ヌポポ
| 分類 | 合図体系、民俗語彙、港湾儀礼 |
|---|---|
| 起源 | 19世紀後半の北海道沿岸部とされる |
| 発案者 | 高橋與市らの労働組織、異説あり |
| 主な地域 | 北海道、青森県、東京都の一部 |
| 用途 | 危険回避、荷役統制、祭礼の掛け声 |
| 標準化年 | 1936年 |
| 衰退・再評価 | 1970年代以降、郷土史研究の対象 |
| 関連機関 | 北海道港湾史編纂会、国立民俗技術研究所 |
ヌポポは、主にの河川氾濫原と港湾労働の現場で用いられてきた、反響と手振りを併用する古層の合図体系である。近代以降は小型の警報具、さらに地域芸能の掛け声へと転化したとされる[1]。
概要[編集]
ヌポポは、語頭の「ヌ」と終止の「ポ」が持つ音響的差異を利用し、霧中や強風下でも互いの位置と作業段階を確認するために成立したとされる合図である。やの荷役史料には、石炭袋の積み替え時に「ヌポ」「ポポ」「ヌポポポ」などの変化形が記録されている[2]。
一般には一種の掛け声として理解されるが、実際には手首の返し方、足踏みの回数、投光器の明滅を含む複合的な規範体系であり、単純な発声だけでは成立しない。この点はの民俗音声学研究班が1968年に指摘したが、当時は「荷役現場の冗談」とみなされ、十分に評価されなかったとされる[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
ヌポポの起源は、の下流域における氾濫対策作業に求められることが多い。明治政府の土木監督官だったは、視界不良時の指示伝達に「短音・中音・長音」の三段階を導入したが、現場ではこれが次第に「ヌ」「ポ」「ポポ」と発音されるようになったという[4]。
ただし、同地の古老記録では、さらに早い末期にアイヌ語系の警報語が混交していたとする説もある。もっとも、この説は後年の観光パンフレットによって過度に装飾された可能性が高い。
標準化と普及[編集]
、外郭の臨時調整機関である「沿岸労務統制協議室」が、港湾労働の事故防止を目的としてヌポポの手順を文書化した。ここで初めて、発声の高さを三種、掌の角度を四種、靴底の踏み込みを二種に分けた、計24通りの運用表が作成されたとされる[5]。
この文書は、形式上は「作業要領」にすぎなかったが、実際には半ば訓練教本として扱われ、からまでの一部埠頭で採用された。とくに芝浦の倉庫街では、ヌポポの発声練習が昼休みの余興になり、録音機材の普及とともに流行したという。
衰退と再評価[編集]
以降、フォークリフトや無線通信の普及により、実務上のヌポポは急速に消滅した。しかし、同時期にの学生サークルが「失われた労働歌」として再演したことから、民俗芸能として再解釈されるようになった[6]。
1984年にはが『港の声と体』を刊行し、ヌポポを「近代化に取り残された奇習ではなく、危険環境に適応した合理的プロトコル」と位置づけた。この再評価は、労働安全史とパフォーマンス研究の双方に微妙な影響を与えたとされる。
構造と作法[編集]
ヌポポは単一の発声ではなく、三つの層から成ると説明される。第一層は音声であり、第二層は手振り、第三層は視線の保持である。現場では「声だけのヌポポ」は未完成とされ、むしろ誤認を招くため禁忌に近い扱いを受けていた[7]。
また、季節によって語尾が変化する点が特徴である。冬季は息の白さで輪郭が見えにくいため「ヌーッポ」と引き延ばし、夏季は蚊帳の音に紛れぬよう「ポッ」と切ることが推奨された。これらの差異は地域差ではなく、潮風の湿度による「空気の癖」を読むための知恵とされる。
一方で、ヌポポの伝承者の間では、特定の回数で繰り返すと海霧が晴れるという俗信もあった。とくにでは、漁師が出航前に七回唱えると網の絡まりが減ると信じられており、1971年の聞き取り調査では「たしかに減った気がする」と回答した者が31名中29名にのぼったという[要出典]。
社会的影響[編集]
ヌポポは、単なる作業手順を超えて、共同体の内部秩序を可視化する装置として機能したとされる。港湾では新人が最初に覚える語として扱われ、これを発音できない者は荷揚げ班に入れなかった例があるの労働日誌には、発音不良を理由に配置転換された者がに少なくとも14人いたと記される[8]。
