ナーナート
| 分類 | 音韻保存の実践技法(結社型) |
|---|---|
| 主な対象 | 方言・儀礼句・歌詞の断片 |
| 成立の推定時期 | 13世紀後半〜16世紀の写本労働期 |
| 実施形態 | 地域結社と公開口承会 |
| 標準手順 | 復唱→隔音刻印→反復検査 |
| 代表的な記録媒体 | 針穴付きの「音節台帳」 |
| 関連する分野 | 音声学/民俗学/書記文化 |
ナーナート(なーなーと、英: Naanot)は、音韻を素材として言語文化を「保存」するための、地域結社型の実践技法とされる[1]。発祥は欧州の中世写本労働に由来すると説明されることがあるが、実際の成立経緯は多段階に分岐しているとされる[2]。
概要[編集]
ナーナートは、特定の音の並び(音節)を「保存」するために考案された、結社型の口承・復唱手順であるとされる[1]。一見すると単なる詠唱や歌の回し読みのように見えるが、実際には、音の輪郭を“物理的な痕跡”に変換して後世に渡すことを目的とする点が特徴とされる。
具体的には、参加者が同じ音韻列を3回以上復唱し、その際に出る息の長さや語尾の立ち上がりを「隔音刻印」と呼ばれる簡易な符号に変えて、紙片へ押し付けるように記録する方法が語られている[2]。この符号は、のちに「音節台帳」として整理され、別の地域の結社が照合できるように運用されたと説明されることがある。
なお、ナーナートという名称自体は、結社の内部文書でしばしば揺れており、「ナーナート」「ナーナートゥ」「ナナート」と記される例もある。そのため、学術的な定義は時代や地域により異なるとされる[3]。この揺れが、逆に外部の研究者の誤解を誘ったという逸話も残っている。
名称と概念の成立[編集]
音の「重ね」から命名されたとする説[編集]
「ナーナート」は、語頭の「ナ」が三度重ねられる“発声の癖”に由来するという説がある[4]。写本労働者が、読み間違いを防ぐために、目で追う行と口で追う音を一致させる練習をしていたところ、最後に発声が「ナーナー…」と伸びる参加者が続出したことから、まとめ役が冗談半分にそう呼んだのだという物語である。
ただし、結社の外に出た途端に、この呼び名が「儀礼の名前」へ転用され、やがて一般の学術用語として固定されたともされる。その結果、技法そのものより名称のほうが先に広まり、誤った紹介が増えたと指摘されている[5]。
隔音刻印の“台帳文化”が中核になった経緯[編集]
ナーナートが音の実践に留まらず文化装置として扱われたのは、隔音刻印が「針穴付きの音節台帳」に結び付けられたからだとされる[6]。台帳の各ページには小さな穴が等間隔で開けられ、復唱の回数や語尾の跳ね返りを、穴の並びとして転記できるようにされたという。
特に、ある地域結社では台帳を「1冊 168頁、穴 2,184個」と定めていたと記録されている[7]。数字がやけに具体的であるため真偽が議論されてきたが、同時に“管理のための数字”として機能していたことは否定しにくいとされる。
歴史[編集]
13世紀の写本工房からの流入説(最初の“転用”)[編集]
ナーナートの起源は、近郊にあった写本工房で、音読による校正が制度化されたことに求められるとする説明がある[8]。当時は、校閲者が誤写の候補を音読であぶり出し、写し手がその場で修正する運用があったとされる。
この運用が、ある工房の“内規”として「一つの行につき復唱3回、隔音刻印1回」という手順にまとめられたことで、のちのナーナートの骨格になったと語られている[9]。もっとも、この内規がどの工房に属していたかは記録が揺れており、を中心に複数の工房で並行して発達した可能性が指摘される[10]。
16世紀、結社が“公共放送”の役を奪った時期[編集]
16世紀に入ると、ナーナートを扱う地域結社が、都市広場での口承会を定例化し、結果として“公共の読み上げ”を担う立場へ移っていったとされる[11]。当時、都市の知らせを伝える仕組みが不安定だったため、結社が用意する「定型の音韻列」によって、誤伝を減らせると期待されたのだという。
この時期の代表的な舞台として、の広場で「毎月第2金曜に台帳照合が行われる」といった運用が伝わっている[12]。この運用は実務に即していたとも評される一方で、当時の公的役職者からは“民間の声が強すぎる”と反発を受けたともされる[13]。
1872年の“音節検疫”騒動(記録がやけに細かい)[編集]
ナーナートが社会問題として可視化された事件として、の「音節検疫」が挙げられる[14]。これは、流行する発音癖が都市の読み上げに混入し、契約文の誤読が増えたという通報をきっかけに、結社が音韻を“検査”する役目を半ば強制された出来事である。
市の監査局(後述する)は、結社に対して「48時間以内に照合報告書を提出すること」「報告書の音韻見本は全部で12種に限定すること」などの条件を提示したとされる[15]。この12種という数字は、当時の主要な契約類型に対応していたという説明があるが、実際には結社側の都合で選ばれたとも囁かれている。
運用方法と用語[編集]
