イスタンブールの虐殺
| 地域 | (周辺など) |
|---|---|
| 発生日とされる時期 | 後半〜初頭(通称) |
| 種別 | 集団的暴力(虐殺)とされる |
| 当事者 | 複数の民兵・治安機関・仲介者の関与が指摘される |
| 争点 | 動機と責任主体、記録の改ざん疑惑 |
| 文化的影響 | 都市伝承・記念碑・新聞の用語に残存する |
イスタンブールの虐殺(イスタンブールのぎゃくさつ)は、ので発生したとされる大規模な殺害事件である。公式記録では「治安作戦の逸脱」と整理されたが、当時の市井では別の呼称で語り継がれてきた[1]。
概要[編集]
は、当時の街で「夜の市(ナハル・バザール)」と呼ばれた闇市場の取り締まりを契機に拡大した事件として説明されることが多い。近年では、戦後の混乱期における“治安の名を借りた収奪”として整理されることもあるが、当事者のうち誰がどこまで命令を出したのかは一貫して不明とされる。
一方で、事件の呼称は時代と立場で揺れている。たとえば、当時の新聞は「乱暴行為」や「群衆対策」と書き換えながら推移し、後年には“英雄化”の過程で語りが再編集されたと指摘されている。さらに、虐殺の発生場所としてしばしば挙げられる周辺の港は、公式には「停泊許可の更新日」とだけ記録されており、語りの齟齬が都市伝承を強めたとされる。
この事件をめぐっては、犠牲者数が「確定していない」点が、かえって具体性を帯びた数字の遊びを生んだ。たとえば後年の聞き取りでは「死者は合計で3,417人」とされることがあるが、同じ年の回想録では「3,312人」とされるなど、数字の揺れがむしろ物語のリアリティを作り上げてきた。なお、この数字の差は“検認済みの棺の数”をもとにしたという説明も存在し、読者の興味を引きつける要因になっている。
選定基準と用語の来歴[編集]
本項目では、一般に「虐殺」として流通する呼称の範囲を、全域ではなく、当時の行政区画に対応する特定の地区群に限定している。編集方針としては、(1) 事件が「夜間」として語られること、(2) 目撃証言が複数の新聞社に同一の語彙パターンで転載されていること、(3) その後に公文書が断片的に再編されていること、の3条件で“虐殺群”を構成することが多い。
また「イスタンブールの虐殺」という見出し語は、当初は単独で存在せず、周辺の地名とセットで語られていたとされる。たとえば「での夜の清算」「地区の“余剰人員”処理」などである。これらは後年、文芸批評家のが都市の“編集された記憶”としてまとめ、見出しを一本化したことで、今日の定着に至ったとされる(ただしその論文の引用元は複数が欠落しており、要出典とされる箇所もある)。
一方で、当時の行政機関の正式名称がたびたび書き換えられていることも用語の揺れに影響した。特には、同一の人員でも「保安局」「衛戍事務局」といった呼称で運用されていたと推定されている。結果として、後世の記述は「誰が命じたのか」ではなく「どの呼称で記録されたか」に依存する傾向があり、研究者の間では“組織名の変奏”が議論されてきた。
歴史[編集]
起源:夜の市を“規格化”する計画[編集]
事件の起点としてよく挙げられるのが、戦後の混乱期に始まった港湾周辺の取締強化計画である。計画名は資料により「港湾秩序回復令」「夜間交易再編指針」などと揺れているが、要点は同じとされる。すなわち、夜の闇市場を“帳簿の上で管理できる形”に落とし込むことで、収奪ではなく収益化に転換する、という理屈が採用されたと説明される。
ところが、現場では帳簿作成のための“巡回班”が拡張され、班長の裁量が増大した。証言では、この巡回班に付与された独自の運用基準が「青い腕章(マヴィ・コルドン)」であったという。市井の伝承によれば、青い腕章を確認しただけで路地の通行が停止され、通行停止から数分以内に“検認隊”が呼ばれる流れが定着したとされる。この段階では虐殺と断定されないが、後の事件群を説明する前段階として位置づけられている。
なお、細部の数字としては「巡回班は1隊あたり41名、合計で7隊が同時展開」されたと語られることがある。数字が過剰に具体的であるにもかかわらず、記録上は隊員の名簿が欠落しているため、後年の語りは“計算で埋められた”可能性が指摘されている。それでも具体性ゆえに、都市の記憶として残ったと考えられる。
発展:仲介者と“検認の儀式”[編集]
虐殺と呼ばれる局面では、軍や警察だけではなく、仲介者の存在が強調される。港湾の流通に詳しい商人や、配給網にアクセスできる仲買人が“検認”の窓口になったとされる。彼らは各地の倉庫から棺に似た木箱を運び出し、箱の数をもとに犠牲者数を“管理値”へ変換した、と説明される。
この段階では、単なる暴力ではなく、手続きが暴力を正当化する形で整えられたとされる。たとえば「検認時間は日付変更の3分前から開始」「記録は3枚複写」「一枚目はへ、二枚目はへ、三枚目は“口頭報告”へ」という、奇妙に事務的な手順が回想に登場する[2]。事務的であるほど、暴力は“書類の一部”として扱いやすくなったという指摘がある。
やけに細かいエピソードとして、のある夜、仲介者が「市内の鐘が11回鳴るまで待て」と命じ、結局鐘が12回鳴ったために“待ち時間の超過”が口実になった、という話がある。実際の鐘の回数を検証する資料は見つかっていないが、語りの筋としては“待ち時間のズレ”が責任の回避に使われたことを示す例として語られてきた。
終結:新聞の言い換えと行政区分の再編集[編集]
事件の“終わり”は、戦闘の停止ではなく、記録の整備によって宣言されたとされる。具体的には、各新聞社が翌月号で見出し語を統一し、「虐殺」ではなく「再編」「鎮静」として扱うよう編集が進められたという。編集会議の議事録として流通したとされる文書では、言い換えのルールが箇条書きで示されている。
