ナナナのようなもの
| 分野 | 言語心理学・民俗学・音響記号論 |
|---|---|
| 主な形態 | 母音反復、曖昧な語尾、段階的に意味が立ち上がる文脈 |
| 成立の契機 | 実験用音声データの匿名化作業と現場記録の統一 |
| 典型例 | 「ナナナ」「なんなん」「な・な・な…」など |
| 関連概念 | 空語(くうご)、儀礼的間(ま)、受聴(じゅちょう)曖昧化 |
| 研究機関 | ほか |
(なななのようなもの)は、音声・文章・儀礼のいずれかに現れるとされる「意味が薄い反復表現」の総称である[1]。20世紀後半に一部の言語心理学者と民俗学者の間で言及され、学術会議の“空欄”を埋める比喩としても定着したとされる[2]。
概要[編集]
は、会話や朗読、聞き取り調査の現場で見られる“反復なのに情報量が増減する”言語現象として整理されている。単なるオノマトペではなく、聞き手の文脈推定を強制する働きがあるとされる点が特徴である。
用語は、録音データから話者固有名や地名を削除したあとに残る、均質な母音列を暫定ラベルとして扱ったことに由来すると説明されることが多い。もっとも、実際の研究者のあいだでは「分類名に見えるのに、分類対象の実体が常に揺れる」こと自体が、この概念のコアだと見なされている[3]。
一方で、民俗学の領域では、祭礼の“最初の唱え”に似た機能を持つものとして、村の年中行事の記述にも援用された。結果として、言語学・心理学・民俗学が同じ用語で別々の説明を競う構図が生まれたとされる[4]。
概念と分類[編集]
学術文献ではが、少なくとも3系統に分類されるとされる。第1は「母音反復型」で、語頭から語尾まで同一の音素が数回以上連続するものを指す。第2は「語尾上げ型」で、反復の最後だけが微妙に上がり、質問や呼びかけの印象を誘導するものと説明される。
第3は「段階立ち上げ型」で、初期の反復は意味を持たないが、直後の文脈が付与されることで“後付けで理解されてしまう”タイプとされる。たとえば「ナナナ」の直前に謝意が置かれると、後続の聞き手は“ありがとうの類語”だと推定してしまうという観察が報告されたことがある[5]。
また、民俗学寄りの分類では、祭礼・儀礼・朗誦の場に現れるものが「間(ま)の制御」と関連づけられる。特に(じゅちょう)をめぐる心理実験では、“反復があるほど、聞き手は情報を補ってしまう”現象が統計的に示されたとされる[6]。なお、補完が行き過ぎると、実際には存在しない固有名詞が復元されるケースがあると指摘されている。
歴史[編集]
音声匿名化と“空欄の言語”[編集]
が学術用語として定着した経緯は、(東京・)で行われた匿名化手順の改訂に求められるとされる。1978年に同研究所の「館内放送実験」が始まり、録音の保存規約が厳格化した。規約上、話者を特定しうる固有名詞の削除が必要であり、削除後に残った音列を、当時の若手研究員が“ナナナ”と呼んだことが語源だという説がある[7]。
当初は単なる付箋だったが、削除された語の長さ分だけ母音が“連続して残る”仕様があり、結果として母音列だけが整然と並んだ。そこで、1979年に同研究所が行った内部データ点検では、全サンプルのうち約12,640件(当時の全体が約38,000件)で、削除後に同様の反復ラベルが出現したと記録されている[8]。この数字は後に、用語の採用決定を後押ししたとされる。
なお、匿名化のマニュアルには「内容推定に影響しない範囲で残存音を維持すること」と明記されており、皮肉にもその“維持”が聞き手の脳内補完を強めてしまったという。編集者のメモでは「空欄に文字を入れるのではなく、空欄そのものが語り始める」ことが驚きだったとされる[9]。
民俗学への接続と祭礼記述の標準化[編集]
1980年代に入ると、言語心理学の研究成果が民俗学の記述方法に接続され始めた。きっかけは、の山間部で行われた“初唱え”の聞き取りが、方言差のため書き起こしで揺れていた問題である。現地の記録係は、音が似ている反復部分だけを統一記号で書こうとしたが、結局その記号が“ナナナ”に落ち着いたとされる[10]。
標準化は研究費とも結びつき、の助成枠「地域朗誦アーカイブ整備(第14次)」では、書き起こしのブレを平均で何%抑えられるかが評価指標にされていた。ある報告では、統一記号の導入により“書き起こし一致率”が最大で23.7ポイント改善したとされる[11]。一方で、改善の裏で「人名らしきものが勝手に復元される」事故が起き、記録者が自分の推測を後から取り込む危険性が露呈したという。
この“勝手に意味が付く”性質が、の社会的含意を強めた。すなわち、言葉が欠けているのに、社会は欠けた分を埋めるために動くのだ、という議論が生まれたとされる。
メディア化:テレビ実験と炎上の前夜[編集]
1990年代後半、テレビの教養番組が「聞き間違い選手権」の体裁でを取り上げたとされる。番組では、反復母音列の直前にランダムな短文を提示し、視聴者に意味を当てさせた。結果として、最終的に最も多く当てられたのが“謝罪の意”だとされたが、研究者は「意味当てが目的化すると、実験デザインが意味を作る」と慎重に注意した[12]。
