ネコバンバスピス
| 分類 | 未確定(古魚類説・哺乳類先祖説) |
|---|---|
| 時代 | 後期白亜紀相当とする説が有力 |
| 生息域 | 浅海・河口域・寒流域 |
| 初出資料 | 青森県立海浜民俗資料館『沿岸の奇獣誌』 |
| 命名者 | 斎藤 源一郎 |
| 関連機関 | 国立博物学研究会・道南古生物同好会 |
| 特徴 | ヒゲ状鰭条、頬の斑紋、昼寝時に岩陰へ整列する習性 |
| 研究上の争点 | 実在化石の再解釈か、昭和期の編集創作か |
ネコバンバスピス(英: Nekobambaspis)は、南部からにかけて伝承される、魚類との形質が混在したとされる古生物名である。主に30年代以降の地方博物館資料で言及され、近代古生物学と民間信仰が交差した事例として知られている[1]。
概要[編集]
ネコバンバスピスは、から周辺にかけて伝えられた、半ば古生物、半ばとして扱われる架空の生物である。魚類の骨格にの柔軟な運動性が合わさった存在と説明されることが多く、昭和中期の博物館展示では「潮だまりに現れる小型の守り神」として紹介された記録が残る。
名称の語源については諸説あり、風の学術語に見せかけた造語とする説、あるいはの「ねこばす」と港湾作業用語「バンバスピス」が混淆したとする説がある。ただし、後年の研究では、そもそも最初から「それっぽく聞こえる」ことを意図して命名された可能性が高いとされている。
起源[編集]
沿岸標本の発見[編集]
1937年、近くの干潟整備で採取された「奇妙な鰭骨片」が起源とされる。これを発見したとされるは、当時の夜学講師で、貝殻と魚骨の区別に異常な執念を持つ人物として知られていた。彼は骨片の表面に猫の爪痕に似た平行条痕を見出し、以後これを「ネコバンバスピスの前鰭条」と呼んだ[2]。
なお、同じ資料群にはの乾燥標本、初期の瓶詰め海藻、そしてなぜかの毛束が同封されていたとされる。研究者の間では、斎藤が混同したのか、あるいは同僚が半ば冗談で混ぜたのかが長く議論された。
命名と普及[編集]
1949年に機関誌『海邊古生物通信』第12号で正式に命名が行われたとされる。このとき斎藤は、学術的権威を演出するために式の語尾を付しつつ、地元の寄席で使われていた呼び込み文句を語幹に流用したと伝えられる。結果として、専門家には曖昧さを、子どもたちには親しみを与える奇妙な命名となった。
1950年代にはの巡回展で紙芝居化され、では「港に近づくと猫が静かになる魚」として語られた。これにより、ネコバンバスピスは学術用語であると同時に、沿岸部のしつけ話の一部にもなった。
特徴[編集]
ネコバンバスピスの形態は、全長18〜24センチメートル、体重は推定230〜410グラムとされる。頭部は扁平で、眼窩の周囲に淡い縞が走り、口元のひげ状器官が潮流の変化を感知したと説明される。学術図版では、胸鰭がやや前方に折れ、歩く猫の肩のような角度を示す点が強調された。
一方で、同時代の研究報告には「夜間にのみ砂上へ上がり、満潮前に必ず方向へ向きを変える」といった記述があり、現在ではこの部分は民間伝承の影響が強いとされている。もっとも、1972年にの実習林で撮影されたとされる不鮮明な写真には、たしかに猫に見える影が写っていると指摘する研究者もいる[3]。
研究史[編集]
戦後復興期の再解釈[編集]
1958年から1964年にかけて、の若手研究者らがネコバンバスピスを「寒流域の小型肉鰭類」として整理しようとした。中心人物であるは、化石の実物よりも説明板の文体に興味を示す珍しい学者で、展示文の語尾を三回書き直しただけで一日が終わることもあったという。
この時期、の学習指導要領に準拠した副読本へ採用されかけたが、最終校正で「猫」という語が多すぎるとして見送られたと伝えられる。なお、同じ副読本の見本刷りは現在もの特別収蔵庫にあるとされるが、請求記号が毎年少しずつ変わるため閲覧が難しい。
民俗学との接続[編集]
1970年代後半になると、以来の民俗学的手法を援用し、ネコバンバスピスを「漂着物を神格化した海辺の記憶装置」とみなす研究が現れた。特にの在野研究者は、沿岸集落で行われる猫よけの塩撒き儀礼が、もとはネコバンバスピスを浜へ戻すための行為だったと主張した。
この説は、地元では妙に受け入れられた一方で、学界では「説明として便利すぎる」と批判された。ただし、吉岡が集めた聞き取り記録の中には、老人が一様に「昔は魚がこちらを見ていた」と答えたという記述があり、以後この一文だけが半ば名文として引用され続けている。
平成期の再流行[編集]
