ハゲタコ麻雀
| 発祥 | 日本・大阪府堺市周辺 |
|---|---|
| 成立時期 | 1897年ごろとされる |
| 競技人数 | 3〜5人 |
| 主な用具 | 専用牌144枚、吸着点棒、墨入れ卓 |
| 特徴 | 他家の捨て牌を回収して局面を変化させる |
| 別名 | 寄せ鷲牌、タコ吸い麻雀 |
| 管轄団体 | 日本吸牌遊技協会(旧称) |
| 現在の主流地域 | 関西圏、瀬戸内沿岸部 |
| 禁止歴 | 1948年に一部自治体で要注意遊戯指定 |
ハゲタコ麻雀(ハゲタコまーじゃん、英: Vulture Octopus Mahjong)は、末期にの漁具商人らの間で成立したとされる、の変種である。手牌の完成度よりも「局中にいかに他家の牌を吸い上げるか」を重視するため、俗に「寄せ集め型競り麻雀」とも呼ばれる[1]。
概要[編集]
ハゲタコ麻雀は、通常のに見られる待ちの精度や点数計算に加え、他家の捨て牌を「吸い取る」特殊な局面操作を導入した遊技である。牌の収集力が強い者が有利とされるため、参加者のあいだでは「局を進める者」よりも「局を痩せさせる者」が尊ばれた。
名称の「ハゲタコ」は、卓上の牌をむさぼるように集める様子をの略称との比喩で結んだものとされるが、創始者の一人であるが、店先で飼っていた真水タコの観察記録を残していたことから、俗にその両義が混同されたともいう。なお、初期の記録では「鷲蛸麻雀」と表記されていた例もある[2]。
歴史[編集]
堺の漁具問屋と初期の成立[編集]
1897年ごろ、堺港の網元仲買人たちが、雨天で荷役が止まった際の余興として考案したとされる。当初はが持ち込んだ算盤札と、参詣土産の小判札を用いた即席遊びであったが、牌を拾い直す動作が頻発したため、やがて「卓上の鳥が魚をさらう」さまを真似る独自ルールが採用された。
1903年には、堺の料理屋「末広楼」において第1回「吸牌連合会」なる非公式集会が開かれ、参加者27人のうち18人が最後まで役を作れなかった記録がある。これは後世、ハゲタコ麻雀の基本精神である「完成より回収」を端的に示す逸話として引かれることが多い。
東京への伝播と都市化[編集]
期に入ると、の・周辺の寄席関係者や古書肆を通じて流入し、通常麻雀に不慣れな層にも広まった。とりわけ、神田錦町の下宿「青葉荘」で行われた深夜卓において、1局あたり平均して6.4回の牌回収が発生したとする手控えが残る[要出典]。
この時期に、捨て牌を物理的に引き寄せるための「吸着点棒」が考案された。初期版は先端に蜜蝋を塗った竹串であったが、夏場に溶けやすく、の暑熱下では3巡目まで持たなかったという。これが改良され、1931年には内の玩具問屋で樹脂製の簡易版が流通した。
戦後の統制と再興[編集]
後、賭博性の高まりと卓上道具の危険性から、系の地方通達で一時的に「注意遊技」として扱われた。しかし26年、の港湾労働者組合が慰安娯楽として再評価し、仕事終わりの30分勝負を標準化したことで、競技としての体裁が整えられた。
1958年にはが設立され、ルールが全国統一されたとされる。もっとも、同協会の初代規約は「吸い上げた牌は静かに返却すること」とだけ書かれており、実務上は各地で解釈が分かれた。これにより、では牌の回収権が年功序列化し、では沈黙の長さで加点されるなど、地域差が固定化した。
競技方法[編集]
ハゲタコ麻雀では、一般的な144枚に加え、各卓に「吸い玉」4個が配備される。吸い玉は局の途中で特定の捨て牌列に置かれ、宣言を行うことで、その列の牌を自家の副露に準じて回収できる。ただし、回収した牌は即座に点数化されるわけではなく、次巡までに別の牌種で「蓋」をしなければ無効となる。
役の構成は独特で、通常役に相当する「単騎」「対々」などのほか、「白骨吸収」「潮だまり」「空腹航路」などの変則役が存在する。中でも最上位役とされる「ハゲタコ大漁」は、同一局中に他家の捨て牌を9枚以上回収し、なおかつ自らの手牌に風牌が1枚も残っていない場合に成立するとされる。成立率は公式統計で0.037%とされるが、集計方法が卓ごとに異なったため、学術的には信用性が低い[3]。
文化的影響[編集]
ハゲタコ麻雀は、関西圏の飲食店文化に少なからぬ影響を与えたとされる。大阪市中央区の一部喫茶店では、注文を吸い上げることを「回収」と呼ぶ独特の隠語が生まれ、昭和30年代にはの雀荘広告に「一局で二度おいしい」と書かれるようになった。
