ティッシュ・デモ事件
| 正式名称 | ティッシュ・デモ事件 |
|---|---|
| 通称 | ティッシュ騒動、白紙デモ |
| 発生時期 | 1968年 - 1971年 |
| 発生地域 | 東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県 |
| 主因 | 無料配布型販促と市民抗議の混同 |
| 関係組織 | 全国紙製品協会、都市生活研究会、警視庁街頭対策室 |
| 参加者数 | 延べ約18,400人 |
| 負傷者 | 軽傷者37名、強い乾燥感を訴えた者多数 |
| 影響 | 街頭配布の自主規制、販促ティッシュの法的整備 |
ティッシュ・デモ事件(ティッシュ・デモじけん)は、後期にとで相次いで発生した、使い捨ての配布と抗議行動が結びついた都市型の社会運動である[1]。紙製品の流通改革、衛生観念の普及、そして駅前での即席演説文化が奇妙に交差した事件として知られている[2]。
概要[編集]
ティッシュ・デモ事件は、街頭で配られるを抗議の媒体に転用したことで知られる一連の出来事である。発端は、で行われた紙製品の新商品展示会において、来場者が配布品をそのまま掲げて通行止めに発展したことにあるとされる[3]。
当初は単なる販促実演とみなされていたが、参加者の一部が「拭くための紙ではなく、訴えるための紙である」と書かれた試供品を掲げ始めたことで、街頭抗議の様式として急速に拡大した。なお、同時期にの周辺でも類似の「白紙行進」が起きており、研究者の間では相互模倣説が有力である[4]。
発生の背景[編集]
前史として、期における家庭用紙製品の普及がある。とりわけ後半、都市部では鼻紙からティッシュペーパーへの移行が急速に進み、紙の「清潔さ」と「軽さ」が新しい市民性の象徴とみなされるようになった。この変化を受け、は「携帯できる意見表明媒体」としての販促実験を開始したとされている[5]。
一方で、生活文化課が実施した街頭アンケートでは、配布された試供品を「丁寧に受け取るべきか」「抗議文を挟むべきか」で回答が割れた。後年の分析では、この曖昧さこそが事件を準備したと考えられている。特にとでは、配布テーブルの横に設置されたゴミ箱が、実質的に演壇の役割を果たしていたという指摘がある[6]。
経過[編集]
1968年の新宿集会[編集]
最初の大規模化は10月12日、西口広場で起きた。紙製品メーカーのデモンストレーション車両に対し、約430人の学生と主婦が「乾いたままでは語れない」と叫びながらティッシュを掲げ、1時間17分にわたり歩道を占拠した。警備側は当初これを販促イベントと誤認し、逆に街頭係員が追加配布を行ったため、人数が約900人まで膨らんだと記録されている[7]。
大阪中之島事件[編集]
翌春にはので「紙の権利を守る会」を名乗る集団が登場した。彼らはティッシュを一枚ずつ折りたたんで白い菱形を作り、これを「無言の請願書」と称したのである。大阪市当局は当初、これを清掃活動と認識して許可を出したが、実際には三段式の隊列が川沿いに連なり、最後尾だけが鼻をかんで帰るという異様な光景になった[8]。
横浜港での終息交渉[編集]
2月、の倉庫街で行われた交渉により、事件は形式上の終息を迎えた。ここでは、、紙メーカー三社の代表が会談し、街頭で配布するティッシュの1箱あたりの枚数、折り目の方向、香料の有無までが協議された。会議録によれば、最終的に「抗議文を印刷したポケットティッシュは、広告面積の20%を超えてはならない」とする覚書が取り交わされたという[9]。
参加勢力と象徴[編集]
事件には学生運動、主婦連合、紙製品業界、駅前の即席演説家が入り交じっていた。なかでも、のは、ティッシュを「都市の沈黙を可視化する最小単位」と定義し、以後の討論会で必ず一枚だけ未使用のティッシュを机上に置く習慣を広めた[10]。
象徴的な標語は「白く、軽く、しかし折れる」であった。この文句はの内部文書にも引用され、現場警察官が配布品を証拠品と市販品のどちらで扱うべきか混乱した記録が残る。なお、最も象徴的な道具は、角に赤鉛筆で日付が書かれた三層式のパッケージであり、保存状態のよいものは現在もの民間紙資料館に所蔵されているとされる。
社会的影響[編集]
事件後、街頭での無料配布物は急速に管理対象となり、との合同通達によって、試供品の箱には製造元、枚数、吸水率、そして「抗議用ではない」旨の注記を記載する慣行が生まれた。これが後の販促ティッシュ文化の原型になったとされる[11]。
また、大学では事件を契機に「日用品と政治行動の関係」を扱う講義が開講され、とのゼミが毎年冬にポケットティッシュの折り方を比較する実習を行った。もっとも、1973年の調査では受講生の34%が政治学より先に風邪をひいたとされ、教育効果には疑義も呈されている[12]。
批判と論争[編集]
一方で、ティッシュ・デモ事件の実態については当時から誇張が多いとの指摘もある。特に系の後年記事では、「実際には販促キャンペーンが先で、抗議行動は後付けであった可能性が高い」とされ、運動史としての評価は割れている[13]。
また、紙の節約を訴えたにもかかわらず大量のティッシュが消費された点について、環境団体から「自己矛盾の極み」と批判された。しかし、擁護派は「使ったのは紙ではなく沈黙の方である」と反論し、この応酬はのちに日本語の比喩表現として微妙に定着したともいう。
その後の文化的受容[編集]
1980年代以降、ティッシュ・デモ事件は風刺芸術や広告史の文脈で再評価された。のギャラリーでは、空箱を積み上げた《白い塔》が展示され、初日だけで2,000枚分の試供品が来場者に配られたという。さらにの生活史番組では、当時の参加者が「紙を受け取る手つきで世代が分かる」と証言し、家庭内の作法にまで影響を及ぼしたことが示唆された[14]。
現在では、街頭で配布されるティッシュの角度や差し出し方を研究する「配布礼法」という半ば実在しない学問領域の先駆けとして扱われることがある。もっとも、その多くは当時の関係者の回想に依存しており、資料の一部にはコーヒーの染みとガムテープが残っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小山内澄子『都市の白紙化と配布礼法』青木書店, 1974.
- ^ 松浦健一『ティッシュ運動史序説』日本経済評論社, 1981.
- ^ Harold P. Winfield, "Paper, Protest and Pocket Life," Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 1978, pp. 41-68.
- ^ 長谷川良介『街頭配布物管理の研究』中央法規出版, 1976.
- ^ Margaret L. Canning, "Disposable Media and Civic Noise in Postwar Tokyo," Asian Social History Review, Vol. 5, No. 1, 1984, pp. 9-33.
- ^ 鈴木智子『昭和紙文化小史』みすず書房, 1990.
- ^ Pierre Delatour, "Le Mouchoir public: une histoire japonaise," Revue d'Histoire Contemporaine, Vol. 8, No. 2, 1982, pp. 77-101.
- ^ 警視庁街頭対策室編『街路秩序記録集 第4集』内務資料, 1972.
- ^ 中川洋一『広告と抗議のあいだ』岩波書店, 1996.
- ^ Evelyn S. Hart, "When Tissue Became a Banner," The Paper Studies Quarterly, Vol. 19, No. 4, 2001, pp. 112-139.
外部リンク
- 日本街頭紙史アーカイブ
- 都市生活研究会デジタル資料室
- 白紙運動ミュージアム
- 昭和販促文化研究センター
- 横浜港口述史プロジェクト