オポメディア王国 第42回上院選挙
| 時代 | 立憲再編期 |
|---|---|
| 日付 | 1911年6月14日 |
| 場所 | オポメディア王国全土 |
| 結果 | 温和派の連立が上院で過半数を確保 |
| 原因 | 選挙法改正、関税改革、干拓利権をめぐる対立 |
| 争点 | 塩税、鉄道敷設、王権諮問権の範囲 |
| 前回選挙 | 第41回上院選挙 |
| 次回選挙 | 第43回上院選挙 |
| 投票率 | 68.4% |
オポメディア王国 第42回上院選挙(おぽめでぃあおうこくだい42かいじょういんせんきょ、英: 42nd Senate Election of the Kingdom of Opomedia)は、においてに実施された上院議員選出のための全国選挙である[1]。選挙制度の改定と干拓事業をめぐる対立が重なり、同国史上もっとも投票用紙の図柄が複雑であった選挙として知られる[2]。
概要[編集]
第42回上院選挙は、の議会における上院、すなわち「長老院」と訳されることもあるの議員を改選するために行われた選挙である。定数は84で、地方貴族枠、商業都市枠、そして干拓地の特別選出枠が混在していたため、単純な政党政治としては把握しにくい制度であった。
この選挙は、の改正以後、はじめて全面的に適用された新投票帳式が使われた点でも注目される。票は紙片ではなく、蜜蝋で封印された木製札に刻印する方式で、湿気の多い沿岸州では投票所ごとに刻印の摩耗が争点となったとされる[3]。
また、王宮が直接候補者名簿の最終確認を行うという慣行が残っていたため、近代的選挙でありながら古風な儀礼が同居していた。後世の研究では、単なる政局選挙ではなく、王国の官僚制と地方自治が互いの限界を試した制度実験であったとの指摘がある。
背景[編集]
選挙の背景には、から続く計画と、それに伴う沿岸部の地価高騰があった。とりわけ周辺では、干拓予定地の所有権が旧修道会、商人組合、王室測量局の三者で食い違い、上院が仲裁機関のように扱われる状態が常態化していた。
さらに、の塩税改定で、内陸農村の反発が激化したことも無視できない。塩の流通票券を管理していたが、課税対象を「食用」「飼料用」「儀礼用」に細分化したため、地方選出議員たちは「三重課税に近い」として激しく反発した[4]。なお、当時の議事録には、塩の等級をめぐる討議が8時間続いた日がある。
また、王国の貴族層内部でも世代交代が進んでいた。旧来の土地貴族は保守色を強めたが、やの若年当主らは港湾開発と鉄道債の発行を支持し、これが候補者の推薦構造を大きく変えたのである。
選挙制度と候補者[編集]
第42回選挙では、上院議員84議席のうち36議席が「任期満了による定期改選」、18議席が「地方再編に伴う臨時補充」、残る30議席が「王令に基づく半期交代枠」とされた。これは第17条の解釈に基づくもので、法学者の間では当時から「条文が長すぎて選挙管理人が最後まで読まない」と揶揄されていた[5]。
候補者は全国で142名登録されたが、実際に有効に名簿掲載されたのは128名である。理由としては、1人が自邸の塔から立候補届を投げ落とし、川に落ちた文書が墨でにじんだため無効となった例や、別の候補が家名の綴りを3種類使い分けていたため、選挙管理局が「同一人物であることの立証」を求めた例が知られる。
主な勢力は、関税引き上げと王権補助金を支持する、鉄道と港湾の自由投資を求める、そして修道院土地の再分配を掲げるであった。ただし、どの会派も完全な政党というよりは、都市別の後援ネットワークの集合体であった。
経緯[編集]
投票と開票[編集]
投票日は6月14日で、朝靄の濃いから山岳州のまで、計1,932か所の投票所が設けられた。投票用木札には候補者名の略号、所属会派の紋章、そして有権者が押すべき三角印の位置が刻まれていたが、乾燥地帯では木札が収縮し、印が半分ずれる事例が多発した。
開票は州ごとに行われたが、の統計班が独自に速報を出したことから、王立選挙委員会より先に新聞各紙が「事実上の大勢」を報じる事態となった。最も奇妙だったのはで、票箱の封印用蜜蝋にラベンダー香が混ぜられていたため、開票所が一日中香水店のような匂いになったという記録である。
不正疑惑と再集計[編集]
選挙後、の3地区で再集計が命じられた。理由は、同じ筆跡で書かれた無効票が大量に見つかったからであり、当時の野党紙はこれを「修道士による夜なべ作業」と報じた。実際には、投票所で配布された説明板の文字が読みにくく、識字の低い有権者が近所の書記にまとめて記入を依頼したことが一因とされる。
また、では、投票箱の底板に王宮仕様の装飾釘が使われており、釘頭の星型模様が票の判読を妨げたとされる。これは選挙史上有名な「星釘事件」と呼ばれ、後の選挙法改正で投票箱の装飾禁止につながった。
結果[編集]
最終的に、秩序同盟が31議席、海岸進歩会が28議席、緑章会が19議席、無所属が6議席を獲得した。もっとも、無所属の多くは実際には各会派の支持母体と重なっており、当時の新聞は「無所属とは名ばかりで、実態は地方別の親族同盟である」と皮肉った。
特筆すべきは、で当選したで、彼は選挙運動中に一度も演説をせず、代わりに自作のパン菓子を各村へ配ったことで得票を伸ばした。後年の回想録によれば、彼の政策は「甘味は港の倉庫の争いを一時忘れさせる」という極めて実務的なものであったという。
この結果、上院では温和派連立が成立し、首相が進めていた鉄道公債案は辛うじて可決にこぎ着けた。ただし、可決時の賛成票は84票中43票で、議場の書記が誤って鐘を2回鳴らしたため、傍聴席の一部が採決失敗と誤認した。
影響[編集]
第42回上院選挙は、の議会政治を近代化した節目として評価される一方、儀礼的な王権介入を完全には排除できなかった点で限界も示した。特に選挙後に成立したは、投票帳の材質を木から紙へ変更し、候補者略号の使用を原則禁止したため、これ以後の選挙はかなり地味になったとされる。
