オホホール
| 分類 | 音響制御規格/文化施設運用モデル |
|---|---|
| 対象 | 講演・演芸・公開審査会・祝賀式 |
| 主目的 | 笑い声の到達時間差を最小化し、場の一体感を最大化すること |
| 考案とされる年代 | 1960年代末〜1970年代初頭(諸説あり) |
| 関連組織 | 道庁文化局、音響計測研究会、民間劇場連盟 |
| 方式 | 多孔質壁+遅延反射面+「笑い誘導」照明の組合せ |
| 代表的な実装地 | 近郊(非公式事例が多い) |
オホホール(おほほーる)は、ので用いられていたとされる「笑い声を音響制御する」技術規格である。特にの一部で、地域イベントの成功要因として語り継がれたとされる[1]。
概要[編集]
オホホールは、劇場やホールにおいて、観客の反応(とくに笑い声)の「発生から到達まで」の時間差を設計上で扱うことで、間(ま)を安定させようとする運用思想であるとされる。一般には「音が良い」だけではなく、「観客が笑うタイミングが揃う」ことを価値として据えた点が特徴とされている[1]。
この規格は、音響工学と行動観察を結び付けたものとして説明されることが多く、反射の強さよりも「反射の時系列」を重視したといわれる。実際の設計文書では、笑い声の到達遅延をミリ秒単位で記述する様式が導入され、担当者が廊下の響きまで同じ指標で管理するようになったとする説明も見られる[2]。
なお、「オホホ」という語は、単に擬音であるともされるが、当時の計測担当が観客の反応を記録する際の仮スクリプト(音声ログのラベル)だったという説も存在する。ただし、このラベルの初出は資料によって食い違い、そこに研究者間の温度差が出たとされる[3]。
歴史[編集]
成立:札幌の「間違いが笑いになった」事件[編集]
オホホールの原型として語られるのは、の民間ホール「北郷シビック・ステージ(当時の仮称)」で起きたとされる小さな事故である。1971年の公開審査会で、照明チームが調光器の応答を誤設定し、合図の点灯から観客が笑うまでの間が通常よりも0.18秒短くなった。ところが、その誤設定が結果的に最も評価が高かったため、「笑いが早く揃うなら、音響も時系列で設計できるのでは」という議論が始まったとされる[4]。
議論をまとめたとされる中心人物として、文化局の技術嘱託であった渡辺精一郎(わたなべ せいいちろう)が挙げられる。渡辺は「会場の“遅延”を詩にするのではなく、工程にするべきだ」と述べたと伝わる[5]。また、音響計測研究会の会長であるDr. Margaret A. Thornton(ソウル出身の音響計測者として記録されることが多い)が、笑い声を“イベント”として扱う分析手法を持ち込み、以後の文書の書き方を統一したとされている[6]。
この時期、会場改修はすべて「予算枠の範囲内で、最小の工事量に抑える」方針を取ったとされ、壁面は一枚すべて張り替えるのではなく、表層だけを多孔質化する方式が採用された。結果として、改修費は当初見積りのからまで圧縮されたとされるが、会計担当の証言は会議録と一致しないと指摘されている[7]。
発展:遅延反射面と「笑い誘導」照明の統合[編集]
オホホールが技術規格として“それらしく”整ったのは、1973年に音響計測研究会が試作した「遅延反射面」からだとされる。遅延反射面とは、反射を減らすのではなく、反射が返ってくる時刻を意図的にずらすための内部構造である。文書では「第一反射(R1)」と「第二反射(R2)」に対し、到達時刻の許容範囲が定められたとされ、R2がR1より遅いときに笑いが揃いやすい、と記述されたとされる[8]。
さらに、照明側も“音に合わせて点く”運用が提案された。ここで導入されたのが「笑い誘導照明」であり、舞台上の動作に同期させて微細な明暗変化を入れることで、観客の反応の起点を揃える狙いがあったとされる。照明制御の担当は内の電機メーカー「北門電設(現・北門グリーンエナジー)」の技術者だとされるが、同社の公式史料ではその社名表記が後年に変更されたため、細部の記録は曖昧になっている[9]。
このようにして、オホホールは「壁」「天井」「照明」「進行台本」を同じ指標で運用する総合モデルへ発展した。なお、この発展が進むにつれ、純粋な音響良好説だけでは説明しづらくなったという反省も同時期に生まれ、少数派からは「これは音響ではなく演出の規格ではないか」という疑義が呈されたとされる[10]。ただし、その疑義が“規格の学術化”を後押ししたとも語られている。
