デトロ開けろイト死刑事件
| 名称 | デトロ開けろイト死刑事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 平成9年東京都世田谷区某所における自称扉係事件 |
| 日付 | 1997年11月14日 |
| 時間 | 深夜0時10分ごろ |
| 場所 | 東京都世田谷区北沢四丁目付近 |
| 緯度度/経度度 | 35.6599°N / 139.6697°E |
| 概要 | 集合住宅の共用扉をめぐる騒動が、監禁・暴行・偽計による大規模な刑事事件へ発展したとされる |
| 標的 | 管理組合役員、同フロア住民、偶然通行していた配達員 |
| 手段/武器 | 大型ドアストッパー、拡声器、南京錠、改造されたインターホン |
| 犯人 | 遠藤留造とされる |
| 容疑 | 監禁致傷、脅迫、建造物侵入、公務執行妨害、詐欺未遂 |
| 動機 | 『扉の開閉権をめぐる自治回復』と自称したが、のちに金銭要求があったとされる |
| 死亡/損害 | 死者0名、負傷者7名、共用設備損壊約480万円 |
デトロ開けろイト死刑事件(でとろあけろいとしけいじけん)は、(9年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「平成9年東京都世田谷区某所における自称扉係事件」とされ、通称では「デトロ開けろイト事件」と呼ばれる[2]。
概要[編集]
デトロ開けろイト死刑事件は、の下北沢周辺で起きたとされる、集合住宅の共用扉をめぐる一連のを指す事件である。深夜のを契機にが介入し、現場では複数のが『扉を開けろ』と繰り返し叫んでいたことから、この奇妙な通称が定着した。
事件名の「デトロ開けろイト」は、当時現場で繰り返された言い間違いと、被告人が配布していた手書き文書『Detro Open It!』が混線したものとされる。ただし、初期報道では『デトロ地区の開錠運動』と誤記された媒体もあり、のちの研究でこの誤記が事件の神話化を促したとの指摘がある[3]。
背景[編集]
事件の背景には、1990年代後半の内で広がったオートロック化と、古い木造アパートの住民自治が対立した事情があったとされる。当時のでは、共用部の鍵管理を巡る小規模な紛争が月平均18件ほど報告されており、区民相談窓口の内部資料では『扉疲労症候群』という俗称まで使われていた[要出典]。
また、主犯とされる遠藤留造は、かつて物流会社でドアロック整備を担当していた経歴を持ち、退職後に『開閉権の民主化』を唱える小冊子を近隣へ配布していた。小冊子にはの実在部署名をもじった『開錠倫理審査室』という架空の組織名が記されており、これが後年の裁判で犯行の計画性を示す間接証拠とみなされた。
経緯[編集]
事件当夜、遠藤らは北沢四丁目の集合住宅に入り込み、管理人室前にドアストッパーを9個、南京錠を14個並べたうえで、住民に対し『デトロを開けない限りイトが死刑になる』などと意味不明な文言を叫んだとされる。住民の一人が通報を行い、到着した北沢署員3名が説得を試みたが、犯人側は拡声器で『扉は公共財である』と応酬し、結果として公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕された。
なお、事件現場からは、手描きのフローチャート『開かない扉の処理順序』が押収されている。そこには『1. 叫ぶ 2. 待つ 3. さらに叫ぶ 4. 司法へ』と記されており、のちの刑事裁判で被告人は『これは地域連帯のマニュアルである』と述べたが、検察側は『犯行の演出にすぎない』として退けた。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
は事件翌日、刑事部特命係と世田谷署生活安全課の合同体制で開始された。初動では、被害者が少人数の騒動と見られていたため、捜査員は現場の搬入口やエレベーター内の収集を重視したが、後に同一の南京錠が区内3か所から計27個見つかったことで、広域的な準備性が疑われた。
また、遠藤の自宅からは『開門日誌』と題されたB5ノート12冊が押収され、その一部には8年から続く通番が振られていた。そこには配達員の到着時刻、住民の帰宅時間、インターホン応答率などが1分単位で記録されており、捜査本部はこれを「生活圏監視の計画表」と評価した。
遺留品[編集]
遺留品のなかで最も注目されたのは、現場に残されていた半透明のテープ片である。鑑定の結果、通常の梱包用ではなく、工事現場向けの防振補強材を切断したものであることが判明し、被告人が『扉の音を静かにするためだった』と供述した点と矛盾した。
ほかに、改造インターホンの内部からは内の中古部品店でのみ流通していた旧式の呼出基板が発見された。これにより、犯人は少なくとも発生の2週間前から資材を調達していたと推定される。なお、押収品の一部は事件後にへ移管されたが、展示札の記述に『イトが確認された』と書かれていたため、後日ひそかに修正された。
被害者[編集]
本事件の被害者は、集合住宅の管理組合役員2名、同フロア住民4名、配達員1名の計7名である。直接的な身体的被害は比較的軽微であったが、深夜に共用廊下へ集められ、1時間40分にわたり退去を認められなかったことから、精神的被害が大きかったとされる。
とくに70代の住民女性は、犯人側から『扉の権利者は誰か』と10回以上質問されたと証言しており、後ので『意味が分からないのに迫力だけはあった』と述べた。別の被害者である配達員は、当初は単なる設備故障だと思って現場に入ったが、結局は『事件に巻き込まれた最初の宅配員』として報道各社のインタビューを受けることになった。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
初公判は(10年)3月12日にで開かれた。被告人・遠藤留造は事実の大半を争わなかったが、『開閉の思想実験であり、犯罪意思はなかった』と主張した。これに対し検察側は、被告人が事前に準備した録音テープを示し、そこに『開けろ、だが急ぐな』という矛盾した指示が繰り返し収録されていたことから、計画性を立証した。
