スピキ
| 名称 | スピキ |
|---|---|
| 読み | すぴき |
| 英語 | Spiki |
| 起源 | 平安時代末期の陰陽道 |
| 主な用途 | 空間の気配の測定、港湾測量、災害予兆の判定 |
| 普及地域 | 日本、朝鮮半島沿岸、北米西海岸の一部 |
| 確立年 | 1189年頃とする説が有力 |
| 関連機関 | 内務省測気局、東京港湾技術研究会 |
| 派生技法 | 逆スピキ、波紋スピキ、夜燈スピキ |
スピキ(すぴき、英: Spiki)は、末期のに起源を持つとされる、音の反響を利用して「空間の気配」を可視化するためのである。後にと結びつき、を中心に都市防災の補助技術として普及したと伝えられている[1]。
概要[編集]
スピキは、対象空間に小石状の共鳴具「尖具」を置き、発声や打音の戻り方を読んで、内部に滞留する湿気・人数・感情の偏りを推定する技法である。古くは寺社の厄除けに用いられたが、期にの地質学者・が港湾の空洞判定に転用したことで、準科学的な位置づけを得たとされる[2]。
もっとも、現存する最古の記録である『尾張反響秘録』には、スピキは「鳴らして困るものを知る術」とだけ記されており、後世の解説がかなり付け足されているとの指摘がある。なお、の漁村では、嵐の前に犬が吠える代わりにスピキを行う習俗があったとされ、現在でも一部の町内会で年始の安全祈願に模倣的に実施されている[3]。
起源[編集]
陰陽道との接点[編集]
スピキの起源は、後半のにいた陰陽師・が、蔵の壁内で反響する声を頼りに鼠の巣を探した逸話に求められる。兼保はこれを「響きの筋を読む」と呼び、石灰の粉を撒いて戻り音の濁り方を比較したという。この手法がのちに「すぴき」と訛り、の寺院修理で広まったとされる[4]。
ただし、兼保の実在性については文献によって揺れがあり、同時代史料には「賀茂の者、声を測る」とだけあるものもある。研究者の間では、単独の発明というより、・・で個別に存在した反響観察法が、後に一つの名称へ統合されたとみる説が有力である。
港湾測量への転用[編集]
、横浜税関の臨時顧問であった英国人技師が、波止場の石組みの緩みを確認するため、船員に短く唱和させる独自の検査法を提案したことが、近代スピキの転機となった。これにの測量官・が着目し、反響の差を数値化した「スピキ指数」を作成したとされる[5]。
荒井の試算では、同一の倉庫でも潮位差で指数が平均変動し、夏季は湿度を超えると誤判定が急増したという。もっとも、このデータは後年の再現実験で大半が再現されず、測定者の声質に左右される割合が想定より大きかったことから、学術的評価は割れている。
方法[編集]
基本手順[編集]
標準的なスピキは、直径の尖具を、対象空間の四隅と中央、さらに出入口の上部に配置し、被験者が一定の抑揚で「スピ、スピ、キ」と唱えることで行われる。戻り音が「乾く」「丸い」「二重に割れる」のいずれに近いかを判定し、からまでの七段階で空間の偏りを記録する。
地方によっては、尖具の素材に、、を使い分ける流派があり、の一部では鍋蓋を代用品とする「即席スピキ」が一般化した。これにより、冠婚葬祭の前に式場の気配を測る慣習が生まれたが、司会者の声が大きすぎて結果が毎回になるとして問題になった。
夜燈スピキ[編集]
期にの下町で考案された夜燈スピキは、行灯の火影が尖具に落とす影の長さを読み、停電時の安全導線を判断する派生技法である。発明者とされる料理店主・は、関東大震災後の仮設市場でこの方法を広め、にはの講習会でも紹介されたという[6]。
木田は、影が三角形に見えるときは通路が「喜んでいる」、四角形に見えるときは「疲れている」と説明したため、受講者の半数が笑いをこらえた記録が残る。ただし、後年の聞き取りでは、木田自身が測定理論を理解していたかは不明であり、実際には避難訓練の心理的緊張をほぐすための比喩だったと見る向きもある。
逆スピキ[編集]