社会への浸透:文化助成と「笑い指標」の登場[編集]
オホホールが一般化した理由として、1976年にの文化関連助成制度へ「会場反応の安定性」が評価項目として忍び込んだことが挙げられる。評価のための指標名は「Laughter Cohesion Index(LCI)」とされ、申請書には笑い声の到達遅延分布がグラフ化されて提出されたとされる[11]。
制度設計に関わったとされるのは、文化局と、民間側の劇場連盟である「全国演芸会館連盟(当時の略称:ぜんえんかい)」だとされる。会館連盟の事務局長は小野寺琢磨(おのでら たくま)とされ、彼は「観客の笑いが遅れる会場は、観客の時間を奪う」と発言したと記録される[12]。この言葉は会議後に回覧されたが、回覧文書の副題だけがなぜか別紙にあり、当時から“妙に細かい”運用が好まれたのではないかと推測される[12]。
ただし浸透の過程で、改修後の指標が目標値を超えた会場と、逆に“揃いすぎて滑稽に見える”会場が出たとされる。前者では観客が共感しやすく、後者では間が窮屈に感じられたという報告があり、結果としてオホホールは「平均を良くする」より「分散を制御する」方向へ修正されたとされる[13]。
批判と論争[編集]
オホホールには、技術としての評価と同じくらい倫理的な疑義がまとわりついたとされる。反対派は、「笑いの同期化は、観客の主体的な反応を奪う可能性がある」と主張した。特に、LCIの高い会場ほど同じ反応が早く出るため、結果として演者の“受け”が単調化する、という指摘がの内部討論で語られたとされる[14]。
一方で賛成派は、「同期は強制ではなく、会場の物理条件が偶然のズレを減らすだけだ」と述べたとされる。ただし、同期を狙うために照明の微細制御が入る以上、「物理条件」という言葉では逃げ切れない、という批判も続いた[15]。
また、資料の食い違い自体が論争の火種になった。R2がとされる文書と、R2がとされる別草案が存在し、両者の作成者が同じ会議に出席していたことが判明したとする証言がある[8]。そのため、オホホールは技術規格であると同時に「記録の政治」によって形作られたのではないか、と結論づける研究もあったとされる[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「会場反応の時系列設計—オホホール試案の要点」『北海道文化工学年報』第12巻第2号, 1974年, pp. 41-63.
- ^ Thomton, Margaret A.「Laughter as an Acoustic Event: A Time-Delay Framework」『Journal of Applied Acoustics』Vol. 29 No. 4, 1975, pp. 201-219.
- ^ 小野寺琢磨「劇場運用とLCI評価—申請書における実務整理」『演芸会館運営研究』第5巻第1号, 1977年, pp. 9-27.
- ^ 北郷シビック・ステージ改修委員会「多孔質壁表層処理とR2制御」『建築音響技術報告』第3巻第3号, 1976年, pp. 88-102.
- ^ 音響計測研究会編「遅延反射面の設計自由度と許容帯域」『計測と制御』第21巻第8号, 1973年, pp. 515-533.
- ^ 佐藤真琴「笑い同期が生む上演テンポ—進行台本との相互作用」『舞台技術レビュー』Vol. 8 No. 2, 1980, pp. 77-95.
- ^ 全国演芸会館連盟「文化助成制度における反応指標の扱い(内部資料の整理)」『公共文化マニュアル』第1巻第6号, 1976年, pp. 1-24.
- ^ 北門電設「調光器応答の誤差と観客反応—北郷事例の再解析」『電機制御紀要』第17巻第9号, 1972年, pp. 301-319.
- ^ 山田啓介「R2レンジの再定義と資料間差異」『音響文化研究』第2巻第4号, 1982年, pp. 33-52.
- ^ Ellen, Robert「Synchronizing Applause: A Counterintuitive Case Study」『Proceedings of the International Symposium on Venue Design』Vol. 12, 1981, pp. 140-155.
外部リンク
- オホホール資料アーカイブ
- LCI申請様式(復刻)
- 遅延反射面 設計図面ギャラリー
- 北海道庁文化局(古文書検索)
- 舞台音響Q&A(旧版)