また、戦後の学校教育では、地域学習の教材として利用され、の副読本『港のことば』に一時収録された。だが、子どもたちが授業中に「ヌポポごっこ」を始め、教室の椅子を波に見立てて揺らす騒動が続いたため、3年で削除されたという。
さらに、1978年にはのローカル番組で特集が組まれた。番組内で紹介された「ヌポポ式集団整列法」は、視聴者から「妙に軍隊的だが妙にかわいい」と評され、放送後1週間で関連ハガキが412通届いたとされる。
批判と論争[編集]
ヌポポをめぐっては、その起源をどこに置くかで研究者の対立が続いた。民俗学派は港湾労働由来説を支持する一方、音韻史学派はアイヌ語接触説を強調し、さらに観光史学派は「昭和30年代の土産物店が創作した」と主張した[9]。
とくに論争を呼んだのは、にのが発表した「ヌポポ四元起源説」である。松原は、ヌポポが「警報」「祝祭」「労働」「即興芸」の4用途から独立に収束したと論じたが、査読段階で「便利すぎる分類である」として一部修正された。
なお、に公表された住民アンケートでは、道内在住者の18.4%が「ヌポポを祖母から習った」と回答したが、自由記述欄の多くが「それは運動会のことではないか」といった曖昧な内容であったため、統計の解釈をめぐり再検討が求められている。
現代における扱い[編集]
21世紀に入ると、ヌポポは郷土芸能、音声デザイン、災害研究の交差点に置かれるようになった。の東日本大震災後には、停電時の連絡手段として再評価する提案が一部の自治体で検討されたが、実際に採用されたのは訓練用の口頭号令にとどまった[10]。
一方で、以降の動画共有サイトでは、若年層による「高速ヌポポ」「低音ヌポポ」などの再現動画が流行した。これらは本来の作法と異なるものの、結果として用語の認知度はむしろ上昇し、現在ではの一部の土産店で「ヌポポ鈴」や「ヌポポ手ぬぐい」が販売されている。
もっとも、最も高名な伝承者とされるの実在性については、なお確認が取れていない。資料によっては與市ではなく與一、あるいは「よいち」と平仮名表記されるため、地名のと混同された可能性も指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤久美子『港の声と体—北海道沿岸部におけるヌポポ研究—』北海道民俗出版, 1984.
- ^ 松原倫太郎「ヌポポ四元起源説の再検討」『北海道大学民俗学研究年報』第12巻第3号, 1962, pp. 41-68.
- ^ Harold P. Kincaid, "Signal Chants of Northern Harbors," Journal of Maritime Folklore, Vol. 7, No. 2, 1971, pp. 115-139.
- ^ 渡辺精一郎『石狩川治水補助記録』内務省土木局写本, 1881.
- ^ 中島あや『港のことばと身体技法』青弓社, 1991.
- ^ 北海道港湾史編纂会編『北の埠頭における作業号令集』札幌資料館刊, 1984.
- ^ Margaret L. O'Rourke, "Aural Coordination in Cold-Weather Labor," Comparative Ethnography Review, Vol. 19, Issue 4, 2003, pp. 201-227.
- ^ 小林善太郎「沿岸労務統制協議室資料の断片について」『近代日本労務史』第5巻第1号, 1979, pp. 9-33.
- ^ 高橋與市『ヌポポ覚書』私家版, 1937.
- ^ Theodore J. Meinhardt, "On the Curious Case of 'Nupopo' in Urban Festival Reenactment," Pacific Studies Quarterly, Vol. 11, No. 1, 2016, pp. 77-98.
外部リンク
- 北海道港湾史アーカイブ
- 国立民俗技術研究所 資料室
- 港の声デジタルミュージアム
- ヌポポ保存会
- 函館労働文化研究センター