パスワードの軍事利用
| 分類 | 軍事情報管理、認証制度、心理戦 |
|---|---|
| 起源 | 18世紀後半の欧州要塞網とされる |
| 主な運用国 | 日本、イギリス、フランス、アメリカ合衆国 |
| 主要機関 | 陸軍省、海軍軍令部、連合通信局 |
| 代表的用語 | 夜間合言葉、回文式照合、階梯パス |
| 転機 | 1917年のベルギー線認証混乱 |
| 衰退 | 1960年代後半の機械式暗号装置普及 |
| 現代的残存 | 演習、警備、危機管理訓練 |
パスワードの軍事利用とは、部隊・施設・通信網において、暗号化以前の人的認証を統一的に運用するために発達した軍事技術である。現在ではの一部資料や、旧の訓令において言及されることがある[1]。
概要[編集]
パスワードの軍事利用は、もともと門衛や哨戒兵が夜間に敵味方を識別するための合言葉運用から始まったとされる。のちにやで制度化され、音声、筆記、身振りを組み合わせた三段階認証へと発展した。
この制度の特徴は、単なる合言葉ではなく、階級、所属、前夜の行軍経路までを含む「短文の記憶装置」として機能した点にある。また、暗号機が未成熟であった時代には、最も安価で、最も人的ミスの多い、そして最も人間的な防衛手段として重宝された。
歴史[編集]
起源と要塞制度[編集]
起源は、オーストリア領の近郊で実施された冬季守備訓練に求められることが多い。記録によれば、夜襲の混乱を避けるため、各小隊に「短く、舌が凍っても発音できる」単語を配布したのが最初であるとされる[2]。
しかしには、合言葉があまりに洗練されすぎた結果、兵士が敵前でうっかり韻を踏み始め、逆に識別が容易になったという逸話が残る。これを受け、では「意味のないが記憶しやすい語」を推奨する告示が出たとされる。
第一次拡大期[編集]
に入ると、パスワードは要塞の門番用語から、野戦電報の送受信確認へと用途を広げた。では頃から、日ごとに変わる二語連接式の合言葉が採用され、前半を守備隊、後半を参謀本部が保持する分割方式が実験された[3]。
この方式は理論上は堅牢であったが、実際には後半の語を担当する将校が退屈し、毎晩勝手に語感の良い単語へ差し替える事例が多発した。これがのちの「文体監査官」制度の嚆矢であるとする説がある。
日本への導入[編集]
日本ではの達第41号により、連隊ごとの夜間識別語が規格化されたとされる。とくにの演習場では、冬季の濡れ声による聞き間違いを防ぐため、母音の連続数を三つまでに制限する「三母音令」が試験導入された[4]。
また、の近衛部隊では、将校の交代時に前任者の癖まで暗号に含める「人格連動型パスワード」が採用されたという。具体的には、入門語を答えるだけでなく、前任者が好んだ茶菓子の銘柄まで添える必要があり、書記係が最も過労した制度として知られている。
制度化と運用[編集]
に入ると、パスワードは単なる合言葉ではなく、通行、補給、通信復旧、俘虜尋問の場面で共通運用されるようになった。の一部部隊では、前線に配布される小冊子に、昼用・夜用・誤認用の三種類が印刷され、誤認用は敵に奪われた際の撹乱用として意図的に滑稽な語を採用した[5]。
一方で、軍規上は「パスワードは口頭でのみ伝達すること」とされていたが、現場では紙片、煙草の箱、ラッパの音階、さらには馬の鞍の裏に彫る方式まで出現した。これにより、では「書いていないのに読める」証拠能力が争われるようになった。
なお、のでは、湿気でインクがにじんだ結果、昼の語と夜の語が一体化し、前線の部隊が互いを「友軍のふりをした他所の部隊」とみなす騒動が起きたとされる。この事件は「合言葉の霧」と呼ばれ、後年の多層認証研究に影響した。
軍事理論への影響[編集]
パスワードの軍事利用は、やがて「情報は鍵ではなく習慣で守る」という独自の理論を生んだ。これはの文書整理術にも影響し、机の引き出しの位置、帽子の置き方、書類の紙質までが認証要素として採用されたとされる。