ナーナートの手順は、復唱の回数と、記録媒体への転写の順番で規定されるとされる[16]。参加者はまず、伝えるべき音韻列を“心拍”に合わせて3回復唱し、その後に隔音刻印で短い符号へ変換する。この符号化により、たとえ声質が変わっても照合が可能になると説明されることがある。
次に「反復検査」では、同じ音韻列が、2人以上の別個体(別の参加者)によってほぼ同じ符号へ転写されるかが確認される[17]。ここで一致率が低い場合、符号の解釈を巡って議論が起きるため、結社では“解釈者”と“発声者”を分けて役割分担することが多かったとされる。
また、台帳の管理用語として「穴列(あなれつ)」があったとされる[18]。穴列は、ページ内の穴の位置関係から音韻列の系統を示すと説明されているが、外部の研究者はしばしば“穴の数”しか見ないため、核心である“並びの時間差”を見落とすと批判されたという。
社会的影響[編集]
ナーナートは、言語を「話すもの」から「測って残すもの」へ寄せた実務文化として受け止められたとされる[19]。そのため、方言の記録や、地域ごとの儀礼句の継承に関わる人々の間で、一定の権威を持ったと説明されている。
一方で、影響は教育や行政にも及んだとされる。たとえば(当時の行政機関名としてに設置されたという記録が一部にある[20])は、契約文の朗読に対し、結社が作る「検疫用音韻テンプレート」を添付するよう通達したとされる[21]。このテンプレートが広がったことで、朗読の標準化が進み、誤読が減ったという評価が出た。
ただし、標準化は同時に多様性を削ったともされる。とくに、結社が好む“安定する音韻列”だけが残り、揺れの多い方言が「検疫不適格」として扱われた時期があったと指摘されている[22]。この結果、ナーナートは保存の道具であると同時に、選別の装置にもなったと論じられた。
批判と論争[編集]
ナーナートには、保存技法としての価値が認められる一方で、「保存されたのは音韻ではなく、結社の解釈である」という批判がある[23]。反復検査において符号化の判断が介在するため、同じ音韻列でも結社ごとの“解釈癖”が混ざることがあるとされる。
また、1872年の音節検疫以降、行政との結び付きが強まったことで、研究者の間では「結社が科学の顔をした口伝統に過ぎない」とする見解が出たとされる[24]。この批判に対しては、台帳運用があまりにも具体的な規格(たとえば「穴列の閾値を 7.5mm とする」など)を持っていたため、完全に非科学とは言い切れないという反論も存在した[25]。
さらに、最も笑いの種になってきた論争として「ナーナートの復唱は実は“記憶術”である」という主張がある。復唱回数や息の長さを固定することで、参加者の暗記が進むため、結社の維持に都合が良いという指摘である[26]。この説は過激だとされたが、一部の聞き取りでは“台帳照合が終わった後に突然物語を覚えていた”という証言が残っており、検証は難航したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Eleanor P. Whitlock『The Syllable Ledger: A Study of Communal Oral Coding』Cambridge University Press, 2011.(第7章の記述が最も引用されやすい)
- ^ 田中啓司『口承文化の“符号化”と地域結社』東京学芸大学出版局, 2016.
- ^ Marcos J. Lattimer「A Note on Isolating Breath-Edges in Medieval Recitation」『Journal of Pseudo-Phonetics』Vol.12 No.3, pp.55-73, 2009.
- ^ Hansjörg Wacht「検疫制度と音韻テンプレートの政治」『European Review of Speech Practices』第4巻第2号, pp.101-129, 2018.
- ^ Sofia Maren『Archive Without Ink: The Needle-Hole Method Revisited』Oxford Lantern Press, 2014.
- ^ 渡辺精一郎『写本校閲と復唱規程の成立』勁草書房, 1899.
- ^ Katrin von Ellbrecht「穴列閾値 7.5mm の再現性」『Proceedings of the Northern Aural Society』Vol.21 No.1, pp.1-17, 2003.
- ^ R. D. McGowen『Public Squares and Private Conventions』Routledge, 1997.(一部で事実関係が不自然とされる)
- ^ 【1872年】音節検疫報告書編集委員会『書記音検査局・音韻判定記録(復刻版)』北欧文庫, 1952.
- ^ 神谷みどり『標準化が奪う揺れ—結社型言語保存の負の側面』新曜社, 2020.
外部リンク
- Naanot音節研究会アーカイブ
- 隔音刻印デジタル写本館
- 音節台帳照合ガイド(非公式)
- 書記音検査局資料ポータル
- 穴列データベース(閲覧のみ)