ザンギ懺悔
| 行事名 | ザンギ懺悔 |
|---|---|
| 開催地 | 北海道札幌市 伏籠神社(手稲) |
| 開催時期 | 3月第2月曜〜火曜(2日間) |
| 種類 | 食祈祷・懺悔供養(揚げ物中心) |
| 由来 | “揚げ損ね”を悔いて春の気を戻す儀礼 |
(ざんぎざんげ)は、のの祭礼[1]。より続くの春の風物詩である。
概要[編集]
は、参加者が「今年やり残したこと」を言葉にしてから、決められた手順でを一口大に切り分け、神前に供える祭礼である[2]。
儀礼の中心は“懺悔の声”と“揚げ油の温度”の両立にあるとされ、神職は毎年、温度計の読みを紙札に書いて拝殿に掲げるという[3]。そのため、屋台のにぎわいがありつつも、町全体が妙に静かになる点が特徴として知られている。
また、祭り名に含まれる「懺悔」が宗教行為の比喩として定着した背景には、近世の火災対策と食文化の再編があったとする説が多い。もっとも、具体的な史料は少なく、「聞き書き」だけで語られる部分も多いとされる[4]。
名称[編集]
「ザンギ懺悔」の呼称は、明治以降の札幌周辺の口語で成立したとされるが、同名の習俗そのものはそれ以前にも“揚げ損ねの祈り”として伝わっていたとされる[5]。
地元では、祭礼の直前に配られる小冊子の表紙にだけ「懺悔」と大書きされることがあるという。これは、子どもが屋台の列に並ぶ前に“食べる前の礼”を学ぶための工夫だったと説明されることが多い[6]。
一方、近年の観光パンフレットでは「ザンギ=懺悔の象徴」として整理されがちであるが、神社の旧記では「懺悔とは後悔を数に変える作法である」と記されていたとする伝承も存在する[7]。
由来/歴史[編集]
由来は、手稲の冷え込みが強まる季節に、若者が揚げ物の仕込みを焦って油鍋を倒し、厨房の板を焦がした出来事に求められるとされる[8]。
伝承では、当時の料理人「」が、油温を測るための改良釜を使ったものの、計測器が一晩で凍り、結果として“温度の数字だけが嘘をついた”と嘆いた。翌朝、彼は自分の不注意を神前で読み上げ、油鍋を改めて温め直してから仕上げたザンギを供えた。これがのちに“揚げ直しの懺悔”として制度化され、祭礼へと発展したとされる[9]。
歴史の転機としては、昭和初期のが厨房火災の多発に対し、神社行事を「衛生講習の場」に転用した点が挙げられている。講習では、揚げ油の再利用に関する規定と、懺悔の所作(失敗の列挙→謝罪の定型文→供え物の分配)がセットで配布されたという[10]。
なお、祭りの“悔い”を記す札の数が年により変動する点について、史料編纂を担当したの主記録係「」が、毎年3種類の札を用意するよう指示したためだとする説もある。古文書には「札は必ずではなく、」と書かれていたともされるが、同時に「札束の厚みを測る定規は」と記された写しが見つかっており、真偽の評価が分かれている[11]。
日程[編集]
の午前、の社務所前で“悔い札”の配布が行われる。参加者は札に自分の反省を一行で書き、墨の乾き具合を見てから社殿へ進む[12]。
昼過ぎには「温度申告の儀」が実施され、家庭から持参した家庭用温度計を神職が確認する。申告の目標値は毎年同じで、とされることが多いが、神社側の説明では「今年の空気が許す温度を読む」ため厳密には固定しないともされる[13]。
夜は「懺悔読上げ」と「揚げ直し」の順に進行する。懺悔読上げでは、昨年の失敗を五十音順に並べ替える慣例があり、語順の並び替えにより“心の埃”が落ちると説明されている[14]。
翌火曜には、供え物の分配が行われ、最後に境内で小さな火を消す“火鎮めの所作”が実施される。所作は一見儀礼的であるが、近隣消防団の指導を受けて形式化されたとされる[15]。
各種行事[編集]
各種行事は、食の準備・告白・分配の3局面に整理されることが多い。ただし実際には順番が入れ替わる年もあり、当日の天候で「揚げる前の祈り」を後ろ倒しにする判断が下されるという[16]。
では、参加者が自分の“こだわり温度”を紙札に記し、その札が神職の手で中央の火鉢へ掲げられる。読上げ後、揚げ鍋に投入される肉片はの規定を守るとされるが、素人は「薄すぎると懺悔が消える」と言われ、逆に厚すぎると“反省が重い”と注意される[17]。
は、切り分けたザンギをタレの色で5区分にして供える方式である。色は醤油系、塩系、甘味系、香味系、そして「無味」の区分で構成されるとされる[18]。無味のザンギは“言い訳をしない”ために置かれると説明され、子どもの間ではゲーム化もしているとされる。
は、境内の回廊を時計回りに3周し、3周目の最後で札を軽く振り落とす所作が特徴である。ここで落ちた札の文字数が奇数なら「来春の運は先払い」、偶数なら「運は後払い」と囁かれることがあり、当日だけは“迷信としての真面目さ”が共有される[19]。
地域別[編集]
札幌市内でも、手稲周辺と中心部では所作の解釈が微妙に異なるとされる。手稲では「失敗の原因を具体名で言う」慣行が強く、家庭内での呼称(例えば“換気扇の不調”)まで言い当てることがあるという[20]。
一方、側では“原因を一般化して供養する”方針が推奨され、「具体の相手を責めない懺悔」として教えられているとされる[21]。
また、遠方の参加者向けには、で作られた木札が配られる年がある。これは、札の木目が「油の筋」に似ているため、神社側が“心の筋も整う”と説明しているからだとされるが、なぜ小樽産なのかについては「運搬距離がちょうど旧暦の二十四節気の中点になるから」と語る係員もいるという[22]。
地域差の象徴として、屋台で提供される“懺悔パン”の具材が異なる。手稲は揚げ塩、中心部は甘味だれとされ、同じザンギ味でも印象が変わると評判である。なお、どちらが正しいかは問われず、「混ざること自体が赦しである」とする説明が行事の余白として残されている[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 伏籠神社編『札幌近郊神事略譜(復刻)』伏籠神社、1931年。
- ^ 渡辺精一郎『揚げ鍋の記録:凍る計測器と春の祈り』共愛印刷、1879年。
- ^ 佐藤良典「ザンギ懺悔の札制度に関する民俗学的考察」『北海道民俗研究』第12巻第3号、1988年、pp.41-63。
- ^ 小林藍之介『社記写し集:温度と所作の相互作用』伏籠神社史料室、1956年。
- ^ 札幌市役所衛生課『火災予防と年中行事の連動運用(案)』札幌市役所、1934年。
- ^ Hiroshi Tanaka, “Cooking Confession: Ritualized Frying in Northern Japan,” Journal of Culinary Traditions, Vol.7 No.2, 2009, pp.101-130.
- ^ M. A. Thornton, “Seasonal Food Pilgrimages in Urban Shrines,” Proceedings of the Northern Folklore Society, Vol.3, 2012, pp.55-78.
- ^ 山田文也「回廊行進の回数解釈と“運の支払い”伝承」『年中行事評論』第5号、1976年、pp.12-29。
- ^ 『札幌周辺祭礼地図(増補版)』北海道観光文化局、1998年。(一部図版の年代表記に誤植があると指摘されている)
外部リンク
- 伏籠神社公式行事アーカイブ
- 手稲民俗資料室
- 札幌市観光食文化ポータル
- 北の揚げ油温度研究会
- ザンギ懺悔ファン同好会