特にでは、軍楽隊が演奏する最初の三音で所在を確認する「音響パスワード」が研究され、戦場での再現性を高めるため、トランペット奏者に歩幅の規定まで課された。もっとも、演奏者の健康管理が困難であったため、実用化率は低かった[6]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、誤認時の処罰が過度に厳しかった点にある。あるの内部報告では、暗記違いをした新兵27名が「敵性語流通の疑い」で一晩中同じ単語を復唱させられ、翌朝には全員が別の語を覚えていたという。
また、合言葉の発案権をめぐっては、前線の下士官と情報将校の対立が絶えなかった。前者は「発音しやすさ」を重視し、後者は「演習記録に載ったときの見栄え」を重視したためである。この対立はとされるが、いずれにせよ、最も使いやすい語が最も危険であるという逆説を残した。
現代への継承[編集]
期以降、電子暗号の普及により実戦での重要性は低下したが、演習、警備、災害対処訓練ではなお痕跡が残る。の一部では、立入管理の訓練において「記憶のずれ」を再現するため、わざと似た語を複数混在させる方式が使われたという。
さらに民間警備の世界では、軍事由来の「夜間確認語」がホテル、港湾、研究所の受付へ転用された。結果として、受付係が一番覚えるべき単語を忘れ、代わりに挨拶だけが洗練されるという奇妙な文化的副作用が生じた。
派生文化[編集]
この分野からは、パスワード帳、合言葉カルタ、短文暗記競技などの派生文化が生まれた。の旧軍人会では、毎年に「合言葉納め」と称する回顧会が開かれ、退役者が最も覚えにくかった単語を披露する習慣があった。
また、研究者の間では、軍事用パスワードの失敗例を収集した『誤認語彙集』が編まれ、の一部所蔵目録に見立てて分類されたとされる。中には、戦場で最も多く使われたにもかかわらず、誰も正確に綴れなかった語が十数件含まれていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 村上信之『軍用合言葉制度史』中央防衛研究社, 1987.
- ^ Margaret A. Thornton, "Passwords and Barracks Discipline in Continental Armies," Journal of Military Semiotics, Vol. 14, No. 2, 1994, pp. 113-147.
- ^ 佐伯栄一『夜間識別語の実務』陸軍史料刊行会, 1962.
- ^ Jean-Luc Miremont, "La parole courte: sécurité verbale dans les forteresses, 1780-1815," Revue d'Histoire Militaire, Vol. 22, No. 4, 2001, pp. 44-79.
- ^ 小田原武雄『合言葉と補給線』海鳴書房, 1978.
- ^ H. P. Wexler, "Three-Vowel Orders and Their Failure in Wet Weather," Proceedings of the Royal Institute of Defense Studies, Vol. 8, No. 1, 1938, pp. 5-29.
- ^ 高橋澄子『軍務における記憶補助技術』防衛行政出版, 2004.
- ^ Edmund R. Vale, "The Belligerent Password: From Gatekeeping to Counter-Intelligence," Cambridge Military Papers, Vol. 3, No. 7, 1956, pp. 201-239.
- ^ 『ベルギー線合言葉混乱事件調査報告』連合通信局資料室, 1921.
- ^ 渡辺精一郎『認証の日本近代史』東都学芸社, 1991.
- ^ K. S. Hargrove, "The Trampoline Codes of 1917" in Security and Spectacle, Vol. 6, No. 3, 1988, pp. 88-96.
外部リンク
- 防衛史データベース
- 合言葉研究会アーカイブ
- 軍務語彙博物館
- 近代認証史資料室
- 野戦通信文化フォーラム