ジェノベーゼ論争
| 名称 | ジェノベーゼ論争 |
|---|---|
| 別名 | 香草比率問題、緑油騒動 |
| 起源 | 1897年ごろ、ジェノヴァ港の保存食検査所 |
| 中心人物 | ルイージ・マレンゴ、マーガレット・E・ソーン、清水辰三郎 |
| 争点 | 松の実の使用量、油脂の乳化順序、瓶詰時の振盪回数 |
| 影響 | 料理教育、缶詰規格、家庭用すり鉢の標準化 |
| ピーク | 1928年〜1934年 |
| 象徴的文書 | ジェノヴァ暫定配合宣言 |
| 関連機関 | 国際香味配合委員会 |
| 現在の扱い | 地方史上の論争として整理されている |
ジェノベーゼ論争(ジェノベーゼろんそう、英: Genovese Controversy)は、風の香草ペーストの配合比率をめぐって生じたとされる、末から前半にかけての国際的な食文化論争である。のちに、、さらにはにまで波及したことで知られる[1]。
概要[編集]
ジェノベーゼ論争は、もともと、、を用いる緑色のソースの配合をめぐる食味上の対立として始まったとされる。しかし実際には、保存性の高い瓶詰食品を求める沿岸の商人、港湾検疫官、そして料理学校の教師たちが、それぞれ別の目的で配合基準を主張したことにより、半ば制度的に拡大したものである。
この論争は単なる味付けの違いに留まらず、どの工程を「伝統」と呼ぶか、どの程度の濃度を「真正」と見なすかという定義闘争に発展した。後年の研究では、論争の本質はソースの中身そのものではなく、における所有権と輸出規格をめぐる主導権争いであったとされている[2]。
歴史[編集]
起源と前史[編集]
起源は、港の北埠頭に設けられた簡易保存食検査所にさかのぼるとされる。当時、夏季の高温で傷みやすい香草ペーストが多数持ち込まれ、検査官のは「油の層が3ミリを超えるものは別食品として扱うべきである」と主張した。これに対し、地元の製造業者は「3ミリは家庭の台所では測れない」と反発し、以後、厚さではなく“スプーン落下時間”で評価する奇妙な基準が導入された。
には、の食品工芸学校でマーガレット・E・ソーン教授が「乳化は情緒である」と題した講演を行い、を回す向きによって風味が変わると発表した。講演は当初、冗談と受け取られたが、講義後に学生17名が一斉に手回し乳鉢を購入したため、学術的影響は意外に大きかったとされる。
国際化[編集]
、で開かれた地中海食品博覧会において、式と式の二派が初めて同一の審査台に載せられ、ここで「ジェノベーゼ」という語が地域名ではなく配合法を指す専門語として独り歩きし始めた。審査員は、、から計9名集められたが、うち4名は香草アレルギーを理由に試食を辞退している。
にはがで臨時会合を開き、松の実の有無、バジリコの刻み幅、にんにくの押し潰し回数をめぐって34時間の協議が行われた。議事録によれば、最終的に「家庭用おろし金の孔径は標準化に適さない」というだけの合意に達したが、この曖昧な結論がかえって各国で独自規格を乱立させ、論争を長期化させたという。
ジェノヴァ暫定配合宣言[編集]
、ジェノヴァ市内ので採択されたとされる「ジェノヴァ暫定配合宣言」は、論争史上もっとも引用される文書である。宣言は全12条からなり、第3条で「乳鉢は右回しを原則とするが、左利きの作業者を排除しない」と定め、第7条で「完成品の色は海藻の緑を基準とし、ただし曇天時には例外を認める」と記した。
もっとも、後年の調査でこの宣言書には3種類の筆跡が混在していることが判明し、実際には1日の会議で作成されたのではなく、からにかけて断続的に追記された可能性が高いとされる。なお、署名欄のひとつに「P. Pesto」とだけ記されている箇所があり、誰なのかは現在も不明である[3]。
論争の主要論点[編集]
松の実の数[編集]
最大の争点は、1瓶あたりに何粒の松の実を入れるべきかという問題であった。保守派は「11粒が伝統である」と主張したのに対し、実務派は「17粒を超えると攪拌時に油膜が厚くなる」と反論した。の料理雑誌『La Cucina Tecnica』は1929年号で、検証用に84本の試験瓶を用いた比較実験を掲載し、13粒案が最も失敗が少ないと報告したが、同号の編集後記では「13という数字自体が不吉である」と書かれており、結論はやや曖昧である。
このため、家庭用商品では「内容量ではなく香気を重視する」との表現が広まり、実際の粒数が7粒から19粒まで大きく揺れる事態が続いた。これが「同じジェノベーゼなのに家ごとに味が違う」と言われる理由のひとつとされる。
乳化の順序[編集]
次に問題となったのが乳化の順序である。の調理研究家アラン・W・クロスは、油を先に入れる方式を「静的乳化」と呼び、の食卓科学者エレーヌ・モレルは、葉を先に潰す方式を「生物的乳化」と命名した。両者はの公開討論で、銀製スプーンを用いた攪拌試験を行い、開始から6分40秒でソースが完全に分離したことをめぐって互いに勝利宣言を出した。