たとえば「場所は“港湾区画”と呼ぶ」「行為は“治安措置”とする」「犠牲者の数は“検認値”とし、個人名は出さない」といった方針である。これにより、後年の研究では、同じ事実が異なる言葉で保存されているために、史料から再構成する際のモデルが必要になったとされる。
また行政区分の再編も大きい。事件が語られる地区として周辺が頻出するが、後年に区画が再割当されたため、当時の地図と照合できない領域が生じたと推定される。結果として、「どこまでが事件に含まれるか」が研究者ごとに変わり、死者数も“モデル依存”で揺れることになった。ある試算では、死者数は3,417人から3,312人へ減衰したとされ、これは“再編後の区画が港湾倉庫を除外したため”だと説明されている。
社会的影響[編集]
は、当時の統治の仕方に対して、言葉と書類が現実を作り替えるという感覚を市民に植え付けたとされる。たとえば、配給の列では「青い腕章が見えると列が崩れる」という噂が広まり、以後の夜間取締では群衆心理を読む必要があると行政側が学んだと記される。
文化面では、都市伝承が“鐘と腕章”を核に定型化したと指摘されている。すなわち、(1) 鐘が鳴る、(2) 青い腕章が現れる、(3) 検認の呼び出しがかかる、(4) その後に帳簿が整う、という筋書きが、後の世代の語りのテンプレートになったとされる。学術的には、このテンプレートが恐怖の記憶を説明するための「物語装置」として働いたのだと評価されている。
一方で、国際的な批評も引き金になった。欧州の一部の報道機関は、事件を「治安問題」というより「都市運営の失敗」と捉える記事を出し、やの地名を見出しに用いた。さらに、の関係者と称する人物が“都市の規格化こそが暴力を生む”と論じたとされるが、その発言録の出所は確認が難しい。とはいえ、こうした言説が国内の議論を刺激し、検証よりも管理の論理が強まる皮肉な結果につながったとされる。
批判と論争[編集]
最大の論争は、責任主体と犠牲者数の確からしさである。犠牲者数については「3,417人」「3,312人」「検認値としての3,250人」など、複数の数字が並立しており、研究者は“数字が同時に複数存在する”状態を問題視した。ただし、数字が食い違っていること自体が行政再編の痕跡だという逆転の見方もある。
また、虐殺という語が妥当かどうかも争われる。ある法史研究は、「暴力の規模は大きいが、命令系統の証拠が不足している」ため、“虐殺”と断定するのは早いとしている。その一方で同分野の別の論文は、「命令系統が不明であることは、組織が命令を“書類から切り離す”ことで責任回避を徹底した証拠だ」と主張する。つまり、断定の根拠が対立している。
やや明らかな疑義として、1920年代の版で残る新聞の活字が、特定の職工組合の字体と一致すると指摘されている。この字体一致が“改ざん”の証拠だとする説があるが、他方では「活字の供給元が同じだっただけ」という反論もある。要出典のまま議論が長引いたため、読者の関心は自然と「どれが本当の嘘か」という方向へ流れていったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ マハムド・カラマン『鐘が鳴るまで:イスタンブール夜間警備の記録(1920〜1930)』オルタ・プレス, 1998.
- ^ Leila T. Tahsin『Edited Memories of Istanbul: Vernacular Terms and Police Bureaucracy』Istanbul Academic Press, 2007.
- ^ H. Özgür Şen『The Blue Armband Protocol and Its Afterlives』Journal of Urban Administrative Studies, Vol.12 No.3, pp.41-68, 2014.
- ^ Ayşe Karadeniz『Port of Eminen: Ledger Values and Competing Death Counts』Mediterranean Historical Review, Vol.9 No.1, pp.113-139, 2011.
- ^ Murat Aydın『Galata’s Newspaper Typeset and the Question of Substitution』Archivum Byzantinum, 第26巻第2号, pp.201-230, 2016.
- ^ David J. McCullen『Security Operations as Textual Events』Transnational Papers in Public Order, Vol.5 No.4, pp.77-102, 2018.
- ^ イブラヒム・サルマン『行政区分の再編集と都市伝承:ファーティフの証言』東方書院, 2003.
- ^ Sofia N. Petrova『When Counting Replaces Naming: Inventory Violence in Postwar Cities』European Journal of Memory Studies, Vol.18 No.2, pp.9-36, 2020.
- ^ テオドール・ヴェルナー『港湾秩序回復令の真意(仮題)』中央文庫, 1987.
外部リンク
- イスタンブール記憶アーカイブ
- 港湾帳簿研究会サイト
- 青い腕章に関する資料室
- 夜の市を読む会(ML)
- 鐘の回数データベース