ウルトラマンハンギョドン
| 正式名称 | ウルトラマンハンギョドン |
|---|---|
| 初出 | 1988年の企画会議記録とされる |
| 分類 | 特撮キャラクター、企業横断型マスコット |
| 原案 | 田辺源四郎、松浦リリコ |
| 制作会社 | 円谷未来企画室、サンリオ映像企画部 |
| 活動期間 | 1989年 - 1992年 |
| 拠点 | 東京都世田谷区砧、神奈川県川崎市麻生区 |
| 特徴 | 水陸両用の変身、泡状の光線、学習帳との連動 |
| 関連商品 | ソフビ人形、弁当箱、録音式下敷き |
ウルトラマンハンギョドンは、系の特撮演出と系キャラクター設計を融合させたとされる、1980年代末期の日本の架空ヒーロー企画である。銀色の防災服に似た外見と、半魚人型マスコットの頭部を併せ持つことから、当時の子ども向け番組史の「最も説明の難しい混血」として知られている[1]。
概要[編集]
ウルトラマンハンギョドンは、末期から初期にかけて企画されたとされる子ども向け映像作品群の総称である。名称は、宇宙的正義を象徴すると、海洋生物的な親しみやすさを持つ「ハンギョドン」を接続したもので、制作現場では「二重親和型ヒーロー」と呼ばれていた[1]。
本企画は、のテレビ番組会議と、のキャラクター商品会議が偶然同日に開催され、双方の議事録が誤って一冊に綴じられたことから生まれたとされる。結果として、正義の味方なのにぬいぐるみ売場にも適応するという、当時としては極めて珍しい設計思想が採用された[2]。
成立の経緯[編集]
通説では、1988年春にの企画担当・田辺源四郎が、海洋公害啓発番組のテスト案として「魚っぽいウルトラマン」を提案したのが始まりである。一方、側では商品企画の松浦リリコが、既存キャラクターの露出拡大を狙い、同じく半魚人風の造形資料を持ち込んだため、両者の案が自然に合体したとされている。
初期案では「ウルトラマン・ハンギョ」と「ドンくん」が別人格として設定されていたが、1988年10月の第3回調整会議で「片方だけでは売場で迷子になる」という理由により統合された。なお、会議室のホワイトボードには、当時の担当者が書いた「正義は泡でも成立する」という文句が残されていたと伝えられるが、要出典とされることが多い[3]。
設定[編集]
外見と能力[編集]
ウルトラマンハンギョドンの外見は、銀色の全身に青緑色の鱗状ラインを配し、頭部には吊り目気味のマスクと、幼児向け玩具らしい丸い口元が与えられていた。身長は38メートル、体重は4万2,000トンとされるが、海中では泡の浮力により実質2万8,000トンまで軽量化されるという、きわめて独特な設定が付与されていた。
必殺技は「ハンギョビーム」と呼ばれ、右手を前に出して発射するのではなく、口元から円形の泡状光弾を連射する方式である。この技は近接戦では効率が悪いが、給食の熱い味噌汁を冷ます用途にも流用可能であったため、番組外での人気が高かったとされる。
世界観[編集]
作品内の舞台は、架空の臨海都市とその周辺海域であり、海底に建設された児童相談所と、宇宙警備隊の支部が隣接しているという奇妙な構造を持つ。住民は潮の満ち引きに応じて町内会を開く習慣があるとされ、地域社会の合意形成が毎話の重要テーマとなっていた。
また、敵勢力は「深海商店街連盟」を名乗る謎の組織で、毎回はっきりした侵略理由を説明せず、ただ水槽の照明を暗くする行為に専念していた。このため視聴者からは「悪事のスケールが小さいのに妙に怖い」と評され、後年の深夜番組研究でも参照されている。
放送と展開[編集]
本格的なテレビシリーズは1989年4月から同年12月まで、地方局ネットで全28話が放送されたとされる。平均視聴率は6.4%で、同時間帯の教育番組よりやや低い程度だったが、玩具販売数は初年度だけで12万4,000個に達し、番組より商品が先に社会現象化した稀有な例とされた[4]。
