チンチンバキバキ侍
| 名称 | チンチンバキバキ侍 |
|---|---|
| 分類 | 男性誇示儀礼・職人作法 |
| 起源 | 19世紀前半の長崎周辺 |
| 主な担い手 | 鍛冶職人、港町の若衆、見世物興行師 |
| 使用語彙 | 金床、礼刀、鳴り骨、バキ式立ち姿 |
| 最盛期 | 1870年代 - 1910年代 |
| 衰退 | 昭和初期の風紀取締り強化 |
| 再評価 | 平成後期の民俗学的再検討 |
| 関連地域 | 長崎県、市周辺、横浜港 |
チンチンバキバキ侍(ちんちんばきばきざむらい)は、後期ので成立したとされる、鍛造技術と礼法を融合させた男性的誇示儀礼の一種である。武具の堅牢さを示す比喩表現として広まり、のちに初期の職人文化に吸収されたとされる[1]。
概要[編集]
チンチンバキバキ侍は、鍛冶場での火花の立ち方や刀身の反りを、男性の気概や作法に読み替える港町由来の俗文化である。とくにの出島周辺では、鉄製品の出来栄えを見せる際に「鳴りがよい」「芯が立つ」といった言い回しが用いられ、これが誇張されて儀礼化したとされる[2]。
名称の「チンチン」は小柄な金属音、「バキバキ」は鍛造時の破断音を擬態化したものと説明されることが多い。ただし、1898年刊の『港町俗語考』には、夜間の見世物で来客を煽る掛け声として定着したとする異説もあり、起源についてはなお論争がある[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
成立は年間とされ、近くの鍛冶組合で、船釘の品質審査を見せ物化したのが始まりとされる。審査役の渡辺重蔵は、鉄片を指ではじいた際の高い音を「チンチン」と記録し、その硬さを「バキバキ」と評したと伝わるが、同時代史料の裏付けは乏しい[4]。
この頃はまだ儀礼というより職人の内輪遊びであり、特定の姿勢を取る者は「侍立ち」と呼ばれた。なお、立ち姿の基準は極めて細かく、肩幅二尺一寸、足幅七寸、顎角度十四度が理想とされたとされる。
流行と制度化[編集]
10年代になると、の見世物小屋と港の外国人居留地を介して都市部へ拡散した。とくにの寄席では、金属加工の実演のあとに“侍式敬礼”を行う演目が人気となり、1891年には全国で推定214興行、観客延べ8万3,000人に達したとされる[5]。
この時期、の一部官吏が品質啓発運動の一環として利用しようとしたことで、民間の下世話な笑いと官製の規律が奇妙に混ざった。結果として、礼法書『鳴響礼式図解』が刊行され、地方の工学校で課外教材として採用された例も確認されている。
衰退と再解釈[編集]
初期には、風紀取締りの強化とともに公共空間での実演が減少した。しかし、の港湾労働者の間では、安全靴を鳴らして気勢を上げる「足鳴り型」が残存し、1940年代まで細々と継承されたとされる[6]。
戦後は民俗芸能として再評価され、1978年にの前身研究班が口承採集を行った。ここで初めて「男性性の誇示ではなく、共同体の結束を表す身体技法」と位置づけられたが、現地証言のなかには「単に見栄である」との率直な意見も多かった。
儀礼の構造[編集]
チンチンバキバキ侍の儀礼は、通常、前奏・確認・誇示・納刀の4段階からなる。前奏では銅板を三度打ち、確認では親方が「鳴りよし」と告げ、誇示では参加者が半歩前へ出て胸を張る。
納刀に相当する所作では、工具箱の蓋を静かに閉めることが重要とされ、勢いよく閉めると“バキが逃げる”として忌避された。習熟には平均42日を要したという記録が残るが、これは実地講習の総日数なのか、単に稽古場に通った日数なのかは定かでない[7]。
社会的影響[編集]
この文化は、港町の職人集団における序列形成に一定の役割を果たした。熟練者は、いかに派手に見せつつ道具を傷めないかで評価され、結果として工具保守の技術が向上したとされる。長崎の老舗鍛冶場では、刃物の納品時に今でも「バキバキ検査」と呼ばれる独自の音質点検が残るという[8]。
一方で、若衆組が過剰に競い合ったため、1906年には下で“鳴り骨自慢”による口論が7件発生したとの新聞報道があり、地域の青年団規約が改訂されるきっかけになった。もっとも、当事者の多くは「文化論ではなく面子の問題」であったと回想している。
批判と論争[編集]
学界では、そもそもチンチンバキバキ侍が独立した文化類型なのか、あるいは複数の職人芸と俗語が後年混線したものかで見解が分かれている。の民俗学講座では、1929年の研究報告が「資料の9割が口伝である」として慎重論を採った一方、在野研究者の松田竜彦は「港町の身体言語として無視できない」と反論した[9]。
また、1990年代には過度に男性中心的な表象が問題視され、のシンポジウムで「硬さの比喩をそのまま性役割に結びつけるのは時代遅れである」との指摘がなされた。ただし、展示パネルの図版が妙に力強く描かれていたため、来場者の笑いを誘ったという。
現代の扱い[編集]
現在では、主として地域振興イベントや工芸フェスティバルで、極めて限定的に再演されている。長崎市内の一部資料館では、来館者が木槌を一度だけ鳴らして「バキの角度」を学ぶ体験講座があり、年間参加者は約1,200人で推移している。
また、SNS上では“#バキ侍”のタグで工具自慢や作業台の整頓写真が投稿されることがあるが、元来の儀礼との関係は薄い。なお、2022年にの大学サークルが復元公演を試みた際、衣装の裾が長すぎて所作が見えず、審査員が全員で記録用紙に「音は良いが迫力に欠ける」と書いたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺重蔵『港町俗語考』長崎書房, 1898.
- ^ 松田竜彦『鳴響礼式図解とその周辺』東都民俗出版, 1931.
- ^ A. Thornton, “Sound, Iron, and Masculinity in Late Tokugawa Nagasaki,” Journal of Port Folklore, Vol. 12, No. 3, 1974, pp. 201-228.
- ^ 佐伯春夫『鍛造儀礼の社会史』岩波港湾研究叢書, 1986.
- ^ M. G. Keller, “Performative Hardness: A Study of Bakibaki Postures,” East Asian Ritual Review, Vol. 8, No. 1, 1992, pp. 44-63.
- ^ 田村美鈴『風紀と若衆組——明治港町の身体作法』みすず港湾文庫, 2004.
- ^ Nakamura, Y. “Reconstructing Chinchin Bakibaki Samurai from Oral Testimony,” The Review of Imaginary Ethnography, Vol. 5, No. 2, 2011, pp. 77-95.
- ^ 『長崎県民俗資料集成 第14巻 鳴り物と立ち姿』長崎県教育委員会, 2013.
- ^ 小林清一『工具の威厳と共同体』白水社, 2016.
- ^ H. Ishiguro, “The Angle of the Jaw in Bakibaki Rituals,” Proceedings of the Society for Applied Folklife, Vol. 19, No. 4, 2020, pp. 311-329.
- ^ 『チンチンバキバキ侍 再演の手引き』港町文化振興協会, 2022.
外部リンク
- 長崎港民俗アーカイブ
- 港町身体技法研究所
- 鳴り骨資料室
- バキ式立ち姿保存会
- 架空民俗ジャーナル