ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て すべてを脱ぎ捨てたらおいで 裸にならなきゃ はじまらない ショーのはじまりさ
| 代表的参照元 | 沢田研二『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』歌詞断片 |
|---|---|
| 領域 | 音楽批評/ジェンダー論 |
| 主題 | 脱衣の命令形と、ショー化された身体 |
| 問題視される観点 | 男性の視線の主導性、同意の不在を示唆する表現 |
| 派生する比喩 | “脱ぎ捨て倫理”/“裸の義務化” |
| 成立の経緯 | 雑誌・評論の連載で用語化され、社会運動と結びついたとされる |
「ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て すべてを脱ぎ捨てたらおいで 裸にならなきゃ はじまらない ショーのはじまりさ」は、のポピュラー音楽批評で言及される、特定の歌詞断片をめぐる論点の総称である。とりわけの楽曲『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』に付随して広まり、直球な男性の視線と「脱ぐこと」を同一化する表現が、フェミニズム的検討の対象となった[1]。
概要[編集]
「ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て すべてを脱ぎ捨てたらおいで 裸にならなきゃ はじまらない ショーのはじまりさ」は、直接的な命令文と“始まり”の宣言が結びつくことで、聴取者の側に身体規範の圧力を感じさせる、と指摘されている概念である[2]。
この断片は、の歌唱によって“挑発”として受け取られる一方、近年ではの観点から「脱ぐ」行為が自発ではなく条件化されているのではないか、という論点で引用されるようになったとされる[3]。なお、用語としての定着は、1970年代末ではなく1990年代初頭の評論文脈で起きた、とする説が有力である[4]。
概念の核は、身体を“衣服の順番”として扱う語彙()が、最終的に“裸にならなきゃ”という到達条件へ収束していく点に置かれる。ここで“ショー”とは、性的消費の装置という意味合いを帯びて理解されがちであるが、同時に「拒否権を奪う言い回し」として批判されることも多い[5]。
歴史[編集]
用語化の前史(歌詞から“論点”へ)[編集]
当該断片は、元来は『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』の中で“場を起こす合図”として機能していた、と説明されることが多い。もっとも、批評家たちはこの「ショーのはじまりさ」に着目し、「はじまり」は観客側の都合ではなく、歌い手の命令で身体が組み替えられることで成立すると読める、と主張した[6]。
議論の火種は、歌詞中の語尾が“おいで”“はじまらない”といった到達条件を伴っている点にあるとされる。1991年にの編集部で開かれたとされる座談会(参加者は“靴の脱ぎ方”研究者まで含むと記録されている)は、議論が「衣服」の細部にまで及んだことで有名である[7]。
この座談会は、会場の床材が滑りやすかったため、登壇者が“ヒールの脱ぎ捨て”を実演しようとして揉めた——という、やけに生活感のある逸話として残っている。のちに皮肉交じりで「脱ぎ捨て倫理は、転倒事故から学習された」と引用されたことが、用語の拡散に寄与したとされる[8]。
1990年代の“裸の義務化”論と、社会への波及[編集]
用語の定着は、連載「音楽と身体の契約」で一気に進んだとする説がある。この連載では、断片が“身体の選択”を前提にしていない点が繰り返し強調されたとされる。具体的には、「裸にならなきゃ」は形式上の不可能性を示すだけで、実際には“裸を要求する圧力”として機能している、という解釈が採用された[9]。
一方、擁護側は、歌詞が“演出上の比喩”に過ぎず、聴取者が勝手に同意問題へすり替えている、と反論したとされる。この対立が、の議論をポピュラー音楽へ持ち込む契機になり、大学のジェンダー講義でも教材として扱われるようになったといわれる[10]。
また、批評の波及先は音楽雑誌だけにとどまらず、広告業界にも波及したとされる。例として、のある制作会社が「脱ぐことを“開始条件”にしない」コピー規定を社内で導入したとされるが、規定番号が“第7-4条(ハイヒール条)”だったという記録があり、どこまでが事実かは追跡不可能とされている[11]。ただし、こうした“細かさ”が読者の信用を高めたため、概念はさらに拡散したと推定される[12]。
評価の分岐点:直球な男性像への注目[編集]
概念が“男性の描写”そのものの検討へ向かったのは、ある書評の一文が端的だったからだとされる。そこでは、命令形の連鎖が「男性が世界を開く」仕組みとして読める、と書かれた[13]。
この視点から、靴や口紅の扱いが“ステージング”として過剰に細かいことが問題視された。ヒールとルージュは、身体の表面に付随する記号であり、それらが連続して剥がされることが、“主体”より“対象”を強調する構造を持つと説明されたのである[14]。
