ジャルヘナンポンコルコントランクラニストニアンクァイニアン=ロートンゲンニンハンベペルノムンモ・コトルリアニアン学派
| 提唱者 | エルンスト・ハルベルト・コトル、渡辺鋭二郎、マリー・デュポン |
|---|---|
| 成立時期 | 1897年頃 |
| 発祥地 | オーストリア帝国・ウィーン、のち上海共同租界 |
| 主な論者 | ユリウス・フォン・ライデン、李景衡、久世春馬 |
| 代表的著作 | 『確定しない確定』、『第七の反証手帖』 |
| 対立概念 | 整合主義、単線的実在論 |
ジャルヘナンポンコルコントランクラニストニアンクァイニアン=ロートンゲンニンハンベペルノムンモ・コトルリアニアン学派(じゃるへなんぽんこるこんとらんくらにすとにあんくぁいにあん=ろーとんげんにんはんべぺるのむんも・ことるりあにあんがくは、英: Jalhenanponkor Kontrankuranistniankuainian-Rotongen Ninhanbepernomunmo Koturianian School)とは、とを中心におくである[1]。末のとの往復書簡圏で形成されたとされ、後にの小規模な私設講読会で再構成されたことで知られている[1]。
概要[編集]
ジャルヘナンポンコルコントランクラニストニアンクァイニアン=ロートンゲンニンハンベペルノムンモ・コトルリアニアン学派は、との境界に位置づけられるである。一般には、対象を理解する際に「結論を急がないこと」ではなく、「結論の暫定性を制度として保持すること」を最重要視する立場として説明される[2]。
学派名は長大であるが、内部では単に「コトル派」と略されることもある。これは、の講義録整理担当だった書記官が、原題を写し取る際に紙幅を節約するため命名した符牒が定着したものとされる。ただし、この経緯は後年の弟子筋による回想に依拠しており、真正性にはなお疑問が残る[3]。
語源[編集]
「ジャルヘナンポンコル」は、古いの学術隠語で「断片化された前提」を意味するとされるが、現存する辞書には見えない語である。「コントランクラニスト」は系の語尾を模した造語で、「逆方向に配置された懐疑」を指すという説が有力である[1]。
「ニアンクァイニアン」はの「念観」に由来するとする説と、の港湾労働者が用いた符丁から生まれたとする説が併存する。なお、「ロートンゲンニンハンベペルノムンモ」は、の測量用語との音節遊戯が混交した結果として作られたとも、あるいは深夜の講読会で参加者が酒杯を回しながら順番に音を継ぎ足した結果だとも言われる[4]。
歴史的背景[編集]
この学派が成立した背景には、末のにおける実証主義の疲弊と、帝国都市における多言語的な知識流通の拡大があったとされる。とくにでは、哲学サークルが文化と接続し、1回の会合で平均3.7種類の論点が同時進行したという記録が残る[2]。
一方で、においては、通訳官、海運会社の会計、そして失職した数学教師が混在する読書会から、対象を「断定せずに保留する」独特の文体が育ったという。これを後に渡辺鋭二郎がに持ち帰り、の非公式講義で再構成したことが、日本語圏での普及の契機になったとされる。
主要な思想家[編集]
エルンスト・ハルベルト・コトル[編集]
エルンスト・ハルベルト・コトル(Ernst Hubert Kotter)は、学派の名祖とされる人物である。彼はに『確定しない確定(Die Ungeklärte Gewissheit)』を私家版で印刷し、知識は完全な証明ではなく「反証の延期」によって保存されると主張した。本人はの税務局員であったが、昼休みにだけ哲学を書いたため、原稿の余白に徴税番号が大量に残っている[5]。
渡辺鋭二郎[編集]
渡辺鋭二郎は、におけるコトル派受容の中心人物である。彼は頃、の下宿で『第七の反証手帖』を翻訳しつつ独自の註を加え、「概念は自らの否定を先に所有すべきである」と論じた。なお、彼の講義ノートには、毎回の授業で黒板を三分の一しか使わないという奇妙な規則があり、残りは「次回の反論のために空けておく」と説明されていた[6]。
マリー・デュポン[編集]
マリー・デュポンは出身の比較思想研究者で、学派の「感覚保留論」を洗練したとされる。彼女はの論文で、判断を停止するのではなく「判断の周囲に余白を設計する」ことの政治的意義を強調した。もっとも、当時の編集者はこれを詩論と誤認し、誌面の2頁半が脚注に変わったという逸話がある[7]。
基本的教説[編集]
コトルリアニアン学派の教説は、第一に「対象は単独では把握されず、常に補助的な誤読を伴う」とする点にある。これを彼らは「補誤性(Korrigierbarkeit)」と呼び、誤りを排除するのではなく、誤りが自己修正する速度を測定すべきだとした[2]。
第二に、学派はとの対立を固定的なものとはみなさず、観察者が対象に与える影響を「可逆的歪み」として評価した。ユリウス・フォン・ライデンによれば、真理とは到達点ではなく、3回以上の保留と2回の書き直しを経て初めて成立する形式であるとされた[3]。
第三に、同学派は「確信の強度」を倫理的徳目とみなす一般的傾向を批判し、むしろ確信を弱める訓練を重視した。このため、弟子たちは朝にへ反対意見のみを書き、昼にそれを朗読してから、夕方に半分だけ賛成する習慣を持ったとされる。
批判と反論[編集]
批判の側からは、コトルリアニアン学派は「慎重さを哲学に仮託しただけで、実際には何も断定していない」としばしば指摘された。とくに系の論者は、同学派の文章が長大な修飾句に埋もれやすく、結論が平均して4段落遅れると論じた[8]。
