ゲブロ
| 氏名 | ゲブロ |
|---|---|
| ふりがな | げぶろ |
| 生年月日 | 1897年4月12日 |
| 出生地 | 日本・新潟県新潟市下町 |
| 没年月日 | 1964年11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗工学者、随筆家、都市観測者 |
| 活動期間 | 1921年 - 1963年 |
| 主な業績 | 角隅理論、路地録音法、影札図鑑 |
| 受賞歴 | 日本生活工学協会奨励賞(1958年) |
ゲブロ(げぶろ、 - )は、の民俗工学者、都市風俗採集家、ならびに「角隅理論」の提唱者である。路地の直角部に生じる音響現象を「ゲブロ」と命名した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
ゲブロは、期に活動した日本の民俗工学者である。都市の路地や市場、寺社の境界に見られる「角のふるまい」を長年観測し、これを一つの学問体系として整理したことで知られる[1]。
本名はとされるが、研究ノートの署名にしばしば「Geburo」の表記を用いたため、のちにそれ自体が固有名詞として定着した。なお、同時代の新聞では「角の人」「四つ辻の変人」とも呼ばれていたとの指摘がある[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、の海に近い下町に生まれる。父は木箱職人、母は魚市場の帳場を手伝っていたとされ、幼少期から市場の荷捌きや路地の通行音を記録する癖があったという[3]。
少年期のゲブロは、雨の日に角の水たまりだけを測って歩いたため、近所では「水位の子」として知られていた。後年の回想録では、最初の研究対象は裏長屋の角に置かれた石蹴り用の小石であったと記されているが、これは本人が誇張した可能性もある。
青年期[編集]
の夜学に進み、図案科で金属加工と音響測定の基礎を学んだ。ここでのに師事し、都市空間を「視覚ではなく、折れ曲がりの連続として読む」方法を教わったとされる[4]。
代前半にはやの裏通りを歩き回り、角に立つ人の足運びと咳払いの頻度をノートに記録した。この時期にまとめた『路地角観測帖』は、当時の仲間内では理解不能な書物として有名であり、初版32部のうち19部が製本途中で紛失したという。
活動期[編集]
、ゲブロは私費で「角隅研究所」をのに設置した。研究所といっても実態は下宿の一室であり、床に白線を引いて角度別に録音機を置くだけの簡素なものであったが、ここでの観測がのちの角隅理論の基礎になったとされる[5]。
には、の周辺で行った調査により、「直角の商店街では値引き交渉が7.4%長引く」という仮説を提出した。戦時下の物資統制により研究は一時中断したが、代わりに空襲警報の余韻が角でどう反響するかを記録していたという点が、現在では最も問題のある業績として知られる[要出典]。
戦後はの周辺に通い、廃材で作った測定具を用いて「影札」と呼ばれる紙片を集めた。これは建物の角にできる影の重なりを番号化したもので、1950年代の都市再開発資料にも引用され、わずかに学術的地位を得た。
晩年と死去[編集]
、から奨励賞を受けた。受賞理由は「日常の角部に潜む社会的緊張を可視化したこと」とされるが、式典で本人が壇上の角に手を置いたまま30分間沈黙していたため、会場では賞賛と困惑が半々であった。
、の療養所で死去した。享年67。死後、遺族が残した録音テープ48本と観測図表214枚が整理され、に『ゲブロ遺稿集』として刊行されたことで、その名は研究者よりもむしろ奇書愛好家の間で広く知られるようになった。
人物[編集]
ゲブロは、温厚である一方、角に関する話題になると急に早口になる人物であったと伝えられる。食事の際も卓上の皿を必ず四隅に揃え、他人がずらすと無言で直す癖があったという。
また、初対面の相手に対しては「人は正面よりも斜めから本性が出る」と語ったとされ、これが後年の座右の銘のように引用された。もっとも、本人がその言葉を書き残したのは一度だけで、しかも裏面には買い物メモが併記されていた。
業績・作品[編集]
角隅理論[編集]
ゲブロの代表的業績は、都市における角部の機能を分類した「角隅理論」である。これは建築学、民俗学、音響学を無理やり接続した独自理論で、角は「衝突を吸収する装置」であると同時に「記憶を溜める器官」であると定義された[6]。
理論の中では、角を持つ空間ほど住民の会話が迂回的になるとされ、調査対象123区画のうち91区画で同様の傾向が確認されたという。ただし統計の取り方が極めて独特で、調査票の半数以上がゲブロ本人の歩幅で折られていた。
