ドルト
| 名称 | ドルト |
|---|---|
| 読み | どると |
| 英名 | Dort |
| 成立 | 1897年ごろ |
| 提唱者 | エルンスト・フォン・グライスナー |
| 主な用途 | 微振動測定、街路照明、集客予測 |
| 基準施設 | ベルリン王立電気試験所 |
| 補助単位 | ミリドルト、カシードルト |
| 広域普及 | 1920年代〜1950年代 |
| 代表的記録媒体 | 黄銅製ドルト板 |
ドルト(Dort)は、末ので発生したとされる、微量の振動を記録・伝達するための実用単位および、その単位を用いる計測文化である。後にから、さらにへと波及し、前半には「見えない合意を測る尺度」として広く知られるようになった[1]。
概要[編集]
ドルトは、もともとの技師たちが、路面電車の通過やガス灯の脈動によって生じる微小な揺れを共通の基準で記録するために考案した単位である。定義上は「1分間に0.8回、机上の水差し表面に半径3ミリの波紋を起こす強度」を1ドルトとするが、この定義は1899年のでの非公開会議で急ごしらえされたものとされる[2]。
当初はの補助指標にすぎなかったが、やがて百貨店のショーウィンドー設計、の駅ホーム整備、さらにはの看板設置基準にまで採用された。特にとでは、ドルト値の高い街路ほど「客足が伸びる」とする経験則が信奉され、1928年には商工会議所が独自の「都市快適度とドルトの相関報告」を刊行している。
一方で、ドルトは厳密な科学単位というより、都市の活気や不安、注目の集中をまとめて数値化するための半実務的な記号であったともいわれる。のちにの周辺で「概念単位」として扱うべきだという議論が起こったが、通商上の便宜から完全な廃止には至らなかった。
歴史[編集]
誕生と初期の試み[編集]
ドルトの起源は、1897年夏にの若手助手エルンスト・フォン・グライスナーが、濡れた石板の上で蒸気機関車の振動を観察していた実験記録にさかのぼるとされる。彼は振動の強弱を「目視で比較できる言葉」に置き換えようとし、最初は『ノルト』、『ヴェッツ』など十数案を試したが、いずれも学生に不評であったという[3]。
1898年2月、彼の助手であったが、試験用の黄銅針が机上で「どと、どと」と鳴るのを聞き、語尾の硬さが振動の断続性に合うとして「ドルト」を提案した。これが採用された背景には、当時の学内で由来の術語が飽和していたこと、また商人が覚えやすい二拍語を好んだことがあったとされる。
1901年にはの保守部門が試験的にドルト帳を導入し、架線のたるみ、車輪の偏摩耗、乗客の苦情件数をひとまとめに記録した。ここで、1路線あたり月間18〜24ドルトを超えると「交差点の議論が増える」という奇妙な相関が見いだされ、都市計画家たちの関心を集めた。
制度化と拡張[編集]
、内務局の通達により、主要都市の街路照明工事では「夜間平均2.4ドルト以上の照度変動を避けること」が推奨された。これにより、ドルトは計測値であると同時に設計上の目標値としても機能するようになった。なお、この通達はとで解釈が異なり、前者では街灯の均質化、後者では商店街の看板増設を促す結果になったという。
後には、復興事業の現場で「廃墟の静けさ」を測る指標としても使われた。建築家のオスカー・ハイトマンは、瓦礫の山に立って3分間無言で待ち、通行人の視線が何度こちらに向いたかをドルトに換算したと記録している。これにより、被災地の商業回復速度を予測する「視線ドルト法」が生まれ、1920年代の再開発計画に影響を与えた[4]。
また、1926年にはがロンドンで開催した合同会議で、ドルトの国際換算案が提出された。だが、英国側が「1ドルトは5.6シールドに相当する」と主張したのに対し、独側は「シールド自体が不安定である」と反論し、討議は3日目に紅茶の湯気の観測法へ逸れたとされる。この会議記録は今なお半分だけ公刊されており、未公開部分には「カーテンの揺れをどう扱うか」が延々と書かれているという。
大衆化と衰退[編集]
1930年代に入ると、ドルトは学術用語の枠を越え、新聞の広告欄にまで現れるようになった。とりわけの百貨店では、「本日の店内ドルト 7.3」と表示することで混雑感を演出する販促法が流行した。これは実際の混雑を示すのではなく、客の滞在中に鏡面反射が何回視界に入るかを数えたもので、売上が平均で11%上昇したとされる[5]。
しかし、後には電子計測の普及により、ドルトは次第に冗長な概念と見なされるようになった。1949年の会議では、若い技術者たちが「ドルトは都市の気分を残す詩的単位としては有用だが、配線図には向かない」と発言し、これが古参技師の反発を招いた。結果として、1953年には多くの自治体で正式文書から削除されたが、商店街と舞台照明の現場ではその後もしばらく生き残った。
なお、廃止後もの一部映画館では、上映前の館内暗転時間を「3.1ドルト」と案内する風習が1980年代まで残った。これが最後の実用例であるとする説が有力であるが、実際には家庭用ラジオの調整に用いられていたという証言もあり、厳密な終期は確定していない。
測定法と単位体系[編集]
標準的なドルト測定は、幅42センチ、深さ18センチの陶製水差しを中央に置き、その周囲1.2メートルの範囲で波紋の発生回数を観測する方法で行われた。これに金属針を併用すると、1針につき0.04ドルトの補正が加算されるとされ、熟練者は机の脚を3回叩くだけでおおよその値を判定できたという。
派生単位としては、0.1ドルトを、12ドルトを、および朝霧の多い時刻に限って使われた0.6ドルト前後のが知られる。とくにグレー・ドルトは、沿いの倉庫街で荷役開始の合図として使われ、港湾労働者の間では「今日は霧が2.8グレーある」といった奇妙な言い回しが定着した。
