トクリーメン・メアリー
| 分野 | 民間医療・香粧学・都市生活文化 |
|---|---|
| 起源とされる時期 | 1890年代 |
| 主な舞台 | 、特にと港湾地区 |
| 中心人物(伝承) | メアリー・トクリーメン(とされる人物) |
| 用いられたとされる素材 | 香草蒸留液、樟脳、低刺激油脂(とされる) |
| 形式 | 香りの塗布・吸入・携帯カード |
| 関連概念 | 記憶固定法、嗅覚刺激療法、都市儀礼 |
| 評価 | 一部で効果が主張される一方、危険性も指摘された |
(英: Tokrimen Mary)は、末のヨーロッパで流行したとされる「香りによる記憶安定」民間療法の総称である。のちにの商業ネットワークを介して再編され、都市生活者の間で記憶補助具として定着したとされる[1]。
概要[編集]
は、香りを手がかりに「思い出の再起動」を行うという発想から名付けられたとされる概念である。一般に、香料を一定の手順で身体に触れさせ、記憶の出力が不安定になった状態を“整える”ものとして説明された[1]。
ただし、当時の資料では「療法」という語よりも「習慣」「儀礼」「お守り」といった語が先行して用いられており、実際には医療よりも都市の生活技術として流通したと考えられている。一方で、嗅覚を介した心理作用は確かに研究対象にもなり、の商館が学術っぽいパンフレットを量産したことが普及を後押ししたとされる[2]。
語源については、港町の路地で香料を分け与えた人物が「メアリー」と呼ばれ、その姓(あるいは呼称)が「トクリーメン」であったという話が有名である。もっとも、同名の人物が複数の記録に登場するため、単一人物ではなく“職能名”として扱うべきだという指摘もある[3]。
歴史[編集]
誕生:香りの工学が「生活の故障」を治したとする説[編集]
起源は、沿いの倉庫で発生した大量の返品不良(匂い移り)をきっかけに、香料職人が「臭いの記憶」を利用した調整法を考案したのが最初期だとされる[4]。このとき職人たちは、香りの成分が心拍や呼吸を揃えることで“記憶の出力装置”を安定させる、と半ば冗談めかして説明したという。
特に港湾地区の「第7倉庫群」では、同じ人物が同じ香りを吸うと、翌日同じ場所で覚えているはずの品目が一致するという奇妙な報告が出たとされる。倉庫帳簿には、試験回数が延べ、一致率が、再現までの平均時間がと記されていたが、現存する写しの信憑性は高くないとされる[5]。
こうした記録をまとめたのが、文書管理に強かったという付属の若手書記、である。彼は「療法」を装うために化学用語を増やし、香りの“粒子径”まで書き込んだパンフレットを商館経由で配布したとされる[6]。
拡大:商館の“携帯カード”が都市儀礼を作った[編集]
ごろ、は携帯用の香りカードを売り出した。カードは革のケースに収められ、使用者は朝と就寝前の、ケースを親指で軽く圧迫して香りを立ち上げると説明された[7]。
この商品戦略は、単なる香料販売ではなく「記憶の再点火」を日課にすることで、都市生活者の時間管理に寄与するという形で宣伝された。実際、の一部の学校では、授業開始の合図として同カードを“儀礼として”使用したとする証言がある。ただし、学校側は公式には否定し、同種の香りが混入しただけだと主張したとされる[8]。
また、には香りカードの蒸留液の配合比率が「3-1-7」とされ、蒸気が安定する温度をとする説明が流行した。現在の一般常識から見ると無茶が多いが、当時は温度計の誤差が“個性”として許容されたのだという。一方で、香りの強い個体差が事故につながることもあり、配合を緩める改良版も出たとされる[9]。
転換と衰退:効能の論争と「安全基準」の導入[編集]
第一次世界大戦期に香料の供給が不安定になると、は代替素材で“似た香り”を再現しようとする方向へ進んだ。ここで「低刺激油脂」という表現が前面に出たとされるが、実際には樟脳の比率が上がった例もあったという[10]。
前後には、都市衛生局の内部メモで「香りカードによる咳発作」の報告がまとめられた。メモでは、訴え件数が、発症までの平均が、再発がとされる。もっとも、メモは匿名で、記録者が商館の元同僚だった可能性が指摘され、数字の妥当性に疑いが持たれた[11]。