路地録音法[編集]
路地録音法は、路地の曲がり角で発生する足音、風音、呼び込みの声を同時に記録する方法である。ゲブロは自作の蓄音器を竹籠に収め、からまで1日で17か所を巡ったとされる[7]。
この方法はのちにの効果音制作担当者にも参考にされたが、録音素材の多くが自転車ベルと紙芝居の呼び声に埋もれていたため、実用化は限定的であった。
著作[編集]
主著に『』『『影札図鑑』』『路地はなぜ折れるか』などがある。なかでも『角の民俗』は、本文312頁のうち第4章だけで94頁を占め、しかも半分以上が「角で立ち止まる犬」の観察記録で構成されていたため、出版当時から賛否が割れた。
また、未完の『』は、原稿用紙の余白にまで脚注が付されていることで有名である。研究者の間では、実際の本文より脚注の方が先に完成していたのではないかと推測されている。
後世の評価[編集]
ゲブロは、生前よりも死後に評価が揺れた人物である。都市史の分野では「日常空間の微細な観察者」として再評価される一方、建築学では「資料の集め方が執拗すぎる」として長らく異端視された[8]。
以降は、との接点を先取りした人物として紹介されることが増えた。なお、にで行われたシンポジウムでは、参加者の3分の1がゲブロを実在の都市設計者と誤認したという。
系譜・家族[編集]
父のは木箱製作の職人、母のは魚市場の帳場を手伝う家系であったとされる。弟のは後年、測量器具の修理業を営み、ゲブロの研究にしばしば部品を提供した[9]。
妻はで、に結婚した。二人の間には娘のが一人おり、澄子は父の遺稿を整理した際、角隅理論の図面がすべて台所の敷板裏に貼られていたことを証言している。家系としては特筆すべき学者一族ではないが、親族の会話が妙に折れ曲がっていたため、ゲブロ本人は「家風が研究対象そのものだった」と述べたと伝えられる。
脚注[編集]
[1] 『角の民俗学と都市音響』国際路地研究会誌 第12巻第3号、pp. 41-68。
[2] 村瀬直人「ゲブロ表記の成立過程」『都市雑記』Vol. 8, No. 2, pp. 11-19。
[3] 田所和義『下町の観測者たち』港文社, 1979年, pp. 203-217。
[4] 松浦玄庵「夜学講義録・図案と折れ目」東京工芸出版, 1931年。
[5] 『角隅研究所記録 第1号』角隅研究所内部資料, 1932年。
[6] 鈴木明彦「角隅理論の再検討」『日本建築民俗学会紀要』第21号, pp. 5-39。
[7] Margaret L. Ives, "Route Corners and Urban Echoes," Journal of Applied Folklore, Vol. 4, Issue 1, pp. 77-104.
[8] 山内喜三郎『戦後都市の周縁と影札』新潮選書, 1988年, pp. 88-96。
[9] 樋口澄子「父・ゲブロの記憶」『私家版遺稿通信』第2号, pp. 1-14。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所和義『下町の観測者たち』港文社, 1979年, pp. 203-217.
- ^ 村瀬直人「ゲブロ表記の成立過程」『都市雑記』Vol. 8, No. 2, pp. 11-19.
- ^ 鈴木明彦「角隅理論の再検討」『日本建築民俗学会紀要』第21号, pp. 5-39.
- ^ Margaret L. Ives, "Route Corners and Urban Echoes," Journal of Applied Folklore, Vol. 4, Issue 1, pp. 77-104.
- ^ 山内喜三郎『戦後都市の周縁と影札』新潮選書, 1988年, pp. 88-96.
- ^ 松浦玄庵『夜学講義録・図案と折れ目』東京工芸出版, 1931年.
- ^ 佐伯葉子「路地における反響の測定」『生活空間研究』第14巻第1号, pp. 55-73.
- ^ 『角隅研究所記録 第1号』角隅研究所内部資料, 1932年.
- ^ Robert T. Hale, "The Ethics of Corner Observation," The Urban Folklore Review, Vol. 9, No. 4, pp. 120-138.
- ^ 樋口澄子『父・ゲブロの記憶』私家版, 1968年, pp. 1-14.
外部リンク
- 角隅研究所アーカイブ
- 日本民俗工学会デジタル年報
- 路地音響資料館
- 影札図書室
- 下町観測史研究会