この分離はむしろ論争を深め、以後は「別れても美味いなら成立する」という逆説的な見解まで現れた。また、英国海軍補給局が軍用糧食に採用する際、分離を防ぐために寒冷地では瓶を毛布で包むよう指導したことから、ジェノベーゼ論争は軍需保温の文脈にまで拡張された。
家庭と学校への波及[編集]
後半には、論争は家庭教育に持ち込まれ、の女学校やの料理講習所でも教材として扱われた。特にの前身とされる私設研究会では、「バジリコを刻む音で子どもの集中力が測れる」として、調理実習の出席簿に香草の刻み回数を記録する独自制度が導入された。
一方で、家庭用ミキサーの普及により、手作業での配合をめぐる権威は急速に失われた。これに対抗して一部の師範学校では「機械で作ったジェノベーゼは論争の精神を欠く」として、わざわざ木製の乳鉢を温水で温める儀礼まで行われたという。
社会的影響[編集]
ジェノベーゼ論争は、食品の標準化が文化の画一化につながるかをめぐる象徴的事例として扱われた。とりわけの欧州では、保存食品の規格化が進む一方で、家庭料理の「正しさ」をめぐる感情的対立が拡大し、地方紙はこれを「緑の憲法問題」と呼んだ。
また、論争の副次的効果として、、、の三分野で統一書式が整備された。とくに港の卸売市場では、松の実の取引が月末締めから「週三回の色見本提出制」に変わり、商人の事務負担が増えたものの、返品率は約18%減少したとされる。なお、この数字は当時の商工会報告と一致しないとの指摘もある[4]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそも「ジェノベーゼ」と呼ばれる配合に全国共通の起源があるのかという点であった。歴史家のは、論争の大半が後年の広告代理店によって再構成された「伝統の発明」に過ぎないと主張し、これに対して料理保存協会は、少なくとも以前の試食記録が複数存在すると反論した。
もっとも、ベリーニの反論文の末尾には「ただし試食の照明条件が黄味がかっていたため、緑の識別には注意を要する」と記されており、彼自身も完全な否定には踏み切れていない。近年では、論争そのものが実在したかどうかより、論争を語ることで各地の料理学校が自校の教義を正当化した事実のほうが重要である、とする見方が強い。
評価と位置づけ[編集]
今日ではジェノベーゼ論争は、、、が交差する事例として位置づけられている。単なるソースの配合問題としてではなく、近代における「味の標準化」がいかに社会制度へ浸透したかを示す典型例であるとされる。
一方で、一般向けの解説書ではしばしば「結局はおいしければよい」という結論に回収されがちである。しかし実際には、誰が乳鉢を回し、誰が松の実を数え、誰が『これが正統である』と言ったのかという権力関係が重要であり、その意味でこの論争は極めて現代的な問題でもある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ルイージ・マレンゴ『港湾香草検査報告書 第3巻第2号』ジェノヴァ市商工局, 1901年.
- ^ Margaret E. Thorn, 'On the Emotional Emulsification of Basil', Proceedings of the Turin School of Culinary Technology, Vol. 8, No. 1, 1903, pp. 14-39.
- ^ 清水辰三郎『香味配合と家庭教育』日本栄養文化研究会, 1935年.
- ^ Carlo Bellini, 'The Invention of Green Tradition', Journal of Mediterranean Food History, Vol. 12, No. 4, 1968, pp. 201-233.
- ^ Élène Morel, 'Static and Biological Emulsions in Coastal Sauces', Revue de Gastronomie Comparée, Vol. 5, No. 2, 1932, pp. 88-117.
- ^ 『ジェノヴァ暫定配合宣言 議事録抄』サン・ジョルジョ商工会館文庫, 1931年.
- ^ Henry P. Whitcombe, 'Pine Nut Arithmetic in Interwar Italy', The European Journal of Culinary Policy, Vol. 3, No. 7, 1974, pp. 55-81.
- ^ 『緑の憲法問題と地域料理』地方食文化叢書, 1941年.
- ^ A. W. Cross, 'The Matter of Left-Handed Mortars', London Gazette of Domestic Science, Vol. 2, No. 9, 1933, pp. 3-22.
- ^ 中村良介『瓶詰食品と色見本制度』東洋食料研究所紀要, 第11巻第6号, 1940年.
外部リンク
- ジェノヴァ食文化資料館
- 国際香味配合委員会アーカイブ
- リグーリア地方料理史研究会
- サン・ジョルジョ商工会館文庫目録
- 地中海保存食年報