エレムトルソ
| 分野 | 人類学・建築史・儀礼研究 |
|---|---|
| 別名 | 遺体彫像式儀礼装置(とされる) |
| 成立時期 | 少なくとも12世紀末の「記録様式」 |
| 主な伝承地域 | 沿岸部〜内陸の通商路 |
| 関連組織 | 国立遺物委員会(架空名) |
| 典型的特徴 | 上半身のみの像/胸郭部に意匠孔 |
| 用途(諸説) | 共同体の「誓約更新」儀礼/治水祈願 |
| 議論点 | 実在像なのか法具なのか |
エレムトルソ(えれむとるそ)は、との境界領域で語られる「儀礼用人体像」とされる概念である。主にの古層遺物研究の文脈で言及され、同名の装置(あるいは法具)として発展したとする説もある[1]。
概要[編集]
エレムトルソは、儀礼の場に置かれる「上半身像」の形式として理解されることが多い概念である。とりわけ胸郭部にあたる位置へ、直径2.4〜3.1センチメートルほどの意匠孔が設けられる点が指摘される[1]。
一方で、像そのものよりも「音」や「空気の流れ」を制御する装置として扱う研究もある。具体的には、孔に挿入される細い板片(幅3ミリメートル未満)を介して、特定の角度から息を吹き込むと、儀礼歌の音程が固定されると記録されている[2]。
このようにエレムトルソは、実物の彫像・模像・機構を含むゆるい枠組みとして語られ、の共同体における「合意形成技術」とも呼ばれた経緯がある[3]。
語源と命名の経緯[編集]
「エレムトルソ」という語は、17世紀に編まれたとされる航海日誌の語彙からの復元であると説明されることが多い。ただし原典の綴りは「Eremltorso」「Ereml-thors」など複数が挙げられており、編集者の手癖が反映された可能性が指摘される[4]。
語源解釈では、前半部を「隔てられた」「人の届かない場所」を意味する古形容詞に結びつけ、後半を「胸部像」を指す職人用語として扱う説が有力である。一方で、後半部をトルソではなく「投石(とばし)の規準」を意味するとする少数説も存在し、ここから治水祈願へ応用されたという筋書きが生まれた[5]。
さらに、19世紀末にの校訂事業を担当した言語学者が「発音のしやすさ」を理由に短縮表記を採用したため、現在のカタカナ表記が固定されたとされる[6]。ただしこの固定がいつ完了したかは、当時の印刷機の癖(活字の欠損)と絡めて推定されており、要出典となる箇所もある。
歴史[編集]
成立:誓約の失効を止める技術として[編集]
エレムトルソが生まれた背景として、12世紀末の通商路で「誓約の再確認」が形式化しすぎ、破綻が増えたという事情が語られる。特にからへ向かう河川交易において、契約更新が雨天で延期されるたびに揉め事が連鎖したと、修道院の会計帳に細かい日付で言及された[7]。
そこで共同体は、雨天でも同一手順を再現できる「儀礼の物理条件」を作ろうとしたとされる。胸郭部の孔により息や共鳴が一定化され、儀礼歌の開始位置が固定されることで、更新の開始時刻がずれにくくなる仕組みが導入された、という物語が編まれた[8]。
この時期の試作として「胸孔の直径を2.7センチメートルに統一し、板片の厚みを1.2ミリメートルに揃える」ような規格案が残っているとされる。しかし当該文書は判読が不十分であり、研究者の解釈により数値が±0.2ミリメートル程度揺れることがある[9]。
発展:北欧の“公開手続き”へ広がる[編集]
13世紀後半には、エレムトルソが「公開手続き」の中心具として位置づけられ、裁定の場に置かれるようになった。具体的には、町の広場で更新儀礼を行う際、エレムトルソの背後に設置した石枠の間隔が一定であるとされる(枠間距離は6.4〜6.9メートルと報告された例がある)[10]。
この制度化には、に相当する役所が関わったとする説がある。同庁は「共同体が誰と結んだ誓約か」を視覚的に追跡する必要があったとして、彫像の刻みと孔の組み合わせを監査項目に入れたと語られる[11]。
ただし、制度が広がるほど誤用も増えた。孔へ別素材(樹脂や骨片)を挿入して、歌の音程を“わざと”外す行為が横行した時期があり、それを取り締まるために「孔の縁の研磨度を平均Ra=0.8(推定)」と定義したという奇妙な記録が引用されることがある[12]。
近代の再発見:考古学と技術官僚の同盟[編集]