社会的には、港湾労働者と内陸農民が同じ争点を共有したことで、従来分断されていた地域意識に変化が生じた。ラジオがまだ普及していない時代であったが、の試験送信が選挙速報と重なり、結果として「最初に聞いた政治ニュースが上院選挙だった世代」が生まれたことは文化史上しばしば言及される。
また、選挙運動で使用された青緑色の貼り紙が人気を集め、後にの地図用凡例へ流用された。これは政治宣伝と公的図像の境界が曖昧だった時代を象徴する現象である。
研究史・評価[編集]
同時代の評価[編集]
同時代の保守系紙『』は、本選挙を「王国の秩序が理性の範囲内で再点検された」と評価した。他方、革新系の『』は「上院が依然として貴族の応接間であることを証明した」と批判している。
王宮側の記録では、選挙が平穏に終わったこと自体が成果とみなされた。もっとも、宮廷日誌の末尾には書記官による私的な走り書きで「蜜蝋の処理が暑さに耐えず、机がべたついた」とあり、制度史研究者の間で密かな人気を集めている。
後世の研究[編集]
のは、本選挙を「投票行動よりも名簿管理の技術が政治を決めた稀有な事例」と位置づけた。一方、のは、上院選挙をめぐる干拓利権の争いが、実は地中海世界の港湾国家に共通する配分政治の縮図であると論じている。
ただし、に公刊された『The Wax Ballot Republics』では、本選挙の投票用木札の一部が実在したとする写真が掲載されたが、後に写っていたのは模型店の見本であることが判明した。もっとも、これをめぐって「模型こそ史料である」と主張する研究会が一時的に設立された。
脚注[編集]
1. オポメディア王国選挙庁『第42回上院選挙総覧』王立印刷局、1913年。 2. L. H. Merrick, "Wax, Timber, and Franchise in Opomedia", Journal of Crown Studies, Vol. 12, No. 4, pp. 201-239. 3. セヴリン学院政治史研究室「木札投票制の摩耗と開票誤差」『オポメディア史研究』第8巻第2号、pp. 44-67. 4. N. Al-Jazari, "Salt Tax and Provincial Resistance in Late Constitutional Opomedia", Middle Kingdom Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-31. 5. ミレナ・フォス『アルベロ憲章注解』北岸法学会出版、1909年。 6. J. T. Wrenford, "The Star-Nail Incident and Electoral Reform", Proceedings of the Royal Institute of Administrative History, Vol. 5, No. 3, pp. 88-96. 7. アレクシス・テルン『首相回顧録 1909-1914』王宮文庫、1928年。 8. H. P. Saldon, "Elections Without Paper: Archival Problems in Opomedian Statecraft", Archivum Europaeum, Vol. 21, No. 2, pp. 155-180. 9. ロベルト・サヴァリン「干拓地と上院枠の相互補完」『港湾法政』第14巻第1号、pp. 1-22. 10. 『The Wax Ballot Republics』Marrow & Finch Press, 1987.
関連項目[編集]
脚注
- ^ オポメディア王国選挙庁『第42回上院選挙総覧』王立印刷局, 1913.
- ^ L. H. Merrick, "Wax, Timber, and Franchise in Opomedia", Journal of Crown Studies, Vol. 12, No. 4, pp. 201-239.
- ^ セヴリン学院政治史研究室「木札投票制の摩耗と開票誤差」『オポメディア史研究』第8巻第2号, pp. 44-67.
- ^ N. Al-Jazari, "Salt Tax and Provincial Resistance in Late Constitutional Opomedia", Middle Kingdom Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-31.
- ^ ミレナ・フォス『アルベロ憲章注解』北岸法学会出版, 1909.
- ^ J. T. Wrenford, "The Star-Nail Incident and Electoral Reform", Proceedings of the Royal Institute of Administrative History, Vol. 5, No. 3, pp. 88-96.
- ^ アレクシス・テルン『首相回顧録 1909-1914』王宮文庫, 1928.
- ^ H. P. Saldon, "Elections Without Paper: Archival Problems in Opomedian Statecraft", Archivum Europaeum, Vol. 21, No. 2, pp. 155-180.
- ^ ロベルト・サヴァリン「干拓地と上院枠の相互補完」『港湾法政』第14巻第1号, pp. 1-22.
- ^ Eleanor B. Whitcombe, "Canals, Nobles, and the Upper House", Royal Oriental Institute Bulletin, Vol. 9, No. 2, pp. 77-104.
外部リンク
- オポメディア王国史料館
- 北岸立憲史アーカイブ
- 王立選挙制度研究センター
- ラドニ港地方文書庫
- セヴリン学院公開講義録