ギルセリン
| 名称 | ギルセリン |
|---|---|
| 別名 | 港湾白油、G-セリン、冬霧質 |
| 分類 | 半結晶性分散物質 |
| 発見 | 1894年頃 |
| 提唱者 | エドワード・H・モリスン |
| 主な用途 | 封止、艶出し、保存、儀礼 |
| 流通中心地 | アバディーン、ハル、神戸 |
| 禁制指定 | 1938年に一部地域で規制 |
| 代表格納容器 | 真鍮缶・陶製壺 |
ギルセリンは、末の沿岸で発見されたとされる、半結晶性の微細分散物質である。食品添加、紡績、儀礼用封止材などに用いられたとされ、の港町を中心に独特の流通圏を形成した[1]。
概要[編集]
ギルセリンは、粘性が高く、低温下でわずかに乳白化することから、当初はの精製副産物として誤認されていた物質である。のちにの周辺で独立した物質として扱われるようになり、工業用の潤滑・封止材として注目された。
一方で、港湾労働者のあいだでは「冬に割れない油」として知られ、から、さらにへと広がった。用途が多岐にわたったため、各地で規格がばらつき、同じ名称でありながら比重が0.91前後のものから、ほぼゼリー状のものまで存在したとされる[2]。
名称と定義[編集]
「ギルセリン」という名称は、北部の漁村に見られた姓「Gillser」に由来するとされる説が有力である。ただし、のは、当初は(鰓)と(血清)を組み合わせた造語であり、魚介の保存実験から生まれたと指摘している。
定義上は「冷却により微細な結晶核を生じる有機混合物」とされるが、実務では「指先で伸びる程度に柔らかい、しかし瓶に入れると動かないもの」と雑に扱われることが多かった。この曖昧さが、後年の規格闘争を招いた要因である。
歴史[編集]
発見と初期研究[編集]
1894年、の魚油精製所で働いていたが、冬季の樽底に沈殿する乳白色の層を採取したのが始まりとされる。彼はこれを石炭タールの混入と考えたが、翌年、の民間研究所で加熱してもほとんど臭気が出ないことが確認され、未知の保存材候補として注目された。
1897年には誌に「A Note on Gilselin Residues」が掲載され、分析値として融点14.8度、屈折率1.463、灰分0.3%が示された。しかし、同論文の付表にはなぜか「港の霧の濃さにより再現不能」と書かれており、後世の研究者を悩ませた。
普及と規格化[編集]
、はギルセリンを工業用途の暫定材料として認め、の一種として港湾倉庫での使用を許可した。これにより、木箱の目止め、楽器ケースの防湿、さらには蒸気機関車の計器箱の曇り止めにまで使われるようになった。
ただし地域ごとの配合差が激しく、産は硬め、産は香料を含み、では輸入酒粕を微量に混ぜる習慣があったとされる。1911年のの記録には、荷揚げ直後のギルセリン樽が「海水を吸うと鳴く」との苦情が8件あったと記されている[3]。
衰退と再評価[編集]
にが、未精製ギルセリンの一部にカビ由来の発泡性があるとして輸出入を制限したため、商業利用は急速に縮小した。戦時中は代替封止材への切り替えが進み、にはの倉庫区で「ギルセリン桶を積んだ列車が出ると雨が上がる」という俗信だけが残った。
しかし1960年代以降、古典工業史の研究対象として再評価され、の保存工学講座では、ギルセリンを用いた紙箱の湿度変化試験が行われた。なお、この再評価の過程で、当時の標本の一部が実は蜜蝋であったことが判明したが、研究史上は「誤差ではなく伝統的変種」と整理されている。
製法[編集]
伝統的な製法は、または魚脂を低温で静置し、沈殿した層を木炭と海塩で数日間「落ち着かせる」ものであった。これを製の攪拌棒で一日12回、ちょうど潮の満ち引きに合わせて撹拌すると、透明感のある淡黄色の製品になるとされる。
にの技師が連続蒸留法を導入して歩留まりを23%向上させたが、温度が1度高いだけで「港の雨の匂い」が消えるとして現場から強く反発された。こうした感覚的評価が支配的だったため、ギルセリン工場ではよりも熟練の倉庫係が重用されたという。
用途と文化[編集]
工業用途[編集]
最も広く使われたのは、木箱や革製品の封止である。特にの輸送規格では、ギルセリンを塗布した荷箱は「振動試験において3分17秒以内に再膨潤しないこと」が条件とされ、からまで採用された。
また、タイプライターの鍵盤軸や測量機器の蝶番にも用いられ、油切れを起こさない代わりに、真夏になるとゆっくり垂れる性質が問題になった。これを防ぐため、では松脂を0.8%だけ加える配合が標準化された。
民間信仰[編集]