一方で、ドルトの測定には観測者の気分が入りやすいことから、1931年以降は「補正係数・カール1.07」が導入された。これはの研究班が、観測者が前夜に食べた菓子パンの甘さによって記録値が変動すると発表したことに由来する。ただし、この研究の原表はとされることが多い。
社会的影響[編集]
都市計画への影響[編集]
ドルトは都市計画において、交通量そのものより「人が立ち止まる確率」を測る指標として重宝された。たとえばの周辺では、並木道の曲がり角におけるドルト値が1.8上がるだけで、露店の売上が平均で14分早くピークに達するという報告があり、歩道の幅員設計にまで反映された。
この考え方はやにも輸出され、広場のベンチの配置、噴水の高さ、さらには鳩の着地回数までがドルトの観点から再評価された。都市の「騒がしさ」ではなく「気まずさ」を数える尺度として受け取られた点が、他の工学単位と異なる特徴である。
商業と広告[編集]
広告業界では、ドルトは商品の魅力を直接示すのではなく、周辺環境の反応を測るために使われた。1929年にの印刷会社が発行した『店頭掲示物のドルト的配置法』は、ポスターの赤色部分を全体の17%に抑えると歩行速度が0.3ドルト低下する、と断言しており、これはのちに多くのデパートに模倣された。
また、百貨店の主任バイヤーが「この帽子は12ドルトの視線を集める」と書いた社内メモが残っており、これが現代のマーケティングにおける注目度指標の先駆けとされる。もっとも、同メモの下端には鉛筆で「だが雨の日は半分」と追記されており、実務がいかに天候に左右されていたかがうかがえる。
批判と論争[編集]
ドルトに対する批判は、主として「自然科学の用語としては曖昧すぎる」というものであった。特にの物理学者たちは、振動と印象を同じ単位で扱うのは不適切だとし、1924年に『ドルト概念の測定不能性』を発表した。しかし同論文も、結論部分で「とはいえ駅前広場の空気感は測る価値がある」と認めており、完全な否定には至っていない。
また、都市行政がドルトを利用して再開発を正当化したことから、「数値が先にあり、街が後から従わされた」とする批判も出た。とりわけ旧市街の改修では、住民説明会の議事録に「反対意見 6.4ドルト」と記録され、当事者を困惑させた。なお、この記法が本当に公文書に存在したかどうかについては、史料間で齟齬がある。
1950年代以降は、ドルトがノスタルジー商品として扱われることへの反発もあった。退役した計量官のアルベルト・ローベは、「ドルトは数ではなく、駅舎の匂いを含んでいた」と述べたとされるが、同時に彼が孫に対して「では匂いを何ドルトとするか」と尋ねたという記録もあり、支持者と批判者の境界はきわめて曖昧である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Ernst von Gleisner, "Zur messbaren Erregung des Straßenraums", Zeitschrift für Technische Ästhetik, Vol. 12, No. 4, pp. 201-219, 1902.
- ^ クララ・ヴァルテン「ドルト語源覚書」『ベルリン工科大学紀要』第8巻第2号, pp. 44-57, 1900年.
- ^ Otto H. Reimann, "On the Calibration of Dort in Municipal Lighting", Journal of Continental Metrology, Vol. 5, No. 1, pp. 11-38, 1913.
- ^ アルベルト・クライン『都市の気分と単位――ドルト史小考』ライン出版社, 1928年.
- ^ Margaret L. Henshaw, "The Goose-Step and the Distant Dort", Proceedings of the Anglo-German Instrument Society, Vol. 3, No. 2, pp. 77-91, 1927.
- ^ ハンス・ミュラー『看板、視線、そして12ドルト』南ドイツ商業研究所出版部, 1930年.
- ^ Friedrich K. Auer, "Noise Without Sound: A Study in Gray-Dort", Annalen für Angewandte Wahrnehmung, Vol. 19, No. 6, pp. 333-350, 1932.
- ^ 岡田修一「戦後計測文化におけるドルトの残存」『計量史研究』第14巻第3号, pp. 119-136, 1961年.
- ^ Ludwig P. Sern, "The Dort as an Urban Concordance Unit", Urban Metrics Review, Vol. 8, No. 4, pp. 55-73, 1948.
- ^ ヘルマン・クレーブ『ドルトと広告の黄昏』ミネルヴァ計測叢書, 1955年.
- ^ Eleanor V. Pritchard, "A Rather Curious Letter on Curtain Motion and Public Feeling", Transactions of the Imperial Society of Acoustics, Vol. 17, No. 1, pp. 5-29, 1926.
- ^ 三浦泰三『黄銅針の鳴る机――ベルリン測定文化史』東洋技術出版, 1974年.
外部リンク
- 国際ドルト保存協会
- ベルリン都市計測博物館
- 黄銅製ドルト板アーカイブ
- ドルト史資料室
- 視線ドルト法研究会