ガチャガチャの気象兵器
| 分類 | 都市工学、民間防災装置、半ば娯楽機械 |
|---|---|
| 起源 | 1967年頃とされる |
| 主な運用地域 | 東京都、愛知県、福岡県ほか |
| 投入金額 | 10円硬貨から100円硬貨まで |
| 効果範囲 | 半径20mから最大1.8km |
| 公的管理 | 旧・建設省気象遊具監理班 |
| 通称 | 天気ガチャ、雲回し、雨止め筐体 |
| 最盛期 | 1974年 - 1982年 |
| 関連技術 | 低圧雲核放出、湿度抽選、風向補正カム |
ガチャガチャの気象兵器(ガチャガチャのきしょうへいき)は、を投入してを局所的に変化させるとされるの装置群である。主に後半ので研究されたとされ、やに用いられたという[1]。
概要[編集]
ガチャガチャの気象兵器は、の筐体に似た外観を持ちながら、内部にとを収めた装置であるとされる。使用者が硬貨を投入し、レバーを回すと、内部のが回転して上空の積雲に微細な撹乱を与え、晴雨を「抽選」する仕組みであったという[2]。
この装置は、戦後日本の都市でしばしば問題になったとを防ぐ目的で、の周辺で生まれたとされる。また、設計思想には当時流行していたとの文化が混入しており、結果として「天候を願いではなく手順で引き当てる」という奇妙な発想に到達したと説明されることが多い。
もっとも、実務上は完全な気象制御よりも、町内会が「雨が止んだ気がする」と納得することに価値があったとされる。1978年のでは、午前11時43分に1台の据置型筐体が投入され、14分後に小雨が霧雨へ変化した記録が残るが、この記録は当時の担当者がで観測していたため、精度には疑義がある[3]。
歴史[編集]
試作期[編集]
起源は、の玩具問屋が倉庫の除湿装置を改造した試作機に求められるとされる。開発責任者のは、子ども向けの「雨よけ景品」を入れるための箱として構想したが、偶然にも筐体の振動が近隣の雲量変化と同期したため、として注目されたという。
にはの下部研究会で「娯楽機械に準ずる公益装置」として扱う方針が検討され、1回10円で3分間の局地制御が可能なモデルM-10が作られた。なお、最初の成功例はで、商店街の夏祭りに合わせて稼働させたところ、周辺1.2kmの降水確率が「実測で18%低下した」と報告されたが、当時の記録係は天気図を裏表逆に貼っていたとの指摘がある。
この時期の機体には「晴れ」「くもり」「小雨」「強風」の4つのレバーがあり、利用者は硬貨を入れた後、出る天気を完全には選べなかった。ここが一般のと決定的に異なる点で、むしろに近い公平性が支持されたとされている。
普及と最盛期[編集]
以降、の歩道橋下やの地下街などに設置が広がり、ピーク時には全国で推計2,400台が稼働していたとされる。特に開催期間中、球場周辺での需要が高く、球団ではなく商店会が主導して導入した事例が残る[4]。
普及を後押ししたのは、装置そのものの効果よりも、「誰かが天気を買った」という心理的安心感であった。あるには、雨雲が近づいた際に住民が列をなし、3分ごとに硬貨を投入して「晴天の重ね掛け」を試みた様子が記されている。結果として同じ空に対し18人が連続でレバーを回したため、風向きが一時的に渦を巻き、洗濯物が3軒分だけ同じ方向へ飛んだとされる。
なお、1979年の北部では、漁協が「潮風補正型」を導入し、朝の出漁前に霧を散らす運用を行った。これが成功したとする報告は多いが、地元紙の写真には普通の扇風機が写り込んでおり、後年の検証で誇張が疑われている。
衰退と再評価[編集]
の「異常硬貨流通事件」により、100円硬貨を大量投入した一部機体が過負荷となり、逆に局地的な雷雲を誘発したとされる。これを受けては、装置を「公益的な玩具」として再分類したが、翌年には管理予算が前年比で37%削減され、事業は急速に縮小した。
衰退後も、やでは観光用に残され、1990年代には「昭和レトロの気象オブジェ」として再評価された。特にの旧商店街にあった据置機は、台風接近時に観光客が記念撮影を行う名所となり、掲示板には「このボタンを押すと雲がどく」と書かれていたが、実際には単に照明が変わるだけであったとされる。
構造と原理[編集]
標準機は、高さ約1.4m、幅68cm、奥行き55cmで、外装は青色塗装の鋼板、前面には透明アクリルの観測窓が備えられていた。上部には、側面には、下部には排出口ではなく「返却風穴」が設けられていたことが特徴である。
原理については、学術的には「微小圧力差の連鎖反応」と説明される一方、現場の整備員は「雲に礼儀正しくしただけ」と語ったとされる。とりわけM-12型では、内部に収納されたが回転することで上昇気流の位相をずらし、結果として雲が市街地を避けるよう誘導される仕組みだったという。