結果として、以降は「香りによる記憶安定」は民間の領域に押し戻され、代わりに“科学っぽい”別の呼称(例:)へと名前が変わっていったとされる。名称が変わっても実態は似ていたため、後年の研究者は「トクリーメン・メアリーは衰退したのではなく、言い換えられた」と結論づけたという[12]。
批判と論争[編集]
に対しては、効果の根拠が“香りの体感”に依存している点が繰り返し批判された。特に、宣伝資料では「失念が減る」と断言しつつ、測定法については「思い出の一致度」と曖昧な指標を採用したとされる。そのため、比較試験が成立していなかったのではないか、という指摘が強い[2]。
一方で支持者は、科学的測定が難しいのは当たり前だと主張した。なぜなら「記憶の再起動」は“本人が気づく前に進む”ため、第三者が観察しても差が見えない、と説明されたからである。また、香りカードの使用者が「自分の香りが合っていたか」を主観で判定していた可能性もあるとされ、評価が循環したとの見解もある[5]。
さらに笑えないが笑える論点として、当時の安全基準が「香りの残り香が、夕方までに薄くなること」といった、測定不能に近い基準で運用されたという記録がある[11]。この運用は、現代の基準から見ると滑稽であるが、当時の官庁が“文化を数値化すること自体”を優先した結果だと解釈されることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Martha L. Cudmore「‘Tokrimen Mary’ and the Portable Scent Card Phenomenon」『Journal of Urban Odor Studies』Vol.12第4号, pp.211-238, 1908.
- ^ 【ウィリアム・グレイヴス】「港湾返品の匂い移りと生活記憶の安定」『王立衛生工学協会紀要』第7巻第2号, pp.33-59, 1898.
- ^ Edmund H. Parnell「The 3-1-7 Distillation Claim and Its Social Uptake」『Transactions of the British Perfume Society』Vol.3 No.1, pp.70-95, 1913.
- ^ 高梨紗夜「記憶安定と香り儀礼—英語圏パンフレットの系譜」『民間療法史研究』第18巻第1号, pp.1-26, 1997.
- ^ Nora B. Whitlock「Cough Episodes after Scent Card Use: A Contested Archive」『Proceedings of the Metropolitan Public Health Seminar』第22巻第6号, pp.451-479, 1922.
- ^ Jean-Pierre Armand「Les pratiques de mémoire par l’odeur au tournant du siècle」『Revue d’Histoire Sensorielle』Vol.9, pp.99-142, 2004.
- ^ 佐藤礼二「“残り香”基準の行政化と誤差文化」『近代衛生行政論叢』第5巻第3号, pp.77-101, 2011.
- ^ J. E. Mallory「London Dock Warehouses and the Myth of Measurement」『Quarterly Review of Domestic Technology』Vol.1第2号, pp.5-27, 1919.
- ^ Ruthlynn A. Mercer「The Finger-Three-Length Rule in Odor Regulation」『International Journal of Unverifiable Standards』第44巻第1号, pp.12-44, 1956.
- ^ 【香粧編集局】『香り療法の百科整理と図解(第2版)』香粧出版社, 1931.
外部リンク
- Tokrimen Mary Archive(収集家フォーラム)
- Metropolitan Scent Cards Museum(博物館サイト)
- Royal Sanitation Engineering Association Online(資料庫)
- Urban Odor Studies Index(文献索引)
- Portable Memory Practices(解説ブログ)