カマホモ義塾高校
| 設置者 | 学校法人カマホモ義塾(通称:義塾会) |
|---|---|
| 所在地 | 東山町(登記上) |
| 設立 | (義塾会創立準備期を含むととする説がある) |
| 課程 | 全日制普通課程(夜間部は短期間のみ併設) |
| 校訓 | 「配慮は技術、対話は習慣」 |
| 学科・コース | 自治科/言語実験科/地域連携科(各1年次で選択) |
| 特徴的制度 | 週次「義塾審議会」+学籍簿の電子化(1957年開始とされる) |
| 校歌 | 『霧の板橋橋梁(ばしょうりょう)』 |
(かまほもぎじゅくこうこう)は、の私立学校として知られる全日制普通課程の高等学校である。校内には独自の「自治科」制度があり、地域の行政機関とも連携して教育改革を先導したとされる[1]。
概要[編集]
は、形式上は一般的な私立進学校であるが、その実体は独自の自治運用モデルとして記録されている。特に、校則の改正を「生徒会」ではなくで決議する仕組みが注目され、地方自治体の議会運営研究にも転用されたとされる[1]。
学内の運用は細部まで規定されており、たとえば「朝礼の服装点検」は3分以内に完了させること、遅刻者への聞き取りは“責める言葉を5種類まで”に制限することなど、数値化された言語規範が存在したとされる[2]。一方で、教育効果の評価指標は当時としては異例に多層的で、学力テストだけでなく、ノートの余白率や沈黙時間の分布まで集計されていたという指摘もある[3]。
歴史[編集]
誕生の経緯:工場跡地の「対話工学」実験[編集]
創設はにさかのぼるとされる。旧板橋の工場跡地で、戦後の合理化を見据えた教育関係者が「対話工学」という概念を掲げ、会話を工業品質のように扱う方法を試作したのが起点であったとされる[4]。当時の資料では、対話の品質を「往復回数」「沈黙の長さ」「視線の許容範囲(角度)」で評価する案が記されており、教育というより計測装置に近い発想だったとされる[5]。
その後、準備期を経てに正式開校となったとされるが、校名の由来は資料間で揺れが大きい。校内文書では「釜(かま)のように温めて、ホモ(同一化)により立場を揃える」という解釈が添えられているとされる一方、別の聞き書きでは「“カマ”は地形、ホモは川面の反射(homo=同相)を示す」という語源説も紹介されている[6]。どちらも一見もっともらしいが、言語学者からは同時代の用例と不一致であるとの見方もある[7]。
制度化:自治科と「義塾審議会」の定着[編集]
第二次世界大戦後、校内運営の民主化が課題となった。そこでが新設され、校則改定・予算配分・施設利用ルールの採決を担うようになったとされる[8]。当初は全生徒が議席を持つ形式だったが、出席率が平均で84.2%に落ちたため、1952年ごろから「議席の抽選」を導入したという細かな記録が残っている[9]。抽選方式は賛否がありつつも、同校では“誰もが意思決定に触れた実感”を得ることが学習効果につながると考えられたとされる[10]。
また、授業以外の評価として「週次対話ログ」が蓄積され、言語の型が可視化される仕組みが採用されたとされる。ログは個人名ではなく“席番号”で管理され、担任が参照する際に情報を加工する手順も細則として定められていた[11]。なお、電子化の開始はで、校内の端末は“玄関ホールの柱に接続された黒い箱”だったと回想されている[12]。
社会との結節:地域連携科と行政研修[編集]
同校はの教育委員会と関係を深め、1959年には「地域連携科」を設けたとされる。これは、学校が地域の会議に出向き、生徒が議事録の整形や要約を行うことで、行政の文章作法を学ぶという構想であった[13]。実際には、生徒が担当した要約の“修正点の数”が平均で1案件あたり14.6か所だったため、行政側が文章の癖を逆算し、担当課のマニュアル改定にまで波及したという[14]。
さらに、内の複数の自治体で「対話ログ研修」が短期導入され、役所の窓口応対マニュアルが“沈黙を罰しない”方針へ転換したとされる[15]。ただし、同校のモデルをそのまま行政に移した自治体では、評価指標が硬直化し、現場の運用が形骸化したという反省も残った[16]。
教育モデルと校内文化[編集]
同校の教育は、授業時間よりも「意思決定の練習」に比重が置かれていたとされる。たとえば週の前半は通常授業、後半はの“条文づくり”にあてられ、生徒が学内規則を条文形式に起こして提出する。採決はで行われ、審議会は年4回の“総合審査”と毎週の“軽微改定枠”に分かれていたとされる[17]。
言語実験科では、文章の明瞭性を「主語の出現位置」「助詞の連続回数」「否定表現の比率(最大12%)」のように数値化し、改善を図ったとされる[18]。地域連携科では、の公共施設での説明会に参加し、生徒が“15秒で要点を言い切る”練習を課されたとされる[19]。この制度が功を奏したとする資料もあるが、逆に“短く話す訓練”が場面を選ぶという指摘もあった[20]。
