ヌガザカ
| 分野 | 地域文化・香気学的民俗 |
|---|---|
| 初出とされる時期 | 期の会計帳合言葉 |
| 主な用法 | 祭礼の準備工程名/比喩表現 |
| 関連する地域 | ・周辺 |
| 中心概念 | 香気成分「NGA(Nugazaka Glimmer)」 |
| 典型的な語り口 | 匂いの再現性と“坂”の縁起を結び付ける |
ヌガザカ(ぬがざか)は、ある種の食品香気成分と街の記憶が結び付けられたとされる、発祥の呼称である。主に内の小規模な祭礼・商習慣の文脈で用いられてきたとされるが、その起源は長らく謎とされてきた[1]。
概要[編集]
ヌガザカは、地域の人々が“甘く、遅れて来る匂い”を指す際に用いたとされる呼称である。香気学と民俗語彙の境界に位置づけられ、祭礼の準備中に「ヌガザカを立てる」と言われる場合もある[1]。
実際には、語の語源は「ヌガ(仮祝言語)」と「ザカ(坂の発酵沈着)」を合成したものとする説が有力である。特にの旧来の酒蔵群で、貯蔵庫の温度勾配が“後から来る甘香”を生むと説明されたことが、呼称の普及に寄与したとされる[2]。
なお、ヌガザカは単なる匂いの比喩ではなく、祭礼の手順を同期させる合図としても機能したとされる。帳簿上では「ヌガザカ工程(全3段)」として記載された例があるが、資料の欠損により工程の詳細は復元されていない[3]。
語源と成立[編集]
語源をめぐっては複数の系統が語られている。第一の系統では、年間に来訪した外地商人が持ち込んだ飴香の蒸留器(いわゆる“遅香器”)を、坂の下から眺めた農家が「ヌガザカ」と呼んだのが始まりとされる[4]。
第二の系統では、戦前の味覚啓蒙家である「伊藤鶴助」が、匂いを“時間差で来る反応”として説明する講演資料に、架空の香気単位NGAを記し、これが口伝で変形したという説がある。ただし、この講演資料自体の所在は確認されていない[5]。
一方、より実務寄りには、の帳簿係が原料費を隠すために使った暗号語であるともされる。たとえば「甘味料」は検査官の目を避ける必要があり、代わりに「ヌガザカ」を置いたという指摘がある[6]。この“隠語としての成立”は、語の意味が匂いから工程へと拡張した経路を説明しやすいとされる。
歴史[編集]
前史:坂と甘香の“実験慣行”[編集]
ヌガザカが指す現象は、香気成分そのものよりも、貯蔵庫の“温度勾配”を重視する地域的な実験慣行に由来するとする説がある。昭和初期、内の酒蔵が、坂道に面した縦穴貯蔵で熟成ムラを抑える工夫を進めたことが、匂いの遅延を“性質”として語らせたとされる[7]。
この頃の記録では、ある蔵が追い炊き用の乾燥薪を「3種類・計217本」投入し、そのうち「下段投入の52本目」から甘香が立ったと記している。数値は誇張の疑いがあるものの、口頭で伝わる工程が固定化する契機になった可能性が指摘されている[8]。
公的文書化と“香気単位”の導入[編集]
ヌガザカが一気に地域標準語へ寄ったのは、衛生取締の簡易検査規程が改正された中期のこととされる。検査官が「匂いの説明が曖昧」として現場に負担をかけたため、帳簿上の形容を統一する必要が生じたとされる[9]。
このとき、香気学の素人団体「信州匂い測定会」が、匂いの発生時間と残香率を点数化し、NGA(Nugazaka Glimmer)と名付けた。測定は“坂”の上下で行われ、上り側はNGA-1、下り側はNGA-2としたとされるが、なぜ-3が欠番なのかは資料に残っていない[10]。
もっとも、のちの研究ではNGAは化学的単離に成功したとされておらず、「測定会が作った採点尺度」である可能性が高いとされる。ただし、この“単離されていないのに単位が残った”状況こそが、ヌガザカという語の粘りを作ったとも評価されている[11]。
社会的影響[編集]
ヌガザカは、単に祭礼での合図にとどまらず、地域の取引や来訪者対応にも影響を与えたとされる。特に近郊では、出店の見回り役が「ヌガザカの位相が遅い店」を先に訪れる慣行があり、遅延の原因を“火力ではなく人の手順”に求める文化が育ったとされる[12]。
また、ヌガザカをめぐる語りは観光パンフレットにも採用された。観光課の担当者が「甘香の起源を科学の言葉に置き換えると、説明が通りやすい」と考えた結果、遅香器やNGAという表記が一部の冊子に繰り返し現れたという証言がある[13]。
ただし、その影響は均一ではなかった。商店街の一部では“ヌガザカ語”が内輪の合図として固定化し、新規参入者にとっては手順が読めない壁になったとされる。ある協同組合の議事録では「説明責任を匂いで果たすのは困難」という記載が残っている[14]。
批判と論争[編集]
ヌガザカには、検証性の低さをめぐる批判が繰り返し存在した。とくにNGAという“単位”が、再現実験の条件を欠いたまま流通した点が問題視されたのである。実際、別の地域で同様の香気点数を用いたとき、上り側・下り側の差が逆転したという報告がある[15]。
また、古い資料の解読をめぐっても揉めた。帳簿に見られる「ヌガザカ工程(全3段)」は、調理・発酵・清掃のどれを指すのかが割れている。ある編集者は「工程は“時間”を数えるための区切りである」と主張したが、別の研究者は「工程は“逃げ”を作るための曖昧化だった」と反論した[16]。
さらに、出典の曖昧さがネタとして消費されたことへの異議もある。講演会では“ヌガザカを立てる”比喩が盛り上がりすぎ、参加者が本来の手順よりも儀礼的な動作に熱中したという指摘が出た。要出典の疑いがある事項として「217本のうち52本目」がしばしば引用されるが、原簿の照合は未了とされる[8][17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 伊藤鶴助『匂いの時間差と民俗合図』信州匂い測定会, 1937.
- ^ 山岸眞太郎『坂と甘香の記憶:縦穴貯蔵の帳簿学』信濃書房, 1954.
- ^ 田島澄子『NGA尺度の成立と欠番の謎』香気計測研究, Vol.12, 第2号, 1961, pp.33-58.
- ^ 日本衛生取締協議会『簡易検査規程の改正史』官報叢書, 1958.
- ^ Katherine M. Holloway 'Aromic Delay Units in Local Folk Systems', Journal of Sensory Histories, Vol.7, No.3, 1979, pp.101-129.
- ^ 中澤礼子『観光パンフレットにおける香気表現の翻訳』地域情報学年報, 第4巻第1号, 1986, pp.12-27.
- ^ Ryo Tanaka 'From Ledger Words to Measurement Tokens: The Case of Nugazaka', International Review of Taste Culture, Vol.19, Issue 2, 1993, pp.77-96.
- ^ 長野市史編纂室『長野市の祭礼準備と帳簿語』長野市, 2001.
- ^ 香田孝文『要出典の系譜:脚注で生まれる地域学』史料批判叢書, 2010.
- ^ B. Sato 'The Myth of Isolated Fragrance Compounds in NGA Scoring' , Proceedings of the Odor Method Symposium, Vol.2, 2008, pp.5-9.
外部リンク
- 信州匂い測定会アーカイブ
- 長野市祭礼資料センター
- 遅香器技術集成
- NGA尺度データベース(旧版)
- 縦穴貯蔵の写真帖