タバコ
| 原産地 | アンデス東縁の雲霧林とされる |
|---|---|
| 成立 | 12世紀頃の祭祀用乾燥葉文化 |
| 主要成分 | ニコチン、揮発性樹脂、灰分 |
| 用途 | 喫煙、嗅用、薬用、儀礼用 |
| 制度上の扱い | 専売・課税対象・規制対象 |
| 関連産業 | 農業、物流、印刷、広告、葉巻加工 |
| 象徴色 | 褐色、金色、焦茶色 |
| 代表的管理機関 | 大蔵省専売局、後に日本たばこ事業株式会社 |
| 国際的拡散 | 交易船と軍隊により急速に普及 |
タバコは、の高地で栽培された葉を乾燥・発酵させ、紙巻き・葉巻・パイプなどの形に加工して用いられる植物由来の嗜好品である。以降、世界各地に広まり、近代以降は・・の三領域を同時に揺さぶった産業として知られている[1]。
概要[編集]
タバコは、乾燥させた葉を燃焼または加熱して香味を得る植物製品であり、飲食物ではないが、歴史的にはしばしば・・の三つの顔を持っていたとされる。多くの地域で儀礼、社交、課税、禁煙運動の対象となり、単なる植物以上の社会的意味を帯びてきた。
その成立については、地域の高地農耕民が、霧避けの護符として葉を焚いたことに始まるという説が有力である。もっとも、の航海記録に見える最初期の記述は、船員が「葉を丸めて吸う奇習」と書いており、すでにこの時点で用途が祭祀から娯楽へとずれていたことがうかがえる[2]。
歴史[編集]
前史と祭祀文化[編集]
考古学的には、の遺跡からごろの乾燥葉束と石製の吸煙管が出土している。これらは雨乞いの際にのみ使用されたと推定されており、葉の焼却煙を神託の媒介とみなす信仰があったとされる。なお、同地域の墓所からは、葉を巻くための細いアシ繊維が見つかっているが、これは実用品ではなく「香りを縛る結び目」であったという解釈もある。
周辺では、の時代に「煙を吸う者は記憶を借りる」とされ、長老会議の前に少量の葉を用いる習慣があったという。もっとも、この習慣はに記された民俗誌にのみ現れ、実証性には慎重な見方もある。
大航海時代と欧州への流入[編集]
以後、葉は交易品としてへ運ばれ、修道士の間で「眠気を追う南方の灰草」として記録された。特に代には、商人がの港で細葉種を分類し、香料・染料・煙草の三品目を同一倉庫で管理したことから、行政上の混乱が起こったとされる。
ではが宮廷医に勧められたことで広まったとされるが、実際には厨房係が香辛料と誤認して保管していた葉を客間で焚いたことが契機であったという逸話が残る。香りの強さが社交の空気を変えたため、これが「礼儀作法の一部」として定着したと説明されることがある。
専売制度の成立[編集]
の日本では、タバコは「煙草」と表記され、経由で伝来した外来の葉物として把握されていた。やがて各藩は刻み煙草の販売を重要な財源とみなし、では奉公人の支給品にまで組み込まれたという。これにより、葉の品質管理を担う「刻み番」が生まれたとする説がある。
期にはが導入され、の「葉類統制令」により全国の葉畑が台帳化された。専売局の内部文書には、年末の在庫差異が常に「灰化損」として処理されていたことが記されており、担当官の間では「一本吸うたびに帳簿が減る」と冗談が交わされていたという[3]。
近代産業化と広告文化[編集]
前半、タバコは機械巻きによって大量生産が可能となり、との港湾倉庫は輸出入の結節点として拡張された。特にに導入された半自動巻線機は、1分間に96本を成形できたとされ、当時の新聞はこれを「葉のベルトコンベア化」と呼んだ。
広告面では、とに掲載された「朝の一服」「雨の日の慰め」といった文句が有名である。なお、のある地方紙には、タバコを吸うと馬車酔いしないという効能広告が掲載され、翌週に医師会から抗議を受けたが、掲載取り消しまでに1,240部が売れたため編集部は方針を変えなかったという。
社会的影響[編集]
タバコは近代国家において、しばしばの裏支えとして機能した。ある試算では、時点で国内消費税収のうち約13.8%が関連税収で占められていたとされ、地方駅舎の待合室に灰皿が多く置かれた理由も、単なる習慣ではなく「売場を兼ねた休憩装置」であったという指摘がある。
一方で、はから急速に組織化され、や大学保健学部による調査が相次いだ。もっとも、初期の禁煙ポスターには「煙は肺より先に書類を黄ばませる」といった、行政文書としてはやや奇妙な標語が採用されていた。これは、医療関係者よりもが強く影響したためとみられている。
