ハッスキ
| 名称 | ハッスキ |
|---|---|
| 別名 | ハスキ、八須木、Husuki system |
| 分類 | 曳航具・儀礼具・移動補助器具 |
| 起源 | 19世紀末の北方漁村 |
| 主な用途 | 雪上搬送、網の回収、祭礼行列 |
| 中心地 | 北海道小樽市、釧路市、網走市 |
| 統括機関 | 旧北海道開発庁 技術民俗調査班 |
| 代表文献 | 『北方曳具考』 |
| 現状 | 一部地域で保存・復元実演が行われる |
ハッスキは、の沿岸部で発達したとされる半儀礼的なおよびその運用体系である。もとは系の冬季移動技術に由来し、のちに周辺の技術者集団によって再編されたとされる[1]。
概要[編集]
ハッスキは、との中間に位置づけられる器具群であり、単体の道具ではなく、結び方、掛け声、隊列の組み方まで含めた総合技法を指すとされる。とくに沿岸では、冬季の強風下で網具や燃料を運ぶために用いられたという。
名称の由来については、アイヌ語系の語彙に由来するという説と、明治期ので生まれた造語説が併存している。ただし、後者を支持する研究者の多くは、1920年代に作成された聞き取り記録の筆跡が一部で同一人物のものと判定されており、学界ではしばしば慎重に扱われる[2]。
歴史[編集]
成立期[編集]
ハッスキの原型は、の氷結作業に従事していた港湾請負人のが、荷滑りを減らすために考案した「三点曳き」にあるとされる。松井はではなく、樽材を薄く削った板を束ねることで摩擦係数を均一化したが、この工法は当時のの規格外であったため、最初の10年ほどは半ば私的な慣行として流通した。
一方で、の後に復員した工兵たちが、ロシア製雪橇の知識を持ち込み、ハッスキの結束法を再編したとする説もある。とりわけで活動したは、雪面を削りすぎないよう先端角を17度から13度へ調整したことで知られ、これが後年の標準型に大きく影響したとされる。
普及と制度化[編集]
初期になると、ハッスキは漁業のみならず、郵便物の集配や学校の炭運びにも使われるようになった。とくにの冬期実習では、毎年12月の最終週に「静音曳航」の課題が課され、隊列の乱れが3回続くと再履修になる制度があったという。
には、の出資を受けた民間団体「北辺器具研究会」が、ハッスキの規格化を進めた。ここで制定された「第2号標準」は全長2.4メートル、前部幅58センチ、後部荷受け部の反り角9度と記録されているが、同じ資料内で別項目の寸法が1.8メートルとなっており、後年の編集で数字が混線した可能性が指摘されている[3]。
戦後の再評価[編集]
後、ハッスキは一度ほぼ姿を消したものの、に工学部の若手研究者が、民俗技術の再評価運動の一環として復元実験を行った。井原は、氷上での直進性を高めるために前輪相当部へ羊毛フェルトを挿入し、これが「柔らかすぎる発明」として当初は嘲笑されたが、実際には雪の圧密化を抑える効果があったと報告している。
また、の前後には、観光用デモンストレーションとしてハッスキ行進がで実演され、1回の公演で平均47人の観客が乗車体験を申し込んだとされる。なお、記録映像の一部では観客が明らかに地面を歩いており、実際には「乗っているふり」をしていたのではないかという指摘もある。
構造と運用[編集]
典型的なハッスキは、前部の「受け木」、中央の「揺れ止め」、後部の「返し縄」から構成される。とくに返し縄は、単に荷物を固定するためではなく、先導者が失速した際に後続者へ合図を送るための半通信装置として機能したとされる。
運用には最低3名が必要で、1人が進路、1人が荷の重心、1人が掛け声を担当する。掛け声は地域により異なり、では「ホロスケ」、では「ハッス、ハッス」、では「曲がるな、曲がれ」とほぼ命令文に近い形で発声されたという。
社会的影響[編集]
ハッスキは、単なる輸送具にとどまらず、北方の共同体における「役割分担の可視化」を象徴する存在となった。冬季の港町では、これを扱える者が一時的に発言権を得る慣習があり、町内会の議事がハッスキの積み降ろし順に左右されたという記録も残る。
また、には、ハッスキの結束法が工場のベルト搬送や病院の冬季搬入口に応用され、の一部病院では救急搬送の補助として採用されたとされる。ただし、この導入事例はの短い記事1本にしか見えず、実際には病院の掃除用台車と混同された可能性がある。
批判と論争[編集]
ハッスキ研究には、早くから「民俗技術としての実在性は高いが、現行の形が一つの発明家集団に収斂しすぎている」とする批判があった。とくにのでは、松井辰之助説を支持する報告に対し、同一人物による改稿が過剰に反映されているのではないかという疑義が出された。
さらに、にはの展示キャプションに「ハッスキは雪上における移動革命を起こした」と記され、これに対して地元保存会が「革命ではなく、むしろ毎年の腰痛を少しだけ減らした程度である」と抗議した。結果としてキャプションは「移動の工夫のひとつ」と書き換えられ、いささか平凡な表現に落ち着いた。
現代の保存活動[編集]
現在、ハッスキはおよびで実演展示が行われている。保存会によれば、完全復元型は重量が31.8キログラムで、雪質が硬い日には逆に人手が増えるため、見学者が「昔のほうが非効率だった」と驚くのが恒例である。
には、が「地域産業の工夫」として副読本に採録したが、その際にハッスキの図版がではなくに見えると話題になった。担当者は後日、原図の注記が薄れていたためであると説明したが、保存会は「むしろその誤読が大事なのだ」とコメントしている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松井辰之助『北方曳具考』北辺器具出版会, 1941年.
- ^ 井原篤志「ハッスキ復元試験における雪面圧密の変化」『北海道工学紀要』Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1957.
- ^ 白石嘉助「網走沿岸における結束具の規格化」『民俗技術研究』第8巻第2号, pp. 115-129, 1932.
- ^ Margaret L. Thornton, “The Husuki and Northern Hauling Rituals,” Journal of Cold-Region Ethnography, Vol. 4, No. 1, pp. 9-27, 1968.
- ^ 北辺器具研究会編『ハッスキ標準図集』北海道拓殖文化社, 1939年.
- ^ 佐藤良平「冬季物流における民具の社会的役割」『季刊 北の生活史』第21号, pp. 73-91, 1984.
- ^ Harold J. Emerson, “A Note on the Angle of Return Rope in Husuki Frames,” Arctic Tools Review, Vol. 7, No. 2, pp. 201-214, 1976.
- ^ 高橋みさを『港町の雪と共同体』道南書房, 2002年.
- ^ 北海道博物館編『地域工芸キャプション改訂録』学芸出版社, 2012年.
- ^ 渡辺精一郎「ハッスキと儀礼的労働の境界」『日本民具学会誌』第34巻第1号, pp. 5-19, 1990.
- ^ Evelyn S. Crowe, “The So-Called Husuki Problem: A Misread Machine,” Proceedings of the Sapporo Winter Studies, Vol. 2, pp. 88-96, 1998.
外部リンク
- 北海道北方民具アーカイブ
- 小樽港冬季輸送資料室
- 網走民俗技術保存会
- 札幌雪上器具研究センター
- 北辺器具研究会デジタル年報