グラタンの中のエビ
| 名称 | グラタンの中のエビ |
|---|---|
| 読み | ぐらたんのなかのえび |
| 英語 | Shrimp in Gratin |
| 分野 | 洋食配置学、視覚的食感設計 |
| 成立 | 1919年頃から1931年頃 |
| 発祥地 | 兵庫県神戸市・旧居留地周辺 |
| 提唱者 | 佐伯ミツ子、H. L. ウィンタース |
| 代表的器具 | 深皿式耐熱陶器、三点支持の盛り付け匙 |
| 関連現象 | 殻返り、白鍵化、焦げ目の地層化 |
グラタンの中のエビ(グラタンのなかのエビ、英: Shrimp in Gratin)は、に埋没したの配置様式、およびそれをめぐる料理美学・配置工学の総称である。末期ので制度化されたとされ、のちにの隠語として広く知られるようになった[1]。
概要[編集]
グラタンの中のエビとは、の表層から数センチ下に、あえて存在感を抑えつつ海老を配置する技法である。単なる具材の一種ではなく、焼成後に断面から断続的に現れることで「発見の快感」を生む点に特徴がある。
この概念は後半、に出入りしていた仏海軍の補給記録と、の洋食店のまかない文化が交差する中で生まれたとされる。表向きは西洋料理の一変種であるが、実際には「見えるはずのないものが見える」ことを評価する、日本独自の盛り付け倫理が深く関与していたと指摘されている[2]。
成立の背景[編集]
起源については諸説あるが、最も広く流布しているのは、に近くの食堂で発生した「沈下事故」説である。これは、通常のに用いる予定だった小型エビが、ホワイトソースの粘度不足により皿の底へ均等に沈降し、結果として客が最後まで気づかなかったことを契機に、むしろその“遅れて来る旨み”が好評を博したというものである。
当時、周辺の洋食店では、舶来の料理をいかに「日本の家庭で再現可能なかたち」に落とし込むかが競われていた。そこでが提唱したのが、エビをソースに混ぜ込むのではなく、耐熱皿の中央ではなくやや外周寄りに沈める「偏心埋設法」である。これにより、皿をすくうたびにエビが現れたり隠れたりし、食卓上に小さな演出効果を生むことが確認されたという。
また、の後にから神戸へ移ったコックの一団が、この技法を「避難しても味が逃げない料理」として再評価したとの記録もある。もっとも、この記録は後年に料理雑誌『』へ寄稿された回想に基づくもので、信憑性にはなお議論がある[3]。
技法と構造[編集]
グラタンの中のエビは、単純に具を増やしただけでは成立しないとされる。重要なのは、エビの頭数ではなく「可視率」であり、焼成後に表面に現れる尾の先端が全体の17〜24%に収まると最も満足度が高いとされている。これはにの非公開試験でまとめられた数値で、のちに「二割露出理論」と呼ばれた[4]。
調理工程は通常、①殻付き小エビを一度だけ白ワインで揺らす、②の下層へ斜め45度で差し込む、③表面にはパン粉を薄く、しかし均一に散らす、の三段階からなる。なお、当時の料理人の間では、エビの向きを北東にそろえると焼き色が安定すると信じられていたが、実験的裏付けは乏しい。
この配置工学の核心は、食べ手が最初に「ただの白い焼き物」と見なし、途中で海老に遭遇し、最後に殻や尾の断片を発見する三段階の驚きにある。つまり、味覚よりもむしろ順序の設計が重視される料理であり、の小野寺篤はこれを「咀嚼のサプライズ・アーキテクチャ」と評した。
普及[編集]
普及の契機は、初期にの百貨店が開催した「冬の洋食見本市」である。そこで出品された『海老埋めグラタン』は、当初は地味な展示品と見なされていたが、実演販売の際に皿の縁から一尾だけエビの脚が見えていたことが話題となり、二日で予定数量の3.8倍を売り上げたとされる。
の元厨房主任だったH. L. ウィンタースは、これを「料理の沈黙が客を呼ぶ」と評し、に東京・で開催された西洋料理講習会で標準化を試みた。彼は、焼成温度を、仕上げの休ませ時間をと定め、これを“都市型グラタン”の基準としたが、実際には各店が勝手に温度を上げ続けたため、表面だけが異様に硬くなる事故が多発した。
一方で、家庭料理としての浸透はやや遅れた。理由として、当時の一般家庭ではオーブンの性能が不安定で、エビが「中にあるのか、沈んでいるのか、そもそも入っていないのか」が判別しづらかったためである。そのため、しばらくは「見つけたら当たり」とする簡略版が多く作られた。
派生文化[編集]
断面鑑賞会[編集]
には、の喫茶店で、グラタンを半分に割って断面を鑑賞する会合が流行した。参加者はナイフで切り込む際、エビの出現位置を予想し、的中すると白い紙ナプキンに赤鉛筆で印を付けたという。この習慣は、後のの構図に影響を与えたとされる。
