デ・パルマ・ドス・サントス憤死事件
| 名称 | デ・パルマ・ドス・サントス憤死事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 中央区南久宝寺町異常急変死亡事件 |
| 日付 | 1987年11月14日 |
| 時間 | 午後8時10分ごろ |
| 場所 | 大阪府大阪市中央区南久宝寺町 |
| 緯度 | 34.6846°N |
| 経度 | 135.4983°E |
| 概要 | 会員制倉庫内で被害者が突然「憤死」したとされる事件。現場に明確な外傷は少なく、警察と検察の解釈が二転三転した。 |
| 標的 | アウグスト・デ・パルマ・ドス・サントス |
| 手段 | 高周波骨伝導機と香辛料煙幕を併用した心理的圧迫 |
| 犯人 | フィリペ・中村とする説が有力 |
| 容疑 | 殺人、死体損壊、公務執行妨害 |
| 動機 | 取引帳簿の改竄をめぐる口論、ならびに名誉毀損への報復 |
| 死亡/損害 | 被害者1人死亡、周辺倉庫3棟が一時閉鎖 |
デ・パルマ・ドス・サントス憤死事件(で・ぱるま・どす・さんとすふんしじけん)は、(62年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「中央区南久宝寺町異常急変死亡事件」であり、通称では「憤死事件」と呼ばれる[2]。
概要[編集]
デ・パルマ・ドス・サントス憤死事件は、が1980年代後半に扱った事件の中でも特異な事例として知られている。被害者のは、系の古物商兼通訳として内の輸出入業者の間で広く知られていたが、11月14日の夜、倉庫内で急激な心停止を起こして死亡したとされる[3]。
事件は当初、単なるとして処理されかけたが、現場で回収された香辛料の粉末、断続的な金属音、ならびに被害者の口述を録音したとされるの存在により、警察はの可能性を排除できなくなった。なお、被害者が死亡直前に「憤死した」と表現されたのは、検視官のが所見メモに書き込んだ比喩が新聞各紙に流用されたためである[4]。
一方で、後年の再検証では、死亡原因をめぐる判断がとの整合性に大きく左右されていたことが指摘されている。特には、事件現場の音響記録を重視してに踏み切ったが、ではその再生速度が0.92倍に補正されていたことが判明し、評議に影響したとの説がある[5]。
背景[編集]
南久宝寺町の輸入倉庫網[編集]
事件の背景には、一帯に形成されていた小規模輸入倉庫網がある。ここでは、、、そして一部のが、実際の仕入れ値を曖昧にしたまま流通しており、被害者はその帳簿整理を請け負っていた[6]。
被害者は、ごろからと呼ばれる男と接点を持っていた。中村は内で翻訳業を営む一方、夜間には倉庫間の在庫調整を行っていたとされ、関係者からは「数字に異様に強い男」として記憶されている。もっとも、同人の名刺には肩書が毎月変わっていたという証言もある。
被害者の経歴[編集]
アウグストは出身とされるが、日本入国後の戸籍上の経歴には不自然な空白が多く、の内部資料にも複数の表記揺れが見られる。彼はで講師の補助を務めたのち、60年以降に古物商へ転じたとされる[7]。
彼が事件当日に現場へ向かった理由は、消失した「第17帳簿」の回収のためであったという説が有力である。なお、この帳簿は後にの証拠保管庫からも見つかっておらず、当該事件最大の未回収資料として扱われている。
経緯[編集]
事件当日の午後7時40分ごろ、被害者は御堂筋線近くの喫茶店で中村と会合したと目撃されている。その後、両者は徒歩で南久宝寺町の倉庫街へ移動し、午後8時10分ごろに倉庫C-4で異常な物音があったと通報された[8]。
現場では、金属棚の上段から落下したとみられる、香辛料の入った紙袋3つ、そして「NAPOLI 4/7」と書かれたロール紙が回収された。鑑識は当初、ベルが転倒音の主因と見ていたが、後の再実験では、ベルを32回打撃すると特有の高音が発生し、それが被害者の自律神経に影響した可能性が示唆された[9]。
被害者は現場到着から約6分後に胸を押さえて倒れ、搬送先ので死亡が確認された。死亡診断書には「急性情動性心停止」と記載されたが、これは当直医が「見たことのない緊張状態」であったことから採用した暫定語であり、法医学上の正式分類ではない。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
は翌15日に捜査本部を設置し、に特命班を置いた。捜査班は直後の倉庫周辺から、靴底に付着したターメリック、未使用の封蝋、ならびに海外製の会計電卓を押収した[10]。
捜査初期には、近隣の倉庫従業員12人、運送業者4人、飲食店店主2人が者として事情聴取を受けた。もっとも、いずれも「大きな声は聞いたが誰が誰に向けて怒鳴ったのかは分からない」と述べており、捜査は早い段階での様相を呈した。
遺留品[編集]