校内の風習としては、月末に「余白点検」が行われ、ノートの余白率が平均で23.7%を下回った場合は再提出となったとされる[21]。その理由は、余白が“思考の停止ではなく、追記の許容”を示すからだという説明がなされたとされるが、実務的には教師の添削負担を一定に保つためだったとも推測されている[22]。
批判と論争[編集]
もっとも大きな批判は、教育が“対話の工学化”に寄りすぎた点である。沈黙や視線まで評価の対象にしたことで、文化的文脈を無視して機械的に改善させる運用になったのではないかという指摘が出た[23]。また、抽選議席が導入された結果、“参加している気分”は得られても“当事者性”が育ちにくいのではないかと議論された[24]。
さらに、同校が発信したとされる「対話ログの匿名化手順」は、ある研究者から“匿名化ではなく置換に近い”と評価されたことがある。実際、ログの参照キーが席番号と紐づき、教員が気づけば個人にたどれる状態だったとすれば、プライバシーの扱いが弱いのではないか、という疑問が出たとされる[25]。この点について学校側は、名寄せを禁じる運用を徹底していたと反論したが、運用の監査回数が「年に2回、各回30分」という極端に短い説明が引用され、かえって疑念を深めたとされる[26]。
なお、雑誌記事では校内の一部で「沈黙のペナルティがある」と報じられたことがあった。ところが別の資料では、沈黙の“罰”ではなく“観測”だと書かれており、解釈が割れている[27]。この齟齬が、同校の評価をめぐる論争を長引かせたと考えられている。
関連する人物・組織(周辺史)[編集]
教育行政との接点では、の職員をまとめた「窓口文章改善連絡会」が関与したとされる[28]。また、同校の自治運用を理論化した人物として、教育社会学者の(わたなべ せいいちろう)が名が挙げられることがある。同氏は“対話は技能であり、技能は測定可能である”という立場を取り、同校の制度をモデルにした研究を発表したとされる[29]。
一方、校内の制度運営では、事務職員出身の校長が中心人物だったと伝えられる。玄吾は、予算と議題の対応を一覧表に整理するのが得意だったとされ、自治科の提出書式を“7種類の紙サイズ”に最適化したという逸話が残っている[30]。さらに、地域連携科の受け入れを調整したのは、中央部の中間支援団体「協働文書機構」であり、同機構が開催した説明会は参加者数が毎回401人前後で推移したと記録されている[31]。
このように、同校は学校単体というより、教育・行政・文書実務の交差点に位置づけられることが多い。しかし、各組織の記録が部分的であるため、どこまでが実態でどこまでが後年の整理なのかは確定していないとされる[32]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「対話工学と学校自治運営—カマホモ義塾高校の試行的制度」『教育社会学研究』第41巻第2号, pp.12-39, 1954.
- ^ Margaret A. Thornton「Institutionalizing Silence: Dialogue Metrics in Postwar Japanese Schools」『Journal of Comparative Pedagogy』Vol.18 No.3, pp.201-233, 1962.
- ^ 佐倉玄吾「義塾審議会の手続設計に関する覚書」『学校経営年報』第9号, pp.55-74, 1960.
- ^ 協働文書機構「地域連携科の運用報告(板橋区実地調査)」『公文書運用研究』第5巻第1号, pp.88-121, 1961.
- ^ Klaus Ritter「Quantifying Classroom Communication in Urban Settings」『Educational Systems Review』Vol.7 Issue 4, pp.44-67, 1966.
- ^ 板橋区教育委員会「窓口文章改善連絡会の経緯と成果」『行政研修資料集』第23集, pp.3-28, 1964.
- ^ 「義塾会議事録(抄)—朝礼点検の3分基準について」『義塾文庫報』第2号, pp.1-16, 1950.
- ^ 中村里沙「余白率に着目した学習評価の試み」『学習評価ジャーナル』第12巻第2号, pp.77-96, 1971.
- ^ 田中春彦「抽選議席方式の受容と誤解—義塾審議会をめぐる聞き書き」『教育制度史研究』第6号, pp.99-118, 1983.
- ^ International Association for School Governance「A Note on Dialogue Logging Policies」『School Governance Quarterly』Vol.3 No.1, pp.9-15, 1978(刊行年が一部資料と一致しないとされる)
外部リンク
- 義塾文庫デジタルアーカイブ
- 対話工学研究会ホームページ
- 板橋区教育史ポータル
- 窓口文章改善連絡会アーカイブ
- 余白点検コレクション