デレッキ
| 分野 | 方言・生活文化・防災民俗 |
|---|---|
| 使用地域 | 主に内の一部地域 |
| 類義語 | ストーブ鉄棒、炭火掛け棒 |
| 誕生の経緯(伝承) | 石炭燃焼時の安全作法に関する呼称 |
| 関連概念 | 火の番、湯気点検、赤灰判定 |
| 時代的背景 | 石炭暖房が一般化した時期 |
| 象徴性 | 無言の注意喚起と家の規律 |
(でれっき)は、の方言として伝わったとされる、石炭ストーブの前に置く「鉄棒」を指す語である。もともとは家事の道具呼称から始まったとされるが、のちに生活防災の合図・儀礼へも転用されたとされる[1]。
概要[編集]
は、寒冷地の日常で使われた道具の名称として説明される語である。具体的には、石炭ストーブの前に「かます」ための鉄棒(あるいは鉄製の補助具)を指すとされる。なお、細部の形状や置き方まで含めて語られることが多く、単なる物の名前というより「所作」まで含む呼称であったと考えられている[2]。
一方で、のちには「火の具合の確認」を合図する言い回しへと拡張されたとされる。たとえば「今日はデレッキが寝ている(=棒が正しい角度で支持されていない)」といった表現が、家人の注意喚起として用いられたという聞き書きが残っている。このような用法は、家族内の役割分担が言語化されていたことを示すものとして、民俗学の資料でたびたび言及される[3]。
歴史[編集]
炭鉱町の「規律」から生まれたという説[編集]
の成立については、の炭鉱集落で石炭ストーブの管理が共同作業として整備されたことが関係していた、とする説がある。炭鉱会社が配布したという「家庭火気取扱手順書(通称:火気章程)」では、ストーブ周りの器具を“誤配置すると排気が死ぬ”として扱っていたとされる[4]。
そこでは、鉄棒はただ置かれるのではなく、一定の「角度」をとることが求められたと記録されている。具体的には、棒の先端が床から、ストーブの口から離れるように調整し、さらに「棒と煙突の中心線の差が以内」であることが望ましい、といった数値が掲げられたとされる[5]。もちろん後年の研究では誇張の可能性も指摘されるが、方言の語感と一体化して“測り言葉”が保存された例として評価されている。
また、鉄棒が規定角度にない場合、家長が棒を一度だけ叩き(音で判定する)、次に「デレッキ」とだけ呼ぶことで、若い家人に点検を促したと語られる。この“短い呼称で作法を呼び戻す”仕組みは、口伝の儀礼として語られ、村ごとの癖(叩く回数や声の高さ)まで含めて保存されていったとされる[6]。
研究機関と役所が「標準化」し、逆に拡散したという筋[編集]
1950年代後半、暖房の規格が見直される流れの中で、の(当時の正式名称は資料上「北海道衛生安全研究所」)が、家庭の火気事故を減らすための聞き取り調査を開始したとされる。調査票には「鉄棒呼称」「叩打合図」「点検間隔(目安)」などの欄があり、方言ごとの語彙を“行動ラベル”として扱った点が特徴であったという[7]。
この研究を下敷きに、内の一部自治体では暖房マニュアルの啓発ポスターに「デレッキ点検」の文言が登場したとされる。ポスターには、棒を置く位置を示すイラストとともに「毎朝、デレッキを起こせ(目安:午前)」といった短句が載ったとされる[8]。皮肉にも、この標準化が、方言語を“安全合言葉”として一般化させ、炭鉱町以外にも広まったと解釈されている。
なお、最初期の資料には「鉄棒をかます鉄棒(アイヌ語の影響を受けた可能性あり)」とする注記が見つかったとされるが、後の学術的検証では裏取りが難しいとされる。ここが、記事を読むと少し引っかかる“出典の穴”として残っている[9]。
社会的影響[編集]
は、単なる方言ではなく、家庭内の役割・責任を言語化する装置として働いたとされる。具体的には、「棒の管理は長男」「灰の確認は次女」といった担当が暗黙に割り振られ、その境界が呼称の共有によって維持されたと説明されることが多い。つまりを知っていること自体が、家庭の作法に参加する資格の一部になっていたという見方である[10]。
また、事故対応の局面では、無言のコミュニケーションとして機能したとされる。たとえば、子どもが咳き込み始めたとき、親が言葉ではなく鉄棒を“規定位置に戻す”ことで、換気を促したという証言がある。ここでの“規定位置”は、炭火が安定する時刻帯(夕方〜夜)に合わせて調整されることが多かったとされ、家庭ごとの微差が方言語に吸収されたと考えられている[11]。
さらに、地域の学校教育にも影響が及んだという。周辺では、冬季の防災訓練で「デレッキ、起こせ」という掛け声が採用された年があり、参加児童の“覚えやすさ”が評価されたと報告されている[12]。一方で、訓練がゲーム化してしまい、本来の意図(点検)から遊び(当てっこ)へ逸脱したという苦情も残っており、社会の受容は単純ではなかったとされる。
批判と論争[編集]
の語源や実態については、早い段階から「鉄棒が本当に一般的だったのか」という疑義が呈された。方言資料の収集では、同じ地域でも呼称が複数存在し、「デレッキ」と言いつつ実物が別の器具(鋳鉄の網押さえ等)だった可能性が指摘されている[13]。
また、防災ポスターの標準文言が後年に脚色された可能性もあるとされる。たとえば「毎朝午前6時」という具体時刻は、聞き取りでは“だいたい朝”であったはずだという証言があり、調査機関が作表の都合で厳密化したのではないかとみる研究者もいる[14]。この点については、ポスター原本の所在が限定的であり、厳密な確証が得られていない。
さらに、架空との境界が曖昧な要素も少しだけ混ざっている。ある資料では「煙突掃除の回数を“赤灰判定が3回”になるまで実施」とし、赤灰判定を「炭の匂いが梨に近い状態」と記述している[15]。この記述はユーモアとして扱われる場合があるが、研究の側では“伝承の圧縮”とみなされ、真偽が議論されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北海道衛生安全研究所『冬季家庭火気の行動ラベル調査報告』北海道衛生安全研究所, 1959.
- ^ 山村利一『炭鉱集落の暖房具と呼称体系(第1報)』北海道民俗誌, Vol.12 No.3, pp.41-68.
- ^ 中島さおり『方言が安全作法を運ぶ仕組み』日本社会言語学会誌, 第27巻第1号, pp.9-26.
- ^ Katherine W. Haldane『Household Fire Culture in Cold Regions』Journal of Domestic Safety, Vol.8 No.2, pp.101-133.
- ^ 斎藤恭介『火の番の口伝と道具配置』生活文化研究年報, 第3巻第2号, pp.55-90.
- ^ 札幌市教育委員会『冬の防災訓練実施記録(視覚教材の文言調整)』札幌市教育委員会, 1964.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Small Rituals, Big Consequences: Dialect Codes and Risk』International Review of Anthropology, Vol.19 No.4, pp.221-256.
- ^ 小樽市総務課『訓練用掛け声の採用理由に関する覚書』小樽市総務課, 1971.
- ^ 阿部恵理『鉄棒呼称の地理分布と語尾変化』方言地理研究, pp.12-37.(※第◯巻の記載が欠落)
- ^ E. R. Caldwell『Communication by Object in Domestic Environments』pp.88-109.
外部リンク
- 北海道方言アーカイブ
- 生活防災資料館・デジタル展示
- 炭鉱町暖房具データベース
- 合図語研究フォーラム
- 小樽冬季訓練アーカイブ