また、遊技の性格上、局面を観察する者と手を動かす者が分離するため、解説文化が早くから発達した。1959年に系の夕刊コラムで連載された「卓上の海鳥たち」は、ハゲタコ麻雀を囲む人間模様を描いたもので、のちにテレビドラマ化の企画まで進んだが、牌を吸う演出がスポンサー審査に通らず中止されたとされる。
なお、1970年代後半には周辺の土産物店で「吸い玉風鈴」が売られた記録があり、これはハゲタコ麻雀の一般家庭への浸透を示すものとして引用されることがある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、他家の牌を回収できるという仕組みが、通常の運の均衡を損なうという点にあった。特にのの競技会では、1卓で18回の吸牌が集中し、結果として「打つより吸うほうが上手い者が勝つ」という当たり前の結論に至ったことで、真剣勝負としての妥当性が議論された。
また、初期用具である吸着点棒が未成年の指先を傷つけるとして、教育委員会が校外指導資料に注意喚起を載せたこともある。一方で、愛好家側は「指先に残る墨の汚れこそが戦績である」と反論し、むしろ書痕の多い牌ほど格が高いという価値観を生んだ。
さらに、創始期の記録をめぐっては、の旧家に残る帳面の一部が後年の補筆であるとの指摘があり、研究者のあいだでも「ハゲタコ麻雀は遊びではなく、帳面の余白を埋めるために作られたのではないか」とする異説が根強い。
現在の状況[編集]
現在、ハゲタコ麻雀はと沿岸の一部で愛好されるにとどまるが、大学の民俗学サークルや地域史研究会でしばしば再発掘されている。2022年にはの公民館で復刻大会が行われ、参加者41人のうち7人がルールを最後まで把握できなかったにもかかわらず、閉会時には全員が「またやりたい」と回答したという。
近年はデジタル化も進み、の個人開発者・が制作した「Hagetaco Online」では、牌の回収演出が3D化された。ただし、オンライン版では吸い玉の判定が遅延の影響を受けるため、競技性がむしろ原初の混沌に近づいたと評されることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺鶴吉『堺港吸牌遊戯誌』浪速民俗研究会, 1912年.
- ^ 竹内庄之助『牌をさらう鳥たち――ハゲタコ麻雀初期史』関西遊芸出版, 1938年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Collective Tile Retrieval in Urban Kansai", Journal of Toy Studies, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-229.
- ^ 西村誉志『Hagetaco Online開発記録』京都インタラクティブ文庫, 2021年.
- ^ 日本吸牌遊技協会編『統一競技規程 第4版』日本吸牌遊技協会事務局, 1958年.
- ^ 佐伯俊介『大衆娯楽と吸引の美学』みすず書房, 1977年.
- ^ Ernest K. Holloway, "Vulture-Tako and the Ethics of Borrowed Discards", Proceedings of the East Asian Game History Society, Vol. 8, No. 1, 1989, pp. 44-63.
- ^ 『関西の怪しい遊技百景』朝日夕刊編集部, 朝日選書, 1992年.
- ^ 宮本理一『卓上の墨跡――戦後遊戯規制と地方差』中央法規出版, 2004年.
- ^ Haruko S. Kuroda, "On the Supposed 0.037% Completion Rate of Hagetaco Hands", International Review of Recreational Mathematics, Vol. 5, No. 2, 2015, pp. 88-97.
外部リンク
- 日本吸牌遊技協会資料室
- 堺港民俗遊戯アーカイブ
- 関西卓上文化研究所
- Hagetaco Online 公式記録館
- 瀬戸内遊技史年表