ただし、最終的にこの議論は「脱がせる側」だけを悪者にするのではなく、「脱がされることを前提に観る快楽」まで含めて批判する方向へ移ったともされる。この移行は、批評家が同じ引用を繰り返しながら、解釈を少しずつ更新したことに起因するとされる。つまり、同じ歌詞でも批評の“編集”が社会の見え方を変える、という実務的な教訓へ接続されていったのである[15]。
内容(典拠となる歌詞と、比喩の機構)[編集]
当該断片は、「ヒールを脱ぎ捨て」「ルージュを脱ぎ捨て」という反復により、身体を“手入れ用品”のように扱っているように見える点が特徴である。この反復は、聴取者に対して「脱ぐ行為は軽い」「脱ぐことは儀式のように簡単」という誤った安心感を与えるとして批判される場合がある[16]。
さらに「すべてを脱ぎ捨てたらおいで」は、条件が揃えば近づけるという構造をつくる。ここから、歌い手(または視線の主体)が“行為の順序”を定める関係性が導かれる、と解説されることが多い[17]。
最後に「裸にならなきゃ はじまらない ショーのはじまりさ」と続くことで、“裸”が開始装置に置換される。フェミニズム的視点からは、この置換が同意を無視しやすい言語設計になっていると読まれがちである。なお、歌詞理解のために「ショー」は舞台演出一般ではなく“観客の期待を満たすための身体展示”として解されることがある[18]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、断片が暗黙に“裸=開始”を結びつけていることにあるとされる。反対に、擁護側は「脱ぐのは象徴であり、現実の行為を命令していない」とする。しかし批評家は、言語が象徴であっても、現実の身体へ“そうあるべき”を持ち込む力を持つ、と応答した[19]。
また、論争は学術の場に限られず、街頭のポスター論へも飛び火した。ある市民団体がの駅前で「裸の条件文は禁止」キャンペーンを実施したとされるが、実施日が“9月31日”だったという転記ミスが見つかり、その資料は「虚構であっても、炎上は現実だった」として再引用された[20]。この種の“間違いさえ面白い”という性質が、概念の知名度を押し上げた面もあったと推測される。
一方で、批判の過熱は「表現規制」へ接続しうる危険性があるとも指摘された。とくに、文学作品や演劇の衣装脱却を一括で問題視する動きが出た際、研究者の一部は「個別作品の言語構造を見ずに倫理を先行させるのは危うい」と釘を刺したとされる[21]。なお、この釘刺しは当時、講義スライドの右下に小さく“要検討”と書かれていたと回想されている[22]。
研究の要点(“脱ぎ捨て”が意味するもの)[編集]
概念研究では、「脱ぎ捨て」の動詞が反復されることで、“対象化”が滑らかに進むと分析されることが多い。衣服は本来、保護や選択のためのものだが、歌詞の語りではそれが「捨てる障害」として扱われるため、身体が目的へ収束する構造が形成される、という見立てである[23]。
次に、視線の主体が明確である点が論じられる。命令形の連鎖は、聴取者に対し「近づく権利」を持つ側の存在を想像させ、その結果、受け手の主体性が後景に退く、と評価される場合がある[24]。
さらに、ショーという語の働きが検討される。ショーは“契約”のように見なされ、観客の期待に合わせて身体が最適化される場だとされる。したがって、「裸にならなきゃ」という条件文は、倫理以前に契約違反のように感じられる、とする批評がある[25]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 村上澄子『音楽と身体の契約——命令形が作る距離感』青灯社, 1992.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton, “Compliance as Metaphor in Japanese Pop Lyric,” Vol. 18 No. 4, Journal of Gender Semiotics, 1995.
- ^ 中村玲音『裸の条件文:歌詞批評のための文体解析』月輪出版, 1997.
- ^ 佐伯文人『ショーのはじまりさ:舞台語彙の社会学』星海堂, 第2巻第1号, 2001.
- ^ 田中和美『脱ぎ捨て倫理の系譜:ヒールとルージュの記号論』白波書房, 2004.
- ^ 伊藤誠司『ポピュラー歌詞における視線の政治』研究叢書社, 2008.
- ^ Hiroshi Oda, “Objectification and the Sequencing of Clothing Loss,” Vol. 12, International Review of Aesthetics, 2011.
- ^ 上條ゆう『炎上する批評:雑誌編集の裏側と脚注文化』紙風船出版社, 2014.
- ^ 野沢幸司『駅前キャンペーンと誤記の伝播:9月31日事件の記録』北辰コミュニティ研究所, 2016.
- ^ Lillian Park, “Consent, Conditionals, and Performative Start,” Vol. 3, Ethics & Performance Quarterly, 2018.
外部リンク
- 歌詞批評アーカイブ『脱ぎ捨て倫理』
- 身体表象データベース(架空)
- ジェンダー論講義ノート倉庫
- ポピュラー音楽批評サロン
- 命令形文体研究所