に入ると、地域振興の一環としてネコバンバスピスはキャラクター化され、内の観光ポスターや駅弁の掛け紙に頻出した。2003年にはで「ねこばんバスピス饅頭」が発売され、初月で3万2,400箱を売り上げたとされるが、翌月には箱の底に印刷された説明文が長すぎるとしてクレームが相次いだ。
この騒動により、ネコバンバスピスは学術的には忘れられかけたが、文化史的にはむしろ定着した。以後、地元の小学校では総合学習の題材として扱われ、児童が粘土で復元模型を作る際に、なぜか必ず耳をつけるようになった。
社会的影響[編集]
ネコバンバスピスは、実在性の有無とは別に、の沿岸地域における観光戦略と学校教育に長く影響を与えた。とくにでは、冬季の閑散期対策として「猫のような魚を探す」という周遊企画が組まれ、年間延べ1万8,000人前後の参加があったとされる。
また、の一部資料では、地元漁協の「魚類名に猫を入れると子どもが興味を示す」という報告が参照され、以後、各地で類似の命名が増えた。これにより、学術と販促の境界が曖昧になる事例として、の地域資料保存研修でもたびたび取り上げられている。
一方で、真面目な古生物学者からは、実在の化石記録に架空の物語が重ねられることで、地域標本の真偽判定が難しくなるとの指摘がある。もっとも、ネコバンバスピスの場合は最初から判定不能であったため、むしろ保存対象としては扱いやすかったという逆説もある。
批判と論争[編集]
最大の論争は、ネコバンバスピスが本当に古生物だったのか、それとも中期の編集者が作り上げた“もっともらしい地方神話”だったのかという点にある。1986年のでは、標本とされた石膏片の産地表示が後年のインクで上書きされていたことが判明し、会場が一時ざわついた。
また、命名者とされる斎藤源一郎の署名が、年度ごとに微妙に異なることから、単独犯ではなく複数人の合議制だった可能性も指摘されている。これに対し、青森側の保存会は「複数人で作ったならなおさら文化財である」と反論し、議論はむしろ保護活動の活性化につながった[4]。
なお、2011年にはの地域番組で特集が組まれたが、取材班が最後まで実物を撮影できず、代わりに地元の猫が水槽の前で丸くなる映像が30秒流れた。この編集判断が「ネコバンバスピスの本質を最もよく伝えた」と評価する声もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 斎藤源一郎『海邊古生物通信におけるネコバンバスピス初報』国立博物学研究会, 1949.
- ^ 三輪敬一『寒流域魚類の形態変異とネコバンバスピス問題』東京大学出版会, 1963.
- ^ 吉岡ハル『浜辺の猫と塩撒き儀礼』東北民俗研究所, 1978.
- ^ 青森県立海浜民俗資料館編『沿岸の奇獣誌』青森県教育委員会, 1954.
- ^ Harold P. Winch, The Coastal Taxonomy of Nekobambaspis, Vol. 7, No. 2, pp. 114-139, Journal of Northern Palaeofauna, 1971.
- ^ Margaret L. Sloane, 'Cats, Fishes, and the Problem of Believable Fossils', pp. 201-228, Cambridge Coastal Studies Press, 1988.
- ^ 渡辺精一郎『東北沿岸部における半実在生物の受容史』岩波書店, 1996.
- ^ Kenjiro Aso, 'The Nekobambaspis Affair: Museum Labels and Rural Memory', Vol. 12, No. 4, pp. 55-73, Bulletin of Maritime Folklore, 2004.
- ^ 佐々木ミナ『ねこばんバスピス饅頭事件と観光土産の言語設計』地方創生出版, 2006.
- ^ Eleanor V. Hart, 'A Comparative Study of Feliformic Ichthyosaur Names', Vol. 3, No. 1, pp. 9-41, Proceedings of the Society for Invented Biology, 2015.
外部リンク
- 青森県立海浜民俗資料館 特別展示ページ
- 国立博物学研究会 アーカイブ
- 北方古生物図譜データベース
- 道南民俗と生きもの研究会
- 八戸港文化振興協議会