遺留品の中でも特に注目されたのは、被害者の胸ポケットから見つかったの複写と、倉庫天井裏に結ばれていた青いリボンである。リボンには微量のが検出されたが、当時の分析機器では保存状態が不十分で、由来は確定しなかった[11]。
また、床面の粉末を採取した結果、、、そして微細な鉄粉が混ざっていたことが分かった。これにより、現場は単なる口論の場ではなく、何らかの演出を伴う「圧迫型犯行」だったのではないかとの見方が強まった。
被害者[編集]
アウグスト・デ・パルマ・ドス・サントスは、被害者であると同時に、事件の記録を複雑化させた人物でもあった。彼は常に複数の通訳名義を使い分け、の積荷書類からの再輸出申請まで、1日で7件を処理していたとされる[12]。
近隣の関係者は、被害者について「怒ると静かになる男」であったと証言している。これが後に「憤死」という語の成立に繋がったとする説もあるが、実際には検死補助記録のメモが独り歩きしただけであり、被害者本人の性格を反映した表現かどうかは不明である。
なお、被害者は事件当日、で予定されていた商談会を欠席している。欠席連絡は午後6時58分に秘書名義で送られたが、送信元IPが倉庫街の公衆電話と一致していたため、後年まで真偽が争われた。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
被疑者としてがおよびのでされたのは2月であった。初公判はで開かれ、は「被害者の心停止は偶発ではなく、持続的な感覚遮断によって引き起こされた」と主張した[13]。
これに対しは、現場音源の編集痕と倉庫空調の故障を挙げ、犯行の立証は不十分であると反論した。初公判では証人3人がを撤回し、裁判長が2度にわたり休廷を命じるなど、異様な展開となった。
第一審[編集]
では、検察が提出した再生テープの周波数成分が争点となり、専門家証人のは「これは音ではなく、会計上の誤差が作った錯覚に近い」と証言した。もっとも、裁判所は倉庫内の圧迫状況を重視し、中村に18年を言い渡した[14]。
判決理由では、直接的な凶器は確認できないものの、被告が被害者を心理的に追い詰めた結果として死亡に至ったと認定された。この種の判断は当時の判例に照らしても珍しく、の刑事実務における「憤死」という準法医学的表現の先例になったとされる。
最終弁論[編集]
控訴審の最終弁論で弁護側は、被告が倉庫に入った時点で既に被害者は体調不良であり、の問題も含めて事件化自体が過大であると主張した。しかし、は被害者の移動経路、帳簿の消失、そして中村の指紋が付着したベルの存在を総合し、控訴棄却とした[15]。
ただし、判決文には「犯行の全容はなお不明である」との一文が残されており、としての性格も完全には消えていない。この曖昧さが、後年の研究者にとって本件を魅力的な素材にしている。
影響・事件後[編集]
事件後、南久宝寺町の倉庫街ではの自主規制が敷かれ、香辛料と金属器具の同時搬入が3年間制限された。これは実務上は小さな通達に過ぎなかったが、地元商工会では「憤死以後の物流改革」として記憶されている[16]。
また、の一部会員は、本件をきっかけに「音響証拠の取扱い指針」を提案した。指針には、再生機の速度差を必ず2種類以上確認すること、香り成分の存在を単独証拠にしないことなど、妙に具体的な条項が並んだ。
一方で、被害者の故郷とされた側では、事件は「日本で最初に報道された情動死案件」として一部の週刊誌に取り上げられ、の在留邦人コミュニティでは模倣的な都市伝説まで生んだ。もっとも、現地での認知度は高くなく、後年の調査では名前だけが独り歩きしていたことが分かっている。
評価[編集]
本事件の評価は、法医学、音響学、そして都市伝説研究の三領域で分かれている。法医学者の多くは、急激な心停止の原因が精神的圧迫だけで説明されることは少ないとしている一方、事件資料の断片性が逆に「圧迫の実在」を印象づけたとする見方もある[17]。
のは、1996年の論文で「本件は犯罪の証明ではなく、帳簿と声と匂いが互いに犯人性を押し付け合った事例」と述べた。ただし同論文は、最後の脚注で倉庫の天井高を実際より12メートル高く記載しており、引用の際には注意を要する。
民間では、事件名の「憤死」が強烈であるため、些細な圧力や長時間の打ち合わせを揶揄する比喩として使われることがある。もっとも、これがの一部業界で半ば公用語化したのは以降であり、当初は完全に記者クラブ由来の造語であったとされる。
関連事件・類似事件[編集]
本事件と比較されることが多いのは、、、およびである。いずれも直接的な凶器よりも、密室性、帳簿、そして証言の揺れが争点となった点で共通している[18]。
また、後半のでは、輸入品の検査強化と倉庫街の再編が進んでおり、本事件はその転換期に生じた象徴的事例とみなされている。とりわけ「香辛料を含む貨物は二人以上で開封する」という独自の社内規定が複数企業に導入されたことは、事件の波及効果として有名である。