なお、法廷では傍聴人が『デトロとは何か』という一点に強い関心を示し、裁判長が審理の進行よりも先に語源説明を求められる異例の展開となった。
第一審[編集]
第一審判決は10月21日に言い渡され、遠藤被告に懲役14年、うち保安観察付執行猶予なしという、当時としては重めの量刑が科された。裁判所は、被告人が『扉をめぐる独善的秩序観』に基づいて被害者を拘束した点を重視し、犯行の反復性と周囲への恐怖を認定した。
一方で、検察側が求刑したについては、死者が出ていないこと、また主目的が金銭と支配の混在したものであったことから退けられた。ただし、量刑理由中には『社会的制裁として、扉の前で二度と大声を上げないことを要する』といった、やや奇妙な表現が含まれており、法律学者の間で長く引用された。
最終弁論[編集]
最終弁論で弁護側は、遠藤がかつて住居侵入被害を受けた経験から扉に過敏になっていたと主張し、いわば心理的反転による行為であると説明した。しかし、証人尋問で示された『扉は誰のものか』と題する匿名投稿45件が、すべて被告人の書体と一致したことから、この主張は採用されなかった。
審でも結論は維持され、への上告は棄却された。なお、弁護人は口頭で『本件は事件ではなく、都市生活の悲鳴である』と述べたが、記録係がその直後に『被告人が再びインターホンを押したため中断』と記しており、法廷記録の中でも特に有名な一節となっている。
影響[編集]
事件後、内のマンション管理業界では、共用扉の前に簡易通報ボタンを設置する動きが進んだ。また、はのちに防犯指針の改定案をまとめ、オートロック設備の点検項目に『異常な主張を伴う人物の侵入時対応』を追加したとされる。
社会的には、事件名のインパクトからワイドショーや深夜ラジオで繰り返し取り上げられ、1998年の流行語候補に『開けろ、でも急ぐな』が入ったという。もっとも、選考委員会の議事録にはその存在が見当たらず、後年の回想によって神話化された可能性が高い。
事件後[編集]
遠藤は服役中に『共同扉研究会』なる読書会を主宰したとされ、受刑者向け広報誌に短い随筆を寄稿している。ただし、そこでは事件への直接言及を避け、『閉じることの倫理』という抽象的な題名のみが確認されている。
事件現場の集合住宅は2010年代に建て替えられたが、新しい管理棟には住民の提案で『静音型ドアマン』と呼ばれる自動開閉機構が導入された。近隣では今でも、深夜にインターホンが長く鳴ると『デトロ案件だ』と冗談めかして言うことがある。
評価[編集]
事件は、都市型共同住宅における境界感覚の崩壊を示す事例として研究されている。特にの一部研究者は、犯行の実態よりも、周囲がそれを理解不能なまま消費した点に注目し、『意味の崩れた事件名が社会記憶を支配した稀有な例』と位置付けている。
一方で、一般向けの事件解説では、犯人像があまりに劇的であるため、後年の創作と区別がつきにくいとの指摘もある。実際、に刊行された回顧録『扉の向こうの留保』は、著者名こそ実在の元記者と一致するが、本文の半分以上が聞き取り不能の語りを再構成したものとされ、信頼性には疑問が残る。
関連事件・類似事件[編集]
類似事件としては、の『西荻窪インターホン連続連呼事件』、の『板橋ゲート封鎖騒擾』、の『大森共用廊下占拠事案』が挙げられる。いずれも住居の境界や管理権限をめぐる争いが、刑事事件へ発展した点で共通している。
また、警察内部では本事件を参考にした訓練用シナリオ『深夜扉対応ケース9』が用いられたとされ、訓練生は毎年「まず扉を開けさせないこと」を目標に行動するが、実際には状況があまりに特殊なため、受講後も再現が難しいと報告されている。
関連作品[編集]
本事件を題材とした書籍として、『デトロを開けた夜』、『共用扉の倫理』がある。前者はノンフィクション風の筆致で事件の検証を試み、後者は法社会学の立場から『扉の所有権』を論じたとされる。
映像化作品では、系の特番『未解決ではないのに未解決のように語られる事件』、および深夜映画『ドア・ストッパーの午後』が知られている。テレビ番組では犯人役の再現映像がやけに丁寧だったため、視聴者から『扉だけ本物』と評された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯真一『扉はなぜ鳴るのか――平成都市犯罪史研究』中央法規出版, 2004.
- ^ 渡辺精一郎『共用部における境界紛争の法社会学』日本評論社, 2002.
- ^ Margaret A. Thornton, "Doorway Sovereignty and Urban Panic", Journal of East Asian Criminology, Vol. 18, No. 2, pp. 114-139, 2007.
- ^ 林田由紀『警視庁における深夜通報事案の分析』有斐閣, 2001.
- ^ Kenji Sakamoto, "The Detro Phrase and Collective Mishearing", The Tokyo Studies Review, Vol. 9, No. 1, pp. 33-58, 2000.
- ^ 山岸和子『共用扉の倫理』新曜社, 1999.
- ^ 長谷部宏『平成九年の都市不穏とその記憶』岩波書店, 2008.
- ^ 田中里美『インターホン改造史』勁草書房, 2005.
- ^ Robert E. Gilmore, "Administrative Locks and Human Volume", Review of Civic Security, Vol. 12, No. 4, pp. 201-229, 2009.
- ^ 小林春香『開けろ、だが急ぐな――事件名の生成過程』朝日新聞出版, 2011.
外部リンク
- 警察庁事件資料アーカイブ
- 世田谷区地域安全研究会
- 都市扉史学会データベース
- 平成犯罪語源コレクション
- 共同住宅防犯年報