「尾だけ残す」作法[編集]
関西圏の一部では、食後にエビの尾をあえて一尾残し、皿の端へ立てかける作法が生まれた。これは「美味しかった証拠」ではなく、「まだ中に潜んでいるかもしれない」という余韻を演出するためのもので、の見立てに近い精神性を持つと解釈されている。
学校給食への応用[編集]
、の外郭研究会が、小学校給食における“隠し具材教育”の一環として試験導入した。栄養価よりも「探す楽しみ」が児童の残食率を2.1ポイント改善したと報告されたが、同時にエビアレルギー児童への配慮不足が指摘されたため、短期間で終了した。
社会的影響[編集]
この技法は、やがて家庭内の役割分担にも影響を与えたとされる。すなわち、盛り付け担当は「見せる者」、食べる側は「探す者」と位置づけられ、食卓での主導権の交代が静かに演出されたのである。料理社会学者の石川礼子は、これを「戦後日本の小さな権力移譲」と呼んだ。
また、内の製陶業では、グラタン専用の深皿が多数試作され、底面に微細な隆起を設けることでエビが一点に集中しすぎない設計が流行した。ある窯元では、試作品の内部に1.7mmの傾斜をつけたところ、焼成後にエビが中央へ集まりすぎ、かえって「密集しすぎて神秘性がない」と不評だったという。
なお、1970年代後半には、レトルト食品メーカーが「中に海老が二尾入っています」と大書した商品を発売したが、実際には一尾が半分に切られているだけであったため、消費者団体から「エビの人格権侵害」として抗議を受けた。これがのちの表示基準細則における“尾数の概念”整備につながったとされる。
批判と論争[編集]
批判の多くは、「エビを中に入れることで素材の良さが死ぬ」という保守派の意見に集中した。とりわけの老舗洋食店の一部は、エビは必ず表面に見えているべきであり、隠すのは料理人の臆病さであると主張した。
一方、革新派は「隠すことによって価値が高まる」こと自体が近代日本の美意識であると反論した。両者の対立はの『年次大会』で最高潮に達し、会場内で実物のグラタンを使った実演検証が行われたが、熱すぎて議論どころではなくなったため、事実上うやむやのまま終結した。
なお、近年では「中にあるべきものが外にある」逆転版、すなわち“外エビグラタン”も一部で提唱されている。しかしこれはもはやグラタンではなく、エビの自己主張に料理が追従したものにすぎないとする批判が強い[要出典]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯ミツ子『冬の白皿における甲殻類の潜伏配置』神戸洋食研究所紀要, Vol. 3, pp. 41-58, 1932.
- ^ H. L. Winters “Subsurface Shrimping in Urban Gratin Culture” Journal of Colonial Domesticity, Vol. 12, No. 2, pp. 113-129, 1935.
- ^ 小野寺篤『咀嚼のサプライズ・アーキテクチャ』東京食文化出版社, 1958.
- ^ 大阪市立食養研究会『二割露出理論とその応用』食養科学報, 第7巻第1号, pp. 5-19, 1931.
- ^ 石川礼子『食卓における沈黙の配分』現代生活研究, 第4巻第3号, pp. 77-92, 1976.
- ^ Jean-Pierre Maret “Les crevettes invisibles et la morale du gratin” Revue Franco-Japonaise de Gastronomie, Vol. 8, pp. 201-216, 1964.
- ^ 渡辺精一郎『耐熱皿工学と偏心埋設法』関西調理学院叢書, 1941.
- ^ 神戸洋食協会編『港町の白い皿 1918-1955』兵庫食文化資料館, 1989.
- ^ Margaret A. Thornton “On the Ethical Status of Tail-Visible Seafood” Proceedings of the East Asian Culinary Symposium, Vol. 6, No. 1, pp. 9-24, 1982.
- ^ 『季節と白い衣』編集部「グラタンの底に沈んだ記憶」季節と白い衣, 第2巻第8号, pp. 14-17, 1951.
外部リンク
- 神戸洋食史料アーカイブ
- 白皿配置工学研究会
- 季節と白い衣デジタル版
- 港町食卓文化資料室
- 日本隠し具材学会