ドンキ界偶
| 名称 | ドンキ界偶 |
|---|---|
| 英語名 | Donki Kaiugu |
| 分類 | 都市民俗学・商業空間現象 |
| 初出 | 1987年頃とされる |
| 提唱者 | 佐伯 進一郎(民俗流通研究家) |
| 主な発生地 | 東京都、神奈川県、大阪府の繁華街型店舗 |
| 関連施設 | 深夜営業店舗、倉庫型売場、折り返し通路 |
| 特徴 | 強い視覚刺激、時間感覚の喪失、購買衝動の増幅 |
ドンキ界偶(どんきかいぐう、英: Donki Kaiugu)は、を中心に発生するとされる、深夜の空間における偶発的な“商品配置の錯覚”を指す都市民俗学上の概念である。店内の照明、通路の曲がり方、POPの過密配置が重なることで、買い物客が「別世界に迷い込んだ」と感じる現象として知られている[1]。
概要[編集]
ドンキ界偶は、に入店した者が、陳列棚の圧力と過剰な装飾により、現実の生活圏から一時的に切断されたように感じる状態をいう。特にやの繁華街店舗で報告例が多く、1980年代後半から雑誌連載やテレビ特集で断続的に取り上げられてきたとされる[2]。
名称の「界偶」は、もともとの周辺領域で用いられた造語であり、「界」は日常界と商業界の境目、「偶」は偶発性と巡り合わせを意味する。研究者の間では、客が目的の商品を探していたはずが、最終的に業務用スナック菓子や季節外れの仮装用品を抱えてレジに向かうまでの一連の心理変化を総称する語として扱われている[3]。
成立の経緯[編集]
通説では、代後半、の深夜営業店に通っていた大学院生グループが、売場内での“方向感覚の崩壊”を観察し、これをの新種現象として記録したことが始まりである。その後、に『流通空間と夜間儀礼』という私家版報告書において、初めて「ドンキ界偶」の語が使われたとされる[4]。
もっとも、別説では、の小劇団が、舞台美術の参考として店舗を観察していた際、サインボードの色彩構成を「偶然ではなく儀式」と表現したのが先行例であるという。この説を支持する資料として、当時の稽古記録に「黄色の棚に赤の値札が重なると、人は財布の紐より先に記憶を失う」とあるが、真偽は定かでない[5]。
特徴[編集]
視覚的過飽和[編集]
ドンキ界偶の第一の特徴は、とに由来する視覚的過飽和である。商品札、手書きPOP、等身大パネル、期間限定ワゴンが三層以上に重なることで、利用者は通常の売場面積よりも広い空間にいるような錯覚を受けるとされる。ある調査では、被験者42名のうち31名が「隣の棚が昨日より遠い」と回答したという[6]。
時間感覚の変形[編集]
次に、店内音楽と深夜帯の照度差により、時間感覚が変形する点が挙げられる。研究者はこれを「レジ前遅延効果」と呼び、会計前の3分が体感上17分から24分に伸長することを示した。なお、同研究では、台の来店者は日中来店者よりも新規購入率が18.4%高かったとされるが、サンプルの大半が試食目的の学生であったため、批判もある[7]。
主要な研究者[編集]
ドンキ界偶の研究史で最も著名なのは、のである。佐伯はに『商業空間の神隠し』を刊行し、売場の迷宮性をの参道構造と比較した。彼は「買い物客が棚を曲がるたびに目的を忘れるのは、店が都市の縁側として機能しているからだ」と論じた[8]。
一方、のは、界偶を視覚現象ではなく、選択肢過多による認知の短絡として定義し直した。田辺は、関西圏の7店舗で延べ1,280人を調査し、特に菓子売場とキャラクター雑貨売場の交差部で発生率が高いと発表した。もっとも、彼女の調査ノートには「なぜか3回に1回は加湿器を買ってしまう」との手書きメモが残されており、研究の中立性をめぐって議論がある[9]。
社会的影響[編集]
ドンキ界偶は、単なる買い物の失敗談にとどまらず、都市生活における“深夜の擬似観光”を定着させたとされる。特に以降、若年層の間で「ドンキで何も買わずに出るのは難しい」という俗信が広まり、店舗を目的地ではなく娯楽装置として扱う消費行動が強まった[10]。
また、関係者の一部は、繁華街店舗の照明演出が外国人旅行者の回遊を促進しているとして、これを“ナイトタイム文化資源”に位置づけたという。ただし、地元商店街からは「近隣の文具店まで全部“深夜の迷宮”に見えてしまう」との苦情もあり、ながら、界偶が街区の業態認識に影響したとの指摘がなされている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、ドンキ界偶が学術用語というより、店舗体験を誇張した俗語にすぎないという点にある。特にの元助教であるは、「現象の説明に神秘性を持ち込みすぎており、実態は単に通路が狭いだけではないか」として、のシンポジウムで強く反発した[11]。
これに対し支持派は、界偶の本質は物理的構造ではなく、来店者が“ついで買い”を正当化するために心の中で生成する物語にあると反論した。なお、ある再現実験では、被験者に「普通のスーパー」と「繁華街型ディスカウントストア」の写真を見せたところ、後者の写真だけで財布を握りしめる動作が有意に増えたというが、実験に用いられた写真の半数が閉店後の売場であったため、比較条件はやや怪しい。
文化史上の位置づけ[編集]
文化史的には、ドンキ界偶は末期から初期にかけて形成された都市的な“過剰接触空間”の代表例とみなされる。研究者の一部は、これはの格式とも、郊外型量販店の合理性とも異なる、第3の商業儀礼であると位置づけている[12]。
一方で、の一部店舗で見られる「入り口直後にテーマソングが大音量で流れ、客が右へ進むか左へ進むかを一瞬失う」現象が、界偶の完成形とされることがある。しかし、これは店舗ごとの差が大きく、全国一律の文化モデルとして扱うには粗いという意見も根強い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯進一郎『商業空間の神隠し—夜間売場における界偶現象の記述』風月社, 1991年.
- ^ 田辺美沙『都市消費と迷宮化する売場』京都大学出版会, 2004年.
- ^ Harold J. Whitcombe, “Retail Liminality and the Donki Kaiugu,” Journal of Urban Folklore, Vol. 18, No. 2, 2008, pp. 44-71.
- ^ 中村理恵『深夜営業と視覚過飽和』流通文化研究所紀要, 第12巻第1号, 2011年, pp. 15-38.
- ^ Margaret A. Thornton, “Neon Aisles and Consumer Drift,” Pacific Commercial Studies, Vol. 9, No. 4, 2013, pp. 201-229.
- ^ 高瀬 恒一『通路幅と選択障害—界偶批判の試み』都市経済評論社, 2012年.
- ^ 川端真琴『レジ前遅延効果の計量分析』日本認知商業学会誌, 第7巻第3号, 2017年, pp. 88-104.
- ^ A. N. Feldman, “When the Shelves Become a Maze,” Retail Anthropology Quarterly, Vol. 5, No. 1, 2015, pp. 3-19.
- ^ 山口千尋『ドンキ界偶の社会史』港北新書, 2020年.
- ^ 田辺美沙・佐伯進一郎『加湿器はなぜ買われるのか』関東商業学会叢書, 2019年.
- ^ 渡辺精一郎『商店街の夜と偶然の儀礼』地方史料出版社, 1989年.
外部リンク
- 日本都市民俗学会デジタルアーカイブ
- 流通空間研究フォーラム
- 夜間商業文化資料館
- 界偶現象観測センター
- 深夜売場観察報告室