逆スピキは、通常とは逆に、空間に人を入れず、空のまま打音のみを繰り返すことで「欠けているもの」を判定する方法である。これはの点検で有効とされたが、校舎が空なのに体育教員だけが毎回気配として検出されるため、教育委員会で論争になった[7]。
ののある中学校では、逆スピキの結果に基づき「音楽室に未練がある」と判定された旧ピアノが保存され、のちに地域の観光資源となった。これが「物にも気配が残る」というスピキ思想の広まりを促したとされる。
歴史的展開[編集]
30年代には、スピキはの一部外郭団体であるの準推奨技法となり、地下道、倉庫、給食室の点検に広く用いられたとされる。特にの整備計画では、埋め立て地の空洞判定にスピキを併用した結果、地下水の流路を偶然に言い当てたとして脚光を浴びた[8]。
一方で、以降は、音響工学の進展とともに「再現性が低い」「担当者の気分に左右される」と批判され、公式の測量手法からは外れていった。ただし、やでは「場を整える儀式」として生き残り、現在でも宿泊前点検や祭礼の前に細々と行われている。
社会的影響[編集]
スピキは、技術というよりは空間を「読まれるもの」とみなす感覚を日本社会に浸透させた点で影響が大きいとされる。建物の安全確認を、数値だけでなく声・足音・沈黙まで含めて評価する発想は、やの初期議論にも影響を与えたといわれる[9]。
また、のいくつかの自治体では、スピキ式の「静かな避難訓練」が高齢者に好評で、訓練参加率が上昇したという調査もある。ただし、この調査は町内会の回覧板のみで集計されており、学術的な扱いは慎重である。
批判と論争[編集]
スピキに対する批判の中心は、測定者依存性が極端に高いことである。とりわけのは、同一の会議室で5人の実施者が全員異なる等級を出したことを挙げ、「理論より呼吸の癖が支配的である」と辛辣に評した[10]。
また、にはの老舗旅館が、宿泊客に対して「館内スピキの結果、廊下はやや物思いにふけっている」と掲示したことで、観光案内と迷信の境界をめぐる論争が起きた。旅館側は「安全確認の詩的表現」と説明したが、翌週には「詩的すぎる」との苦情が寄せられたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬重一郎『港湾と反響の民俗学』東京帝国大学出版会, 1912.
- ^ 荒井善蔵『スピキ指数試算法』内務省測気局報告 第3巻第2号, 1881, pp. 14-39.
- ^ Edgar W. Milner, "Echo and Pier Stability in Yokohama", Journal of Imperial Harbor Studies, Vol. 7, No. 1, 1879, pp. 3-21.
- ^ 木田サキ『夜燈スピキ入門』大阪市電気局資料室, 1925.
- ^ 村瀬英治『空間反響判定の再現性』東京工業試験所紀要 第12号, 1964, pp. 88-104.
- ^ 賀茂兼保『尾張反響秘録』写本, 1189年頃.
- ^ S. Nakamoto, "Spiki Practices in Coastal Japan", Pacific Sound Anthropology, Vol. 4, No. 2, 1972, pp. 55-73.
- ^ 田中芳枝『建築における気配の測定』岩波書店, 1989.
- ^ Martha L. Fenwick, "The Measured Silence: Folk Diagnostics and Urban Safety", American Journal of Vernacular Engineering, Vol. 11, No. 4, 1991, pp. 201-229.
- ^ 『都市空隙調査委員会年報』建設省外郭資料, 1964.
- ^ 早川仁『スピキと学校施設点検』教育空間研究社, 1971.
外部リンク
- 日本スピキ協会
- 横浜港反響アーカイブ
- 都市空隙調査委員会資料室
- 夜燈スピキ保存会
- 尾張反響文庫