近代においてエレムトルソは、遺物棚の奥から偶然見つかった断片がきっかけで再評価されたとされる。1897年、の保管庫で「上半身のみ残る像片」が整然と箱詰めされた状態で発見され、箱のラベルには「E-T(儀礼用)—未使用」と記されていたという[13]。
その後、1912年に(NDC)系の研究者が、像片と孔径の関係を統計化したとされる。彼らは、孔径と“歌い出しの合図”との一致率を「平均78.3%」で示し、儀礼が単なる信仰ではなく運用システムだった可能性を主張した[14]。
さらに1940年代には、で開催された「共同体音響儀礼」の会議が、エレムトルソを“音響制御の発明”として技術的に再解釈する道を開いた。ここで「像は比喩であり、実体は空気の通路である」と断言する論文が出たが、同時に「通路はどこにも見つからない」という対立も生んだ[15]。
社会的影響[編集]
エレムトルソは、共同体が争点を“同じ手順”に戻すための装置として機能したとされる。特に雨天・夜間でも手続きが再現されるという点が評価され、契約更新の遅延による損失を減らしたという記述が残される[16]。
一方で、儀礼の物理条件が詳細に定義されるほど、参加できない人々が生まれたとも指摘される。孔の位置や挿入する板片の規格が分かる者に権限が集中し、代行手続きが増えた結果として、政治的な仲介層が厚くなったとする見方がある[17]。
また、後代の都市文化においては、エレムトルソが「公開手続きの象徴」として転用されたと考えられている。像を置く場所が“公式性の境界”として扱われ、広場の区画整理(標柱の間隔など)にも影響が出たとされる[18]。
批判と論争[編集]
エレムトルソの最大の論争は、「実在の人体像」か「装置的比喩」かという点である。像片から復元された胸孔の痕跡が、儀礼用途に限らないことが指摘され、同様の孔が埋葬や装飾目的にも見られるとする反論がある[19]。
また、近代研究で提示された孔径の統計(平均78.3%など)が、選別バイアスを含む可能性があるとも言われる。保管庫から見つかった“完成度の高い断片”ばかりが集計されたのではないか、という批判が付いて回った[14]。
さらに、言語学的復元の信頼性にも波がある。語源が複数の綴りから再構成されているため、命名時点で儀礼装置の意味がすでに固定されていたのか、あるいは後世の解釈で膨らんだのかが判然としないとされる[4]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ E. H. Lund『胸孔と合意:エレムトルソ研究の基礎』NDC出版, 1921.
- ^ Maja Rønning「雨天儀礼の物理条件と更新率」『北方社会儀礼学会誌』Vol.12 No.3, 1934, pp. 201-219.
- ^ Åke Vester『北欧広場の区画と象徴具』ストックホルム大学出版局, 1948.
- ^ Margaret A. Thornton「On the Anthropological Reading of Truncated Figurines」『Journal of Boundary Antiquities』Vol.7 No.1, 1962, pp. 33-61.
- ^ Johan S. Krog「Eremltorso綴り変遷の工房要因」『言語と印刷の歴史』第2巻第4号, 1975, pp. 77-94.
- ^ Helga M. Berg『共同体音響儀礼の技術官僚史』ヘルシンキ学芸書院, 1981.
- ^ Sven-Erik Dahl「板片挿入による開始時刻の固定」『儀礼手続き研究報告』第9巻第2号, 1989, pp. 145-166.
- ^ Ruth Calder「The Myth of the Hidden Passage: Reassessing Eremthors(o)」『Archaeological Methods Quarterly』Vol.21 No.4, 2003, pp. 401-430.
- ^ Kjell Bjørk「儀礼の胸郭部をめぐる“治水祈願”転用」『水辺共同体史講究』第5巻第1号, 2010, pp. 9-28.
- ^ Ferdinand W. Pell『テンプレート法で読む遺物ラベル(E-T未使用を含む)』Belmont Press, 2018.
外部リンク
- 北方儀礼遺物アーカイブ
- 孔径測定ログ(歴史資料)
- 公開手続き象徴研究会
- NDC 収蔵資料の目録
- 言語学的校訂デジタル版