なお、後年の研究では、似た名称の「デ・パルマ」系案件が他に4件確認されているが、いずれも関係者の名前が偶然一致しただけで、系統的な連続犯行ではないと結論づけられている。
関連作品[編集]
本事件を題材とした書籍としては、『憤死の会計学――南久宝寺町事件の記録』、『香料と沈黙』などがある。前者は法医学の観点から、後者は被害者の移動経路を章ごとに色分けしており、研究用途にも読まれている[19]。
映画では、配給の『の夜』がよく知られている。事件の再現にあたり、実際の倉庫よりも天井が低く美術されているが、監督のは「圧迫感の再現にはそれで十分である」と説明した。
テレビ番組では、の特集「声はどこへ消えたか」が放送され、事件の音源解析が紹介された。もっとも、番組後半で再現映像が妙にサスペンス調へ寄ってしまい、学術会議では「肝心の再生速度よりBGMが速い」と批判されたことがある。
脚注[編集]
[1] 大阪府警察資料課「中央区南久宝寺町異常急変死亡事件概要」1988年内部報告書.
[2] 警察庁刑事局『昭和62年特異死亡事案集』第4巻第2号, 1989年, pp. 41-46.
[3] 松浦正彦「倉庫内心停止事案における現場記録」『大阪法医学雑誌』Vol. 17, No. 3, 1988年, pp. 112-119.
[4] 山辺康弘『事件名はどのように生まれるか』青嶺書房, 1997年.
[5] K. Morimoto, "Playback Bias in Urban Incident Audio Evidence," Journal of Forensic Acoustics, Vol. 8, Issue 1, 1994, pp. 9-27.
[6] 中川由紀子「南久宝寺町倉庫群の流通史」『近畿商業史研究』第12巻第1号, 1990年, pp. 3-18.
[7] Celso H. Araujo, "Portuguese-speaking Brokers in Osaka, 1980-1987," Trans-Pacific Review, Vol. 5, No. 2, 1991, pp. 77-95.
[8] 大阪市中央区消防局『昭和62年11月14日夜間通報記録』内部文書.
[9] 佐伯みどり『倉庫音響の法科学的検討』星雲社, 2001年.
[10] 警察庁鑑識課「遺留品一覧と採取粉末の化学分析」『刑事鑑識月報』第23巻第11号, 1988年, pp. 201-208.
[11] A. Thornton, "Trace Compounds and Emotional Collapse," International Journal of Crime Chemistry, Vol. 14, No. 4, 1996, pp. 301-317.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦正彦「倉庫内心停止事案における現場記録」『大阪法医学雑誌』Vol. 17, No. 3, 1988年, pp. 112-119.
- ^ 山辺康弘『事件名はどのように生まれるか』青嶺書房, 1997年.
- ^ K. Morimoto, "Playback Bias in Urban Incident Audio Evidence," Journal of Forensic Acoustics, Vol. 8, Issue 1, 1994, pp. 9-27.
- ^ 中川由紀子「南久宝寺町倉庫群の流通史」『近畿商業史研究』第12巻第1号, 1990年, pp. 3-18.
- ^ Celso H. Araujo, "Portuguese-speaking Brokers in Osaka, 1980-1987," Trans-Pacific Review, Vol. 5, No. 2, 1991, pp. 77-95.
- ^ 佐伯みどり『倉庫音響の法科学的検討』星雲社, 2001年.
- ^ 警察庁刑事局『昭和62年特異死亡事案集』第4巻第2号, 1989年, pp. 41-46.
- ^ 松田圭一「香辛料粉末と心理的圧迫の相関」『都市犯罪学紀要』第9巻第4号, 2003年, pp. 55-73.
- ^ A. Thornton, "Trace Compounds and Emotional Collapse," International Journal of Crime Chemistry, Vol. 14, No. 4, 1996, pp. 301-317.
- ^ 田辺ルイザ『香料と沈黙』白鷺出版, 2008年.
- ^ 北條徹『倉庫C-4の夜』映画脚本ノート, 1992年.
- ^ 久保田孝志「再生速度補正と陪審的印象」『刑事証拠学評論』第6巻第2号, 1998年, pp. 88-94.
外部リンク
- 大阪法医学資料室
- 南久宝寺町事件アーカイブ
- 関西犯罪史研究会
- 倉庫街音響証拠データベース
- 事件名由来辞典