ダイナミックファイターズ
| 名称 | ダイナミックファイターズ |
|---|---|
| 英名 | Dynamic Fighters |
| 分類 | 集団演技体系・競技的訓練法 |
| 起源 | 1958年頃、東京都内の劇場併設訓練施設 |
| 提唱者 | 倉田義三郎、マーガレット・L・ハウエル |
| 主な実施場所 | 学校、企業研修所、地域体育館 |
| 特徴 | 掛け声、反復回転、隊列変更、指数表採点 |
| 流行期 | 1964年 - 1978年 |
| 派生 | 簡易版ダイファイ、静音型DF、耐雨式DF |
ダイナミックファイターズ(英: Dynamic Fighters)は、において発達したとされる、複数人が同一の動作テンポを共有しながら疑似的な戦闘効率を競う集団演技体系である。にで制度化されたとされ、のちにやへと応用された[1]。
概要[編集]
ダイナミックファイターズは、30年代後半に広まったとされる集団演技の一種である。名称は「動的な闘争者」を意味するが、実際には殴打や接触を伴わず、、、の精度を競う点に特色があった。
当初はの周辺で「身体統制の新教材」として注目されたが、後年には企業の朝礼、自治体の防災訓練、さらには商店街の年末イベントにまで拡散したとされる。もっとも、の『週刊スポーツ評論』が「競技名だけが勇ましく、内容はほぼ整列である」と評したように、当時からその実体には疑義があった[2]。
歴史[編集]
誕生と制度化[編集]
起源については、にの旧・東洋演劇研究所で、舞台俳優の姿勢訓練と学校体育の合同講習が行われたことに求める説が有力である。講習の記録では、倉田義三郎が「人は横に並ぶと必ず競争を始める。ならば並ばせたまま競わせればよい」と述べたとされ、これが競技の骨格になったという[3]。
同年秋、米国の身体教育研究者マーガレット・L・ハウエルが訪問団の一員として来日し、の臨時実演を見学した。彼女はこれを「uniform momentum drills」と仮訳し、のちにの非公開報告書において「日本的な集団美の極点」と記したとされる。なお、この報告書は現在も所在不明である。
普及期[編集]
の前後には、観光案内所や鉄道会社の職員訓練に採用されたことから知名度が急上昇した。特にの一部支局では、発車ベルに合わせて三列隊形から五角形へ移る「五角展開」が話題となり、見学者が一日に平均243人に達したという記録がある[4]。
一方で、にで行われた公開大会では、審査員の採点基準が「統率」「気迫」「靴音の均質性」「一度に向く方向の美しさ」の4項目に分かれていたため、観客の理解が追いつかず、後方座席では「いま何を競っているのか分からない」という声が相次いだとされる。これを受け、運営側は翌年から解説用の黒板を導入した。
衰退と再評価[編集]
後半になると、単純な行進訓練との差異が曖昧であるとして批判を受け、学校教育現場では次第に姿を消した。ただし、地方自治体の防災訓練や大型ショッピングセンターの開店記念式典では、むしろ「事故が起こりにくい演目」として重宝された。
にはの特集番組『動作の民主主義』で再紹介され、若年層の研究者が「身体史の失われた中間項」として再評価した。もっとも、番組中で実演された簡易版は、出演者12名中7名が同じ方向に回転できず、結果として通常のラジオ体操に近い見た目になったことが、逆に話題を呼んだ。
競技規則[編集]
ダイナミックファイターズの基本規則は、3名以上のチームが60秒から180秒の範囲で指定課題を演じ、指定された拍数内に隊列変化を完了させるというものである。得点は100点満点で、最も重視されるのはとである。
課題には「縦列から菱形へ」「無音での右斜め前進」「3拍遅れの合流」などがあり、上級大会では「屋外で風速4メートル以上の条件下での静止保持」が加わることもあった。これが導入された理由については、審判の一人が「雨の日に強い者が本当に強い」と主張したためとされるが、要出典とみられている。
ユニフォームはを基調とし、袖口に赤い三本線を入れる慣例があった。これは元来、舞台照明下で腕の角度を見やすくするための工夫であったが、のちに企業ロゴと誤認され、スポンサー付き大会では袖だけが異様に派手になる現象が生じた。
社会的影響[編集]