ただし、所蔵の整備記録によれば、毎月の点検で必要だった部品の半数は実際には玩具用ゼンマイで代用されていた。これにより、装置が天候よりも先に「カラカラ」という音で周囲の注意を集める副次効果を持ったことが、利用率の向上に寄与したとされる[5]。
社会的影響[編集]
本装置は、都市生活における「雨に対する受け身」を「参加型」に変えた点で重要である。学校行事、百貨店の屋上催事、港まつりなどでは、天候そのものが演出の一部として扱われるようになり、気象予報よりもガチャの残高が重視される文化が一時期形成された。
また、ごとに「晴天確保予算」が編成されたことから、税務上の扱いが大きな争点となった。1981年の某市議会では、気象兵器を「備品」とみなすか「祈願施設」とみなすかで4時間半の討議が行われ、最終的に「季節性のある什器」という前例のない分類が採用された[6]。
一方で、雨乞いを伝統とする地域との軋轢もあった。とくにの一部では、ガチャガチャ型装置の設置が「空の交渉権」を民間が横取りする行為だとして批判され、町内会と神社総代が雲の所有権をめぐって口論したという記録が残る。もっとも、この論争は翌年、両者が共同で「晴雨共存祭」を開いたことで沈静化した。
批判と論争[編集]
批判の中心は、装置の効果が再現性に乏しいことであった。特にの報告書では、「利用者の満足度は高いが、実際の降水量変化は統計上有意とは言い切れない」とされ、科学的根拠の不足が指摘された[7]。これに対し開発側は、「雨が止まったと感じること自体が社会工学的成果である」と反論している。
また、装置の一部にはを搭載した高性能機が存在し、近隣住民から「洗濯物が乾きすぎる」「髪が広がる」といった苦情が寄せられた。1982年にはで、深夜に稼働した機体が上空の低い雲を追い払った結果、翌朝だけ快晴になり、隣接するホテルの予約客が全員海水浴に流れてしまった事件が起きたとされる。
なお、最も有名な論争は、の年次集会で起きた「ガチャ1回で台風の進路は変えられるのか」という質疑である。発表者は「理論上は可能」と答えたが、続けて「ただし100円玉が7枚以上必要」と付記したため、会場が一斉に失笑したと伝えられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三浦源左衛門『局地天候抽出機の試作記録』東京工業気象研究会報 第3巻第2号, 1971, pp. 14-29.
- ^ 佐伯直人『商店街における気象玩具の社会実装』都市装置学会誌 Vol. 12, No. 4, 1978, pp. 201-218.
- ^ Margaret H. Lowell, "Capsule Mechanisms for Microclimate Selection," Journal of Applied Atmospherics, Vol. 8, No. 1, 1979, pp. 33-47.
- ^ 渡辺精一郎『ガチャ式雲核放出装置の運用と民俗性』日本気象民俗学紀要 第6号, 1980, pp. 55-73.
- ^ E. C. Harwood, "The Parlor Instruments of Weather Displacement," Proceedings of the Pacific Instrument Society, Vol. 5, 1981, pp. 88-104.
- ^ 『旧・建設省気象遊具監理班 年報 昭和57年度』建設技術資料室, 1983, pp. 9-41.
- ^ 高橋久美子『天気ガチャの経済効果と税制上の分類』地方自治と機械 第2巻第3号, 1984, pp. 120-139.
- ^ Atsushi Kanda, "On the Alleged Singularity of Coin-Operated Rain Removal," International Review of Controlled Weather, Vol. 1, No. 2, 1985, pp. 5-19.
- ^ 『神田祭と局地気象介入の記録』神田祭保存会資料集, 1991, pp. 77-96.
- ^ 松浦銀次『湿度針の校正に関する覚え書き』機械玩具と環境 第14巻第1号, 1993, pp. 3-11.
- ^ Harold T. Finch, "A Curious Case of Overcast Misclassification," Weather and Civic Infrastructure Quarterly, Vol. 19, No. 3, 1994, pp. 222-230.
外部リンク
- 気象遊具アーカイブス
- 昭和筐体資料室
- 東京工業気象研究会 旧記録庫
- 全国天気ガチャ保存連盟
- 微気象文化フォーラム