ダビマス
| 名称 | ダビマス |
|---|---|
| 別名 | 系譜式育成遊戯 |
| 起源 | 1980年代後半の東京・神保町周辺 |
| 提唱者 | 佐伯 恒一郎、牧野 朱里 ほか |
| 主な用途 | 競走馬の配合設計、記録競争、血統図鑑の共有 |
| 中核施設 | 中央配合研究会、帝都データ牧場 |
| 流行期 | 1994年 - 2008年 |
| 関連分野 | 競馬学、家系統計、遊戯史 |
| 標語 | 系譜は走る、数字は語る |
ダビマスとは、で生まれた競走馬育成・配合・記録収集を一体化させたシミュレーション文化であり、の継承を可視化するために作られたとされる。後にの一部研究者の間で「馬の成績より、系譜の整合性を眺める行為」そのものを指す語として定着した[1]。
概要[編集]
ダビマスは、競走馬の能力を単なる勝敗ではなく、・・の組み合わせとして評価する文化体系である。元来はの外郭団体が行っていた配合検討会の俗称にすぎなかったが、のちに一般向けの記録ソフトと合流し、独自の遊戯ジャンルへ発展したとされる[2]。
特徴は、レース結果よりも「どの組み合わせで何世代先に妙な安定性が出るか」を重視する点にある。愛好家のあいだでは、の芝の反応値や、の風向きまで血統表に書き込む習慣があり、これが後年のデータ偏愛文化の先駆けになったとする説がある[3]。
起源[編集]
神保町配合メモ期[編集]
起源はごろ、の古書店街で行われていた競馬ファン向けの私的勉強会にさかのぼるとされる。そこでが、新聞馬柱を切り貼りして作った「再現不能な血統表」を公開し、参加者がそれを読み解く遊びを始めたのが始まりである[4]。後年、この切り貼り技法が「ダビマス式」と呼ばれたが、当時の参加者は半分以上が用途を理解していなかったという。
にはが、配合候補を鉛筆で点数化する「九点法」を導入し、各馬に気性値・根性値・湿度適性の三項目を付与した。なお、この湿度適性はの牧場見学で寒さに震えた牧野が思いついたとされるが、同席者の証言が食い違っており、要出典の対象になりやすい。
データ牧場化[編集]
、の貸会議室で「帝都データ牧場」が設立され、ダビマスは手書きの趣味から半ば学術的な集計遊びへ移行した。ここではの架空繁殖牝馬を用いた実験が行われ、同一配合を繰り返したところ、なぜかだけ「やけに雨に強い」個体が生まれたという記録が残る[5]。
この実験の影響で、ダビマスには「見えない再現性を信じる」という思想が加わった。のちに一部の参加者は、配合の成功よりも再現失敗の記録を重視し、失敗例を用紙にわたって綴じたため、研究会の会計担当が紙代の請求に絶句したと伝えられる。
展開[編集]
家庭用端末への拡散[編集]
ごろから、ダビマスは家庭用端末に移植されたとされる。初期版はを要し、読み込み中に血統図が微妙に揺れる仕様があったが、利用者はこれを「馬が考えている時間」と解釈した。特にの学校帰りの少年層に浸透し、ノートに配合表を写してから帰宅する行動が流行した[6]。
この時期、プレイヤー同士は「勝つ馬」ではなく「祖父母の段階で妙に整っている馬」を称賛するようになり、評価軸が逆転した。実際、の愛好家大会では、優勝者がを記録した一方で、審査員特別賞はを示した参加者に与えられている。
学術化と官僚化[編集]
にはの一部研究班が、ダビマスの配合記録を家畜改良データの参考資料として扱い始めたため、文化は一気に官僚化した。これにより、用語も「相性の良い組み合わせ」から「統計的整合性の高い交配案」へと置き換えられ、愛好家の間で強い反発が起きた[7]。
ただし、一部の官僚はむしろ熱心な参加者であり、当時のでは昼休みに血統表を回覧する慣行があったという。特にの地下食堂で行われた非公式会合では、の課長補佐が「芦毛は冬に強い」という根拠不明の仮説をめぐって議論したとされる。
社会的影響[編集]
ダビマスは、競馬ファンのみならず、家系図収集家、統計愛好家、さらには文房具マニアにまで影響を与えた。特にの方眼ノートと赤青鉛筆の売上はに前年比を記録し、文具業界ではこれを「ダビマス景気」と呼んだ[8]。
また、地方競馬場の周辺では、観戦よりも配合相談が目的の来訪者が増え、やでは、馬券発売窓口の横に血統相性表が貼られる現象が見られた。なお、こうした表はしばしば勝手に更新され、翌週には別人の筆跡で「この馬は曇りの日に限る」とだけ書き換えられていることがあった。
論争[編集]
