暗黒」とほぼ同義として扱われ、以後この字義が広まった。地方の古老の証言では、夕立のあとに採ると葉の裏が墨汁のように黒くなるためであり、採取者はそれを『夜の三つ葉』と呼んだという[4]。
「ミツバ」との関係[編集]
名称の後半は一般的なと同じであるが、葉数が常に三枚とは限らず、五枚に分裂した個体も「成熟型」として珍重された。なおの一部では、これを「四つ葉の逆転現象」と説明する民間伝承があり、学校教材にまで載ったことがある。
歴史[編集]
江戸期の薬草としての成立[編集]
最古級の記録はの『甲州山村薬草録』であり、そこでは「胃の熱を鎮め、夜の空腹をやわらげる」と記されている。写本を所蔵するでは、該当箇所の墨が異様に濃く、後世の補筆ではないかとみる研究者もいるが、逆に「黒変反応を利用した実測記録」とする説も根強い。
年間には、の山村でアンコクミツバを煎じた湯が流行し、湯治客が年間約1,800人増えたとされる。もっとも、その増加分の大半は近隣寺院の宿泊者を含むという。
明治の標本騒動[編集]
、の植物学教室に「黒葉三つ葉」と書かれた乾燥標本が持ち込まれたが、到着時には半分が酢の匂いを帯び、学内で保存薬品の漏出事故と誤認された。これを調査したは、標本のラベルが三人分の筆跡で上書きされていることを発見し、アンコクミツバは植物というより流通制度の産物ではないかと結論づけた[5]。
この報告は当時の学会誌ではほとんど黙殺されたが、地方新聞が『黒い三つ葉、帝大を驚かす』と煽ったため、の市場では一時的に「学術栽培」ブームが起きた。
昭和期の再発見[編集]
30年代、の生活番組が山菜特集の中でアンコクミツバを取り上げ、視聴者から「どこで買えるのか」という葉書が2,400通以上届いた。番組側は実物を示さず、代わりに古文書の挿絵を拡大して放送したため、かえって伝説性が高まった。
一方での山村では、番組放送直後から似た草を束ねて「アンコクミツバ」として売る露店が増え、1束48円から始まった価格が3週間で220円まで高騰したと記録されている。
形態と生態[編集]
文献上のアンコクミツバは、湿った沢沿いに生え、日没後に葉の色が深く変わるとされる。草丈は20〜35センチメートル、葉柄はやや赤みを帯び、根元に「三日月状の空洞」があることが特徴とされるが、この空洞を実際に観察した者は少ない[6]。
生態については、カエルの鳴き声が多い年ほど繁茂するという説があり、の降雨記録と照合する研究もあった。もっとも、照合結果は「相関あり」と「筆記体が似ている」の二つに分かれ、統計としてはかなり雑である。
利用[編集]
食用・薬用[編集]
食用としては、若葉を味噌で和えると苦味が消え、むしろ甘みが残るとされた。山間部では冠婚葬祭の際に「影和え」と呼ばれる料理に使われ、客人に出すと家の秘密を持ち帰らないという迷信があった。
薬用では、頭痛・腹冷え・「夜道の心細さ」に効くとされ、の一部診療所では1960年代まで民間薬として扱われた。なお、効能の三番目は医学的ではないが、服用者の半数が「安心した」と答えたため除外されなかった。
儀礼・隠語[編集]
の一部では、アンコクミツバを門口に吊るすと疫病が入らないと信じられていた。また関係者の隠語では、豊漁を意味する符丁として用いられ、港で「今夜は黒い三枚」と言えば出漁が延びる合図だったという。
社会的影響[編集]
アンコクミツバは、地方の山菜流通だけでなく、戦後の民俗学にも奇妙な影響を与えた。以後の採集誌にはしばしば「未確認の黒葉草」が現れ、研究者の間ではそれを実在種とみなす派と、語りのための装置とみなす派が対立した[7]。
また、にはが「山菜類の表記統一」を進めた際、アンコクミツバの項目だけが注記付きで残され、実在確認欄に「要現地照会」とだけ記された。この注記が逆に有名になり、以後はお土産品、健康茶、怪談本の三方面で消費されることになった。
批判と論争[編集]
最大の論争は、アンコクミツバが植物名なのか流通名なのか、それとも採集圏の共同幻想なのかという点である。特ににの企画展で、展示品の標本が実は別種のセリ科植物だったことが判明し、会期中に掲示が3回差し替えられた事件は有名である。
さらに、の研究グループがDNA解析を試みたところ、試料の多くが漬物汁に浸かっていたため判定不能となった。これに対し地元保存会は「本草学とは保存の学問である」と反論し、議論は今も収束していない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『甲州山村薬草録の周縁』山岳文化出版社, 1979年, pp. 41-63.
- ^ 木村智彦『黒葉植物考』日本民俗学会誌 第18巻第2号, 1984年, pp. 112-129.
- ^ Margaret A. Thornton, "Night Greens and River Herbs", Journal of East Asian Ethnobotany, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 201-228.
- ^ 佐伯修『山菜流通と符牒の近代』信濃書房, 2002年, pp. 88-104.
- ^ Hiroshi Kanda, "On the Classification of Ankoku-Mitsuba", Bulletin of the Museum of Folk Botany, Vol. 7, 1998, pp. 15-39.
- ^ 中村叶子『影和えの地域差と保存性』長野民俗研究 第9号, 1971年, pp. 7-22.
- ^ Peter L. Wexler, "A Curious Case of Three-Leaved Darkness", Ethnographic Botany Review, Vol. 5, No. 1, 2007, pp. 3-18.
- ^ 山田信吾『暗黒三葉伝承の成立』甲信文化資料叢書, 1966年, pp. 133-151.
- ^ 渡辺精一郎『植物ではなく制度としての草』東京古書刊行会, 1931年, pp. 5-19.
- ^ Aiko Morita, "When the Leaves Turn Black", Proceedings of the Society for Rural Lore, Vol. 21, No. 4, 2016, pp. 244-260.
外部リンク
- 国立民俗植物研究所デジタルアーカイブ
- 甲信香草保存会
- 黒葉草資料室
- 山村口碑総覧
- 地方誌クロニクル