バックリーキック
| 名称 | バックリーキック |
|---|---|
| 英語名 | Buckley Kick |
| 起源 | 1894年ごろ、ロンドン東部の倉庫街 |
| 提唱者 | セオドア・J・バックリー |
| 主な用途 | 姿勢補正、港湾労働者の脚力訓練、祝祭舞踊 |
| 流行地域 | イギリス、アイルランド、日本、カナダ |
| 関連施設 | サザーク歩態研究所 |
| 禁忌 | 食後30分以内の実施 |
| 代表的文献 | 『Buckley Method of Assisted Thrust』 |
バックリーキック(Buckley Kick)は、末ので考案されたとされる、歩行補助と姿勢矯正を兼ねた反復蹴りの技法である。のちに系移民の間で儀礼化し、では舞踏療法の一種として紹介された[1]。
概要[編集]
バックリーキックは、片脚を後方へ小さく蹴り上げる動作を周期的に繰り返し、骨盤の回旋と歩幅の安定化を図る技法であると説明される。もともとは沿岸の荷役作業員が、濡れた石畳で滑らないために編み出したものとされ、の地区の記録に初めて現れる[2]。
この技法は単なる運動法にとどまらず、のちに「負荷を蹴り返す」という意味を持つ社会的慣用句へ発展した。特にの市電ストライキの際、倉庫組合が行進隊列の維持法として採用したことから、労働運動との結びつきが強くなったとされる。なお、当時の新聞には「膝を二度鳴らす奇妙な踊り」として記述されており、初期の評価は一様ではなかった[3]。
歴史[編集]
倉庫街の起源[編集]
起源については諸説あるが、最も有力なのは、の積み荷監督セオドア・J・バックリーが、木箱の運搬中に足首を痛めた作業員に対して「後ろへ逃がすように蹴れ」と指示したことに始まるという説である。バックリーはの体操学校で学んだ経験があったとされ、そこでは脚の引き戻し動作を重視する独自の体操体系が教えられていたという。
には、彼の指導を受けた二十七人の荷役人が、1日あたり平均の行進訓練を行い、そのうち約がバックリーキックを自然に取り入れたとの調査票が残る。ただし、この統計は当時の新聞記者ハロルド・ミルズが独断で集計したものであり、信頼性にはやや疑義がある[4]。
舞踏化と大衆化[編集]
後、退役軍人の再訓練プログラムを通じて、この技法は歩行リハビリとして再解釈された。とりわけ、ので行われた公開講習会が転機となり、医師のエセル・ハミルトンは「反射的な後退運動が神経の緊張を和らげる」と報告した。
一方で移民の集住地では、祝祭の場で足を交互に鳴らしながら回転する儀礼へ変化し、これがの酒場文化と結びついて独自の形式を生んだ。特にのでは、三百名規模の参加者が一斉にバックリーキックを行い、通りの石畳が「まるで機械仕掛けの拍子木のようだった」と記録されている[5]。
日本への伝来[編集]
日本には初期、英字雑誌『The Colonial Posture Review』を通じて紹介されたとされる。の船員寄宿舎を経由してに伝わり、の体育研究会がに模倣実験を行った。これに参加した学生のうち、実にが翌日に筋肉痛を訴えたが、研究会は「成功の兆候」として扱ったという。
戦後になると、内の健康体操ブームに乗って「バックリー式後蹴法」として再命名され、婦人雑誌やラジオ体操の解説欄で断片的に紹介された。なおの番組では、実演者が三歩目で畳の縁に足を取られ、放送事故寸前になったことが後年まで語り草となった。
技法[編集]
標準的なバックリーキックは、左右いずれかの足を後方30度から40度の範囲で小さく蹴り、踵を地面に戻すまでを一拍とする。これをまたはで区切り、腰を固定しすぎないことが推奨される。熟練者は肩を動かさずに行うが、初学者はどうしても上体が前傾しやすいとされる。
派生型として、膝を軽く折ってから行う「ソフト・バックリー」、歌唱を伴う「チャント・バックリー」、そしてで流行した雪上用の「スパイク・バックリー」がある。いずれも、足裏の接地音を一定に保つことが重要であり、古い指導書では「靴底が拍手と同じ役割を果たすべし」とまで書かれている[6]。
社会的影響[編集]
前半、バックリーキックは港湾労働者の集団規律を示す身体技法として、また同時に職場での連帯の暗号として機能した。組合員同士が二度だけ後ろ蹴りを見せることで、監督官に気づかれず合図を送れたという逸話が残る。
また、都市中産階級の間では「姿勢がよくなる」「怒りを後ろへ逃がせる」といった説明が流布し、にはの百貨店で婦人向け講座が開かれた。受講者は1回、週、全で「歩き方が静かになった」と報告したが、同時に「家族から妙に威厳が出たと言われた」との感想も記録されている[7]。
他方、学校教育への導入をめぐっては激しい議論があった。ある教育委員会は「児童の集中力向上に資する」として採用を検討したが、別の委員会は「教室の後方席ばかりが強化される」として退けた。この論争は、身体教育を巡るの戦間期行政の特徴を象徴するものとして引用されることが多い。
批判と論争[編集]
批判の多くは、医学的根拠の薄さと、名称の由来が実在人物バックリー家の系譜と無関係である点に向けられた。、大学の解剖学者ロバート・C・ケイは「後方への小蹴りが骨盤帯を矯正するという説明には飛躍がある」と述べ、以後しばらく学術界から距離を置かれた。
また、にが放送した特集では、実演者が「3分間で心拍数を平均低下させた」と報じたが、同じ番組の末尾では被験者の1人が「単に寒かっただけかもしれない」と発言し、視聴者の間で半ば伝説化した。さらにには、バックリーキックが密かに賭博の勝負決めに利用されたとの告発があったが、証拠が乏しく、今日では都市伝説に近い扱いである[8]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Thornhill, Margaret A.『Buckley Method of Assisted Thrust』Marlowe Press, 1909.
- ^ ハミルトン, エセル『歩行再訓練と後方蹴動の臨床的観察』Royal Medical Quarterly, Vol. 12, No. 3, 1924, pp. 118-137.
- ^ Mills, Harold『Dockside Feet and the Urban Rhythm』University of London Press, 1902.
- ^ 佐伯 恒一『バックリーキックの民俗学的研究』東京歩態文化研究所紀要, 第4巻第2号, 1961, pp. 33-58.
- ^ ケイ, ロバート・C.『骨盤帯と逆蹴動の限界』Edinburgh Anatomical Review, Vol. 8, No. 1, 1948, pp. 1-19.
- ^ Fitzgerald, Noreen『From Harbor Step to Parish Dance』Dublin Folklore Studies, Vol. 6, No. 4, 1933, pp. 201-224.
- ^ 山口 澄子『昭和身体文化史における輸入体操の変容』体育史研究, 第11巻第1号, 1977, pp. 77-96.
- ^ Buckley, Theodore J.『On the Economical Recovery of the Heel』Proceedings of the Southwark Institute, Vol. 2, No. 5, 1898, pp. 5-29.
- ^ Carter, Lionel『The Politics of Rearward Motion』Manchester Sociological Papers, Vol. 14, No. 2, 1936, pp. 44-63.
- ^ 『The Curious Case of the Backward Kick in Wet Cobblestones』London Review of Applied Posture, Vol. 3, No. 1, 1911, pp. 9-17.
外部リンク
- サザーク歩態研究所アーカイブ
- ロンドン港湾民俗資料館
- 英国反復運動学会
- 東京身体文化データベース
- ダブリン都市儀礼年報