港町では、ギルセリンを玄関先に少量置くと「船賃の値上がりを1回だけ避けられる」と信じられていた。とくにの船員宿では、結婚式の日にギルセリンを靴底へ塗ると帰港が早まるという迷信があり、1930年代の新聞には、実際に翌週の欠航率が下がったように見える統計が掲載された[4]。
もっとも、これは単に季節風の周期と一致していただけだとする反論もあり、現在では民俗学上の「港湾型幸運儀礼」の一種として扱われている。
料理と嗜好品[編集]
では一時期、ギルセリンをごく少量だけ菓子の艶出しに用いる流行があった。老舗洋菓子店の帳簿には、に「G-液体 2樽、ただし艶の出過ぎにより返品1件」との記載が残るとされる。
一方で、飲用を試みた者も少なくなく、の港湾診療所では、舌に残る「海辺の石鹸味」を訴える来診が1929年だけで46件あった。これがきっかけで、官庁文書では「摂取用への転用を禁ず」と注意書きが増えた。
社会的影響[編集]
ギルセリンの流通は、沿岸の小規模精製業を活性化させ、からにかけてアバディーン周辺の倉庫雇用を約1,200人増やしたと推定されている。特に冬季の失業対策として重視され、地方議会では「雫のない油は労働を止める」とまで言われた。
また、規格化をめぐる議論は、民間化学と行政の関係を変えた。のが示した標準試験法は、のちの食品保存料や塗料規格にも流用されたとされるが、当時の試験担当者が毎回「海風の日」を選んでいたため、再現性には疑問が残る。
批判と論争[編集]
最大の論争は、ギルセリンが本当に単一物質であったのかという点である。のは、実際には数種の脂肪酸エステルと微量の樹脂分の混合物であり、名称だけが先に独立したと主張した。これに対して、港湾実務家は「混ざっているからこそギルセリンである」と反論した。
また、1930年代の規制強化については、健康被害よりも倉庫火災保険の料率引き上げが主因だったとの指摘がある。なお、の港火災では、ギルセリン樽が「青白く光って見えた」と複数の証言があるが、気象条件による錯視とする見解が一般的である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Edward H. Morrison『A Note on Gilselin Residues』Journal of North Sea Industrial Chemistry, Vol. 12, No. 4, 1897, pp. 211-219.
- ^ Margaret A. Wain『On the Gill-Serum Hypothesis』Proceedings of the Edinburgh Society of Applied Lore, Vol. 8, No. 2, 1909, pp. 44-61.
- ^ 神戸商工会議所編『港湾雑品取扱記録集 第3巻』神戸商工会議所出版部, 1912, pp. 88-93.
- ^ Theodore Kemp『Continuous Clarification of Gilselin』The British Journal of Maritime Materials, Vol. 5, No. 1, 1908, pp. 7-18.
- ^ Raymond H. Easton『Gilselin and the Problem of Mixed Identity』Oxford Quarterly of Chemical History, Vol. 19, No. 3, 1964, pp. 133-150.
- ^ 国際港湾衛生委員会『未精製封止材に関する勧告』ジュネーブ事務局, 1938, pp. 5-12.
- ^ 松村義一『港町の油と儀礼』海鳴書房, 1971, pp. 201-228.
- ^ Helena P. Crowther『Winter Oils and Civic Anxiety in the North Sea Ports』University of Aberdeen Press, 1984, pp. 66-79.
- ^ 田所正明『ギルセリン規格史概説』日本港湾技術学会誌 第14巻第2号, 1992, pp. 55-70.
- ^ Charles B. Fenwick『The Smell of the Harbor, or Gilselin?』Maritime Antiquities Review, Vol. 7, No. 6, 2003, pp. 301-309.
外部リンク
- 北海工業化学アーカイブ
- アバディーン港湾史資料館
- 神戸港封止材研究会
- 国際ギルセリン標準化委員会
- 民俗工業データベース