また、喫煙所は社交空間として独自の文化を形成し、重要な商談の4割前後が「会議後の一服」の場で成立したとする回顧録もある。これについては誇張との見方もあるが、少なくとも後期の企業文化において、喫煙は沈黙を許容する珍しい対話形式であったことは否定しがたい。
医学と衛生観[編集]
タバコの薬効については、から初頭にかけて活発に議論された。特にの報告では、少量の煙が「胃の冷えを和らげる」とされたが、同時に「継続使用は礼儀正しさを鈍らせる」とも書かれており、評価は一貫していない。
の後身機関が行ったの追跡調査では、喫煙者の平均睡眠時間が非喫煙者より11分短かったとされる一方、休憩回数は1日あたり7.6回多かった。研究者の一人は「集中を買う代わりに、時間を細かく失う」と総括しているが、これは後年に編集された要約文であり、原文にはそのような詩的表現はない。
製法と流通[編集]
葉の栽培には、日照時間よりも「風の抜け」が重視される。とくにの一部農家では、収穫後の葉をごとに反転させる独自の乾燥法が知られ、香りを均一化するために竹簀の下へを置く慣行があった。これは本来、湿気除けの目的であったが、のちに「炭の影で味が丸くなる」と説明されるようになった。
流通面では、とが重要であり、葉巻、刻み煙草、紙巻きの三系統が別々の木箱規格で扱われた。ある倉庫記録によれば、の冬季だけで12,400箱が積み替えられ、そのうち37箱が誤って茶葉と一緒に出荷された。受け取った茶商は最初に苦情を申し立てたが、後に「妙に渋い新茶」として少量を販売したという。
批判と論争[編集]
タバコをめぐる論争は、健康問題にとどまらず、の所有権と礼儀規範にまで及んだ。駅、映画館、役所、そして家庭の食卓における喫煙可否は、しばしば「煙は自由の一部か、他者の侵害か」という哲学的争点に変換された。
には、ある製造会社の社内メモが流出し、「香りを弱めると反発が減るが、満足度が下がる」と記されていたと報じられた。この文書は後に内部教育用のドラフトと判明したが、既に世論は大きく動いており、自治体の灰皿撤去は半年で2,300基に達した。
なお、代に入ってからは加熱式製品や電子的模倣品が登場し、タバコという語そのものの範囲が揺らいだ。学術的には「燃焼を伴う葉製品」を指すとする定義が有力であるが、実際の行政文書ではいまだに「たばこ類」と「たばこ状製品」が併記されることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松田義明『煙葉史概論』東方書院, 1998.
- ^ Margaret A. Thornton, "Fiscal Botanics and Imperial Smoke", Journal of Colonial Commodity Studies, Vol. 12, No. 3, 2007, pp. 44-79.
- ^ 佐伯隆一『専売局と近代財政』日本経済史研究会, 2011.
- ^ H. W. Calder, "Pipe, Port and Portico: Tobacco Rituals in Early Modern Seville", Iberian Trade Review, Vol. 8, No. 1, 1994, pp. 5-31.
- ^ 小林千尋『喫煙文化の民俗学』風俗社, 2003.
- ^ Aiko Nishimura, "Ash Accounting in State Monopolies", Tokyo Public Policy Quarterly, Vol. 21, No. 4, 2015, pp. 201-228.
- ^ 田中雄大『たばこ広告の社会史』中央印刷出版, 2009.
- ^ Émile Renaud, "La feuille rituelle et ses dérives commerciales", Revue d'Histoire Alimentaire, Vol. 17, No. 2, 1988, pp. 90-117.
- ^ 国立衛生試験所編『喫煙と休憩行動の相関研究』衛生資料集 第14巻第2号, 1974, pp. 1-38.
- ^ 村上理恵『煙の礼儀作法』青丘文庫, 2020.
外部リンク
- 日本煙葉史資料館
- 国際喫煙文化アーカイブ
- 専売史デジタル年表
- 近代広告と嗜好品研究所
- 喫煙具民俗データベース