ただし、注意は届かなかった。番組放映の翌月、の一部自治体で、住民向けのアナウンス原稿から固有名を削った際に、反復部分が“励まし”として拡散されたという。たとえば「ナナナ—こちら—至急—」のような字幕が、SNS上で「頑張れ」の定型句として引用されたと報じられたことがある[13]。研究者はこの現象を“反復が倫理語を生成する”と皮肉り、学会での議論が加速した。
こうした流れで、用語は“怪しい言語”としても消費されるようになり、学術会議の議事録では「ナナナのようなものが含まれる議題」などと、具体性の欠如を隠すための言い換えにも転用されたとされる。
社会的影響[編集]
は、情報欠落への対処法として一種の“作法”になったと説明されることが多い。匿名化、書き起こし、字幕の簡略化といった現場で、曖昧な反復を残すか、完全に消すかの判断が問われるようになったからである。
教育分野では、英語学習の聞き取り教材がこの概念を参照し、“聞こえない部分を脳が補う”練習法として採用されたとされる。ある教材の著者は「ナナナは沈黙ではない。補完へのスイッチである」と述べたと記録されている[14]。なお、学習者の自己報告では、誤補完が増えたケースもあり、特に発音が似た語彙では“誤った物語”が固定されやすいと指摘された。
一方で、放送倫理の領域では、反復が誤解を生むことが問題視された。とくに緊急放送で固有名を削除した際、視聴者が反復部分を“指示の種類”として再解釈し、対応行動に差が出たという報告がある[15]。ただし因果は単純ではなく、番組編集、字幕表記、過去の視聴経験も絡むとされ、結局「ナナナのようなものは万能ではない」という結論へと落ち着いた。
批判と論争[編集]
批判の中心は、「というラベルが、対象の不確かさを増幅させる」という点にあった。用語が広まるほど、研究現場では“最初からナナナとして扱ってしまう”傾向が強まり、結果として説明の精度が落ちるのではないかと懸念された[16]。
また、言語心理学側では「母音反復が認知的補完を誘導する」のは事実としても、民俗学側の“儀礼との結びつけ”が飛躍だという反発があった。あるシンポジウムでは、の事例を「儀礼性ではなくデータ欠損の癖」と再解釈した発表が行われ、拍手と落胆がほぼ同数だったとされる[17]。
さらに、メディア化に伴う炎上では、ある出版社が「ナナナのようなもの辞典」を刊行した際、内容が実験データより“占い口調の連想”に寄っているとして批判された。編集者は「出典は提示するが、出典が示すのは研究ではなく当時の空気だ」と述べたとされ、要出典の注記が複数箇所に付きかけたという[18]。もっとも最終的には「出典は閲覧者が自由に補完するための部品」であるとして押し切られた、とも噂された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 村上綾乃『反復母音列と補完推定—「ナナナ」の認知負荷—』国立音声記号研究所出版部, 1984.
- ^ Ellen S. Roth『The Semantics of Missing Prompts』Oxford University Press, 1991.
- ^ 渡辺精一郎『地域朗誦アーカイブ整備報告(第14次)』文化行政研究会, 1996.
- ^ Mariko Tanabe and Joel K. Marsh『Vowel Repetition as a Listener-Controlled Device』『Journal of Phonopsychology』Vol. 12, No. 3, pp. 55-78, 2002.
- ^ 佐伯和彦『書き起こしのブレはどこから来るか』筑波言語学会, 1999.
- ^ Katarina Dahl『Ritual Timing and the Fate of Empty Speech』Cambridge Academic Press, 2007.
- ^ 【文化庁】『地域朗誦アーカイブ整備要領(第14次)』第14次版, 第1章, pp. 12-19, 1995.
- ^ M. A. Thornton『Ambiguity in Public Announcements: A Field Study』『International Review of Applied Semantics』Vol. 4, No. 1, pp. 101-134, 2010.
- ^ 「ナナナのようなもの辞典—社会が補う言葉—」編集部編『ナナナ学叢書』第2巻, pp. 7-33, 2001.
- ^ 大場隆史『空欄が語り始めるとき』河出ミステリ文庫, 2005.
外部リンク
- 国立音声記号研究所アーカイブ
- 地域朗誦アーカイブ整備ポータル
- 反復表現データベース(復元推定)
- 公開講義「聞き間違いと倫理」
- 字幕最適化のためのガイド集