これに対して学派側は、断定の速度は共同体の暴力性と相関すると反論した。また、批判者の多くが要約しか読んでいないことを逆手に取り、「要約による誤読こそが対象理解の第一歩である」と主張した。なお、の会議では、反対派の講演が途中で「理解の棚上げ」を実演する形になり、観客が拍手と沈黙のどちらを先に行うべきかで10分以上揉めたという[9]。
他の学問への影響[編集]
では、テクストの異読を「欠陥」ではなく「準本体」とみなす校訂法が一部で導入された。またでは、調査票に「未決定」欄を常設する方式がこの学派から着想を得たとされる。実際、の周辺では、回答者の保留率が高いほど調査の信用度が上がるという、やや倒錯した評価法が提案された[10]。
への影響も大きく、未完の作品を完成作より高く評価する潮流の一部は、コトル派の「未決定の保存」概念を批判的に継承したものと位置づけられている。さらにでは、扉の位置を最後まで決めない設計手法が一時流行し、の私設図書館で実際に「開かないはずの扉」が3か所施工されたが、利用者の苦情により翌年撤去された[11]。
脚注[編集]
[1] E. H. Kotter, "Zur Theorie der aufgeschobenen Gewissheit," *Jahrbuch für späte Begriffsbildung*, Vol. 12, No. 3, pp. 41-67.
[2] 渡辺鋭二郎「補誤性の倫理」『東亜哲学雑誌』第18巻第2号、pp. 9-33。
[3] M. Dupont, "L'espace du doute partagé," *Revue des Idées Disputées*, Vol. 7, No. 1, pp. 112-129.
[4] Karl von Lüttgen, *Handbuch der Rotterdammischen Lautspiele*, Verlag am Ring, 1904.
[5] E. H. Kotter, *Die Ungeklärte Gewissheit*, Privatdruck, Wien, 1897.
[6] 渡辺鋭二郎『第七の反証手帖』青木講房、1920年。
[7] Marie Dupont, "La marge comme méthode," *Cahiers de Philosophie Comparée*, Vol. 4, No. 2, pp. 201-218.
[8] Friedrich Adler, "Kritik der langen Vorbehalte," *Archiv für Geisteskürze*, Vol. 9, No. 4, pp. 88-97.
[9] "Proceedings of the Heidelberg Symposium on Deferred Judgment," *Annals of Continental Skepticism*, Vol. 3, No. 1, pp. 5-54.
[10] H. C. Penning, "Ambiguity as Data," *London Review of Method*, Vol. 15, No. 6, pp. 301-319.
[11] 斎藤和真「未決定建築の実務」『現代構法季報』第5巻第1号、pp. 77-84。
関連項目[編集]
脚注
- ^ E. H. Kotter, "Zur Theorie der aufgeschobenen Gewissheit," Jahrbuch für späte Begriffsbildung, Vol. 12, No. 3, pp. 41-67.
- ^ 渡辺鋭二郎「補誤性の倫理」『東亜哲学雑誌』第18巻第2号、pp. 9-33.
- ^ M. Dupont, "L'espace du doute partagé," Revue des Idées Disputées, Vol. 7, No. 1, pp. 112-129.
- ^ Karl von Lüttgen, Handbuch der Rotterdammischen Lautspiele, Verlag am Ring, 1904.
- ^ E. H. Kotter, Die Ungeklärte Gewissheit, Privatdruck, Wien, 1897.
- ^ 渡辺鋭二郎『第七の反証手帖』青木講房、1920年.
- ^ Marie Dupont, "La marge comme méthode," Cahiers de Philosophie Comparée, Vol. 4, No. 2, pp. 201-218.
- ^ Friedrich Adler, "Kritik der langen Vorbehalte," Archiv für Geisteskürze, Vol. 9, No. 4, pp. 88-97.
- ^ "Proceedings of the Heidelberg Symposium on Deferred Judgment," Annals of Continental Skepticism, Vol. 3, No. 1, pp. 5-54.
- ^ H. C. Penning, "Ambiguity as Data," London Review of Method, Vol. 15, No. 6, pp. 301-319.
- ^ 斎藤和真「未決定建築の実務」『現代構法季報』第5巻第1号、pp. 77-84.
外部リンク
- コトルリアニアン研究会
- 帝国比較思想アーカイブ
- 未決定性文庫
- 上海講読会資料館
- 東京私設哲学史料室