本概念は、単なる演技法にとどまらず、の集団規律観にも影響を与えたとされる。特にの『月刊人事と訓練』は、ダイナミックファイターズ式の「合図に対する即応」を導入した部署では、朝礼開始から着席までの平均時間が31秒短縮したと報告した[5]。
また、への導入は賛否を呼んだ。推進派は「協調と空間認識を同時に鍛える」と評価したが、反対派は「競争のふりをした整列に過ぎない」と批判した。なお、のある中学校では、冬季の体育館床が滑りやすかったため、実施後に生徒の動きが全体的に柔らかくなり、結果的に『優雅型DF』と呼ばれる地方変種が生まれたという。
派生文化[編集]
には、商業施設の販促部門がこれを応用し、開店直後の客導線を「ファイターフロー」と称して案内する手法が登場した。特にの大型百貨店では、エスカレーター前で店員4名が半円形に展開するだけの演出が、なぜかテレビCMで使用され、一定の効果を上げたとされる。
また、地方の青年会では「静音型ダイナミックファイターズ」と呼ばれる応用形が発展し、太鼓の代わりに手旗と口笛だけで行う流派も現れた。これについての郷土史家は、「本来の競技性が薄れ、ただの妙に丁寧な盆踊りになった」と評している[6]。
には漫画雑誌で「必殺の三角再編成」などの必殺技として描かれ、一般にはそちらの印象のほうが強く残った。結果として、実際の競技経験者より、架空の必殺技名を暗唱できる者のほうが多いという逆転現象が起きた。
批判と論争[編集]
最大の論争は、そもそもダイナミックファイターズがなのかなのかという点にあった。競技団体側は「採点がある以上、競技である」と主張したが、宗教学の分野からは「集団身体による近代的通過儀礼」と解釈する見解も示された[7]。
さらに、の全国大会決勝で、優勝チームの「第3拍目の右回転」が審判ごとに異なる角度で記録され、採点表が合計で14点も食い違った事件がある。この混乱はのちに「回転角度事件」と呼ばれ、公式記録集では2ページにわたって説明されているが、肝心の角度図が手描きであるため、現在でも解釈が分かれている。
には匿名の元審判が、実は大半の大会で採点の基準が「前列に座った委員長の機嫌」で補正されていたと証言し、軽い騒ぎになった。ただし、この証言以外に裏付けはなく、関係者の多くは「当時の空気としてはあり得る」とだけコメントしている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 倉田義三郎『集団動作の新様式』体育文化社, 1960.
- ^ Margaret L. Howell, “Uniform Momentum Drills in Postwar Japan”, Journal of Comparative Physiology of Movement, Vol. 12, No. 3, 1962, pp. 141-168.
- ^ 東郷健一『朝礼と演技のあいだ』中央訓練出版, 1968.
- ^ 佐伯里子「ダイナミックファイターズの地域変種」『身体文化研究』第8巻第2号, 1973, pp. 55-79.
- ^ James R. Caldwell, “Collective Tempo and Civic Discipline”, Asian Performance Review, Vol. 4, No. 1, 1975, pp. 9-33.
- ^ 永瀬澄夫『動作の民主主義――昭和身体史ノート』みすず書房, 1993.
- ^ 河合由紀「回転角度事件の再検討」『体育史年報』第21号, 2002, pp. 201-219.
- ^ 山本一也『企業研修の民俗学』同文館出版, 2005.
- ^ Patricia W. Ender, “The Aesthetics of Standing in Lines”, The Review of Urban Rituals, Vol. 9, No. 2, 2011, pp. 88-104.
- ^ 田村春彦『ダイナミックファイターズ入門、あるいは整列の哲学』青弓社, 2018.
外部リンク
- 日本集団演技史資料室
- 東京都身体文化アーカイブ
- ダイナミックファイターズ保存協会
- 昭和動作研究フォーラム
- 企業朝礼文化研究所