第7話「すべらないバケツ」では、主人公が商店街の祭りで巨大な発泡スチロール製バケツに閉じ込められる場面が話題となった。制作当時は単なる予算節約の演出だったが、放送後に「閉じ込められても笑顔を失わない姿勢」が保育現場で引用され、東京都内の幼稚園8園が同話を避難訓練教材として導入したという。
社会的影響[編集]
ウルトラマンハンギョドンは、特撮ヒーロー像に「かわいさ」と「微妙な不安」を同時に持ち込んだ点で評価されている。1991年にはの前身組織によるキャラクター産業白書で、企業間コラボレーションの成功例として半頁だけ紹介され、そこでは「異分野連携の副作用として、会議が長くなる」との注記が付されていた。
一方で、海洋保護団体からは「深海を安易にマスコット化している」との批判もあった。ただし反対署名は1,300筆に留まり、そのうち約4割が同時開催されたスタンプラリー参加者だったため、社会的インパクトは限定的であったとみられる。
批判と論争[編集]
最大の論争は、キャラクターデザインが「ウルトラシリーズの伝統を逸脱しているのではないか」という点に集約される。特に、胸部のカラータイマーがハート形に近い楕円であったことから、一部の研究者は「戦う意思より親しみやすさを優先した初の事例」と位置づけている。
また、最終回で主人公が敵を倒すのではなく、深海商店街連盟と共同で水質改善イベントを開催して終了する展開については、当時の視聴者の間でも賛否が割れた。編集合戦の結果、百科事典系データベースでは「平和的解決の先駆」と「話が終わらない番組」の両方の記述が併存している。
派生作品[編集]
1990年には、学習雑誌連載『ウルトラマンハンギョドン たのしいしんかいのひみつ』が刊行され、全14回で海流、貝殻、税の仕組みまで解説したとされる。とくに第9回「ヒーローはなぜ納豆を食べるのか」は、栄養学と変身エネルギーの関係を説明する名物回として知られている。
また、地方イベント向けに制作された舞台版では、のを模した海底会場が使用され、出演者が実際に足首まで水に浸かって演技したという。なお、この演出は臨場感よりも配線トラブルを増やしたことで有名である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺源四郎『泡で救う正義論――1980年代特撮会議録』円谷未来出版, 1993.
- ^ 松浦リリコ『キャラクターはなぜ海を目指したか』サンリオ映像叢書, 1994.
- ^ 木村雅也「二重親和型ヒーローの成立」『日本映像文化研究』Vol.12, No.3, 1996, pp.41-58.
- ^ Harrison, Philip J. "Foam and Valor: Merchandising in Late Showa Tokusatsu" Journal of Media Myths, Vol.7, No.2, 2001, pp.88-109.
- ^ 渡会千紗『半魚人と宇宙警備隊の接点』海鳴社, 1998.
- ^ Sato, Miriam K. "Children's Welfare and Aqua-Justice in Japan" Asian Popular Culture Review, Vol.4, No.1, 2002, pp.13-29.
- ^ 小笠原肇『幕張メッセ海底会場計画書』千葉開発資料館, 1991.
- ^ 中村いずみ「泡状光弾の教育的応用」『玩具と学習』第18巻第6号, 1992, pp.5-17.
- ^ Bennett, Andrew L. "When Heroes Smile: The Rise of Soft-Edge Superheroes" The Tokusatsu Quarterly, Vol.9, No.4, 2004, pp.201-224.
- ^ 『ウルトラマンハンギョドン 公式設定集 失われた議事録』東海新書, 2005.
外部リンク
- 円谷未来アーカイブ
- サンリオ映像資料室
- 深海商店街連盟研究会
- 平成児童番組データベース
- 泡状兵器博物館