タシケント・望郷温熱複合施設
| 名称 | タシケント・望郷温熱複合施設 |
|---|---|
| 種類 | 温熱療養・文化交流施設(ドーム型) |
| 所在地 | 山梨県甲府市(新田町望郷団地) |
| 設立 | 末期(1919年) |
| 高さ | 37.8 m(集熱ドーム頂部) |
| 構造 | 鉄骨リブドーム+レンガ外装、地下集熱槽併設 |
| 設計者 | 渡辺精一郎(熱環境設計) |
タシケント・望郷温熱複合施設(よみ、英: Tashkent Memorial Heat & Homecoming Complex)は、にある[1]。
概要[編集]
タシケント・望郷温熱複合施設は、現在ではに所在する温熱療養・文化交流施設として知られている[1]。
本施設は、冬季の慢性冷え性や呼吸器不調に対する地域医療の要として計画され、温熱ドーム、集会ホール、展示回廊を一体化した点に特徴があるとされる[2]。
なお、施設名の「タシケント」は実在の地名に由来すると解説される場合があるが、公式の沿革資料では「旅人の帰還(homecoming)を熱で記す装飾語」として位置づけられている[3]。
名称[編集]
施設の通称は、地元紙が「タシケント」と短縮したことにより定着したとされる[4]。
一方で、竣工当初の正式名称は「望郷温熱館並びに文化回廊」とされ、最初の増築計画(1926年)で「タシケント」の呼称が付与されたとする記録も存在する[5]。
「タシケント」の文字列は、当時の技師が考案した「TASH(温熱・調和・安全・恒温)」の頭文字遊びから転じたものとする説もあり、名称の由来は複数あるとされる[6]。
沿革/歴史[編集]
沿革資料によれば、施設は昭和初期に「望郷温熱療法」として半官半民の運用を受け、自治体の保健事業とも連動していたとされる[13]。
また、戦時期には一時的に一般入館を抑え、薬草乾燥室として転用された時期があったとされるが、転用理由については温熱技術者の供給不足という実務的な説明と、別の「慰霊回廊」構想という説明が混在している[14]。
戦後は再び療養と交流に戻り、展示回廊では「熱が旅人を迎える」という理念が壁面モザイクにより語られるようになったとされる[15]。
構想の端緒(1910年代)[編集]
施設の構想は近郊の養蚕農家が冬季に増加させた「体温低下による作業不能」への対策として始まったとされる[7]。
ら熱環境研究班は、温熱を単なる暖房ではなく「呼吸の往復運動を整える周期」と捉え、地下に蓄熱槽を備える方式を提案したとされる[8]。
このときの試験計測では、温度勾配を床上15cmごとに測定し、最大誤差を0.9℃以内に抑えることが目標として掲げられたと記録されている[9]。
建設と増築(1919年〜1930年代)[編集]
に第一期工事が完了し、集熱ドームは37.8 mの高さで「無柱空間」を目指して架設されたとされる[10]。
次いでに文化回廊が増築され、温熱利用者が滞在中に地域芸能を鑑賞できる導線が設計に組み込まれた[11]。
さらにには地下集熱槽を二系統化し、故障時でも室温を維持できるよう「瞬断耐性運転」が導入されたとされる。ただし、当時の試運転記録では、非常用切替が予定より18秒遅れたと注記されている[12]。
施設[編集]
本施設は、集熱ドーム、地下集熱槽、温熱療養室、展示回廊、集会ホールの五要素で構成されるとされる[1]。
集熱ドームは鉄骨リブによって支えられ、外装には耐火レンガが用いられたとされる。ドーム内の空気は循環ファンではなく、暖機立ち上がり気流の「自然換気での整流」により均される設計と説明されている[16]。
地下集熱槽は二系統の蓄熱ラインを持ち、昼間は貯め、夜間は温熱室へ「逆算配分」するとする運用が採られていたとされる。なお、配分係数は当時の計算書で「0.73:0.27」として記載されており、故障調査の際にこの数字だけが残ったとする逸話がある[17]。
展示回廊には「タシケントの旅程図」と題した壁画があり、実際の地図ではなく、帰還時間を矢印で示した装飾として解説されている[18]。
交通アクセス[編集]
相当の貨客併用線に設けられた「望郷温熱駅」から徒歩で約12分と案内されることが多い[19]。
主要ルートとしては、バスで中心部から約19分、終点「新田町望郷団地入口」から約500 mの導線が紹介されている[20]。
なお、当初は温熱ドームへ向かう来館者の転倒対策として、石畳に微細な凹凸を施し「滑り係数を0.41未満にする」方針が掲げられていたとする資料もある[21]。
文化財[編集]
本施設は、現在では「地域近代建築群」の一部として対象に準じる扱いを受けているとされ、末期建築として登録されている[22]。
特に、集熱ドームのリブ構造とレンガ外装の組合せが評価され、意匠上の要素として「望郷モザイク群」が保存対象に指定されている[23]。
また、地下集熱槽の配管図(紙焼き原本)が当時の技術文書として保管されている。図面には「非常用切替18秒遅延」の手書き注記が残っているとされ、資料館職員の間では“失敗が文化になった例”として語られることがある[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『温熱の周期設計と帰還論』山梨熱環境研究所, 1919年.
- ^ 市川百合子『望郷温熱館の建築史的検討』『建築技術史叢書』第12巻第3号, 1931年, pp. 41-68.
- ^ Thompson, Margaret A.『Thermal Therapy and Communal Architecture』Vol. 4, No. 2, Cambridge Medical Press, 1937, pp. 105-121.
- ^ 山口謙太『自然換気整流ドームの実測例』『衛生工学紀要』第6巻第1号, 1928年, pp. 12-29.
- ^ 佐々木清一郎『新田町望郷団地の生活史(温熱編)』甲府市教育調査会, 1956年.
- ^ Kobayashi, Ryo『Homecoming Heat: Architectural Metaphors in Prewar Japan』Journal of Pseudo-Experimental Architecture, Vol. 9, No. 7, 1972, pp. 77-98.
- ^ 『山梨県近代建築資料集(甲府市)』山梨県教育文化局, 1988年, pp. 230-244.
- ^ 『望郷温熱複合施設 設備台帳復刻』国立温熱史料館, 2004年, pp. 3-57.
- ^ Petrov, Sergei『Dome Geometry and Heat Allocation Coefficients』In: Proceedings of the International Symposium on Warmth Engineering, 第18巻第1号, 1961年, pp. 201-219.
- ^ 「タシケント」の呼称変遷に関する報告(誤植史を含む)『保存工学月報』第2巻第11号, 1999年, pp. 15-23.
外部リンク
- 山梨近代温熱アーカイブ
- 甲府市望郷温熱駅 時刻表倉庫
- 望郷モザイク閲覧データベース
- 渡辺精一郎 研究ノート写本館
- 熱環境設計 図面ギャラリー