ダビマスをめぐる最大の論争は、能力を「遺伝の積み上げ」とみるか、「観察者の思い込み」とみるかであった。前者は中央配合派、後者は偶然性重視派と呼ばれ、にはの公開討論会でにわたり沈黙が続いたのち、最後に司会者が「本日の結論は保留とする」と宣言した[9]。
また、配合表の一部に実在しない祖先が紛れ込む事件もあった。とくに有名なのは「系統」で、存在しない産種牡馬がの馬名辞典に同時掲載されたため、後年の研究者はこれを「記録改竄ではなく、伝承の自走化」と説明している。
各地のダビマス文化[編集]
関東[編集]
では、ダビマスは大学サークル文化と結びつき、や周辺の喫茶店で配合研究が行われた。特にの一角にあった喫茶店では、メニューの裏に「芝1800m向き」と書き込む常連が現れ、店主がそれを正式採用したため、結果的に地図に載らない研究拠点となった。
関西[編集]
では格式を重んじる傾向があり、配合表も和紙で作る者が多かった。対してでは即興性が評価され、新聞の競馬欄をその場で破って組み合わせる「即席ダビマス」が流行した。両者はしばしば対立したが、年末の交流会では誰も勝敗を覚えていないほど親しくなっていたとされる。
地方[編集]
の牧場地帯では、実際の育成現場とダビマス文化が最も近接していた。現場の厩務員が便宜上、馬房ごとに独自の点数をつけていたため、観光客の一部はそれを公式評価と誤解したという。なお、の一斉調査では、の牧場のうち牧場が「うちではうちのやり方でダビマスをしている」と回答したが、質問の意味は最後まで統一されなかった。
脚注[編集]
[1] 佐藤由紀『系譜遊戯の成立』帝国書房、2009年、pp. 41-46。 [2] 牧野朱里「血統表の遊戯化と記録文化」『遊戯学研究』Vol. 12, No. 3, 2011年、pp. 88-104。 [3] 中村誠一『トレーニングセンターと都市の記憶』中央文化出版、2014年、pp. 119-128。 [4] 佐伯 恒一郎「神保町における馬柱切貼り実践報告」『近代趣味史紀要』第7巻第1号、1993年、pp. 5-19。 [5] 帝都データ牧場編集部『30頭の実験記録』内部資料、1992年。 [6] 山田みのり「家庭用端末における配合表の流通」『情報民俗学』Vol. 5, No. 2, 1998年、pp. 201-219。 [7] 農林水産政策研究会『家畜改良と遊戯的統計の接点』霞山館、2002年、pp. 63-71。 [8] 小野寺剛『文具消費の変動と愛好家文化』東都統計出版、2004年、pp. 12-18。 [9] 日本競馬文化協会編『公開討論会記録 ダビマスをめぐって』協和印刷、2006年、pp. 1-27。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤由紀『系譜遊戯の成立』帝国書房, 2009年.
- ^ 牧野朱里「血統表の遊戯化と記録文化」『遊戯学研究』Vol. 12, No. 3, 2011年, pp. 88-104.
- ^ 中村誠一『トレーニングセンターと都市の記憶』中央文化出版, 2014年.
- ^ 佐伯 恒一郎「神保町における馬柱切貼り実践報告」『近代趣味史紀要』第7巻第1号, 1993年, pp. 5-19.
- ^ 帝都データ牧場編集部『30頭の実験記録』内部資料, 1992年.
- ^ 山田みのり「家庭用端末における配合表の流通」『情報民俗学』Vol. 5, No. 2, 1998年, pp. 201-219.
- ^ 農林水産政策研究会『家畜改良と遊戯的統計の接点』霞山館, 2002年.
- ^ 小野寺剛『文具消費の変動と愛好家文化』東都統計出版, 2004年.
- ^ 日本競馬文化協会編『公開討論会記録 ダビマスをめぐって』協和印刷, 2006年, pp. 1-27.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Breeding Charts and Urban Hobbyism', Journal of Applied Equine Culture, Vol. 8, No. 1, 2010, pp. 14-39.
- ^ 久保田真一『配合と偶然のあいだ』新潮社, 2008年.
外部リンク
- 帝都データ牧場アーカイブ
- 神保町系譜研究所
- 中央配合研究会年報
- 競馬民俗資料室
- ダビマス口伝集成