モチャ族
| 地域 | 主に沿岸部〜内陸の交易回廊 |
|---|---|
| 言語 | モチャ語(交易方言を含むとされる) |
| 宗教的実践 | 杯数(はいすう)を用いる雨乞い儀礼 |
| 主要産物 | 発酵茶葉と塩漬け香草(とされる) |
| 成立の起点(説) | 17世紀後半の「帳簿同盟」期 |
| 関係する機関(記録) | の交易監督局(とされる) |
| 現代的言及 | 民俗学資料で言及されることがある |
モチャ族(もちゃぞく)は、主にの交易圏に居住したとされる民族集団である。呼称は諸説あるが、祭祀用の飲料と交易帳簿を結び付ける語源が有力とされる[1]。
概要[編集]
は、口承史料や交易帳簿の断片に基づき「杯数を単位とする社会制度」を特徴とする民族として記述されることが多い集団である[2]。
一般に、彼らの暮らしは作物の栽培だけでなく、雨季における「発酵茶葉の配給」と、海路・陸路をまたぐ「帳簿による相互保証」で説明される。たとえば、ある調査報告では「集落ごとの保管杯は平均で137個、内訳は儀礼用41・配給用63・保険用33であった」と細かな数値が挙げられている[3]。
ただし、モチャ族の呼称は外部者による通称と考えられており、同じ系譜を別名で指す資料もある。そのため「族」という表現が、厳密な系統学的区分を意味するのか、交易ネットワークを指すのかには揺れがあるとされる[4]。なお、研究者の間ではモチャ族が実在したかどうかよりも「どの資料が最初にこの呼称を固定したか」が議論の中心となっている。
このような状況は、に作成されたとされる「帳簿同盟規約草案」が、後年の写本により“族名”を含む形に整えられた可能性とも関連づけられている[5]。一方で、雨乞い儀礼の所作が現地の他集団と似通う点から、モチャ族は単独の民族というより「制度の名称」だったとする指摘もある[6]。
概要(用語と分類)[編集]
モチャ族に関する呼称のゆれとして、資料上では「モチャ」「モチヤ」「ムチャ」「モチャネ」といった表記が散見される。これは交易路の方言差と、外部の記録係が語頭子音を推定で補ったためだとされる[7]。
分類の便宜上、モチャ族の居住域は「海塩回廊型」「内陸香草型」「境界帳簿型」に分けて説明されることがある。たとえば、海塩回廊型では塩の粒度を“指標杯”で測り、内陸香草型では発酵茶葉の香り指数(仮称:KX-11)が用いられたと記録される[8]。
また、社会制度の側面から「貸借杯制」と「献杯制」の二系統があったとされる。前者は交易の相互保証に杯数を紐づける仕組みであり、後者は儀礼の参加人数ではなく“捧げた杯の種類”をもとに席次を決める仕組みだったとされる[9]。
この分類が後世の整理に由来する可能性も指摘される一方で、儀礼用具の寸法が統一されていたという証言は比較的多い。たとえば杯の高さは「平均で9.6センチメートル、分散は±0.3センチメートル」とされ、測定の単位が“現地風”に統一されていたと推定されている[10]。
歴史[編集]
「帳簿同盟」から始まるという説[編集]
モチャ族の成立については、前後に起きた交易の混乱を契機とする説がある。具体的には、雨季の港湾封鎖で茶葉の輸送が断たれ、各商会が互いの債権を“紙の署名”ではなく“儀礼用の杯数”で保証する仕組みへ切り替えた、という筋書きで語られることが多い[11]。
この変更を主導したとされるのが、の交易監督局の前身組織である(仮称)だとされる。同局は「杯数は燃えにくい、かつ紛失しても再現が可能」という理由で、茶葉配給を“杯の記憶”に接続したと記録されている[12]。
さらに、同盟規約草案には、損失補填の上限が「一集落あたり雨季3回まで、各回につき最大17杯」と書かれていたとされる[13]。この“17”は偶然ではなく、同盟側が海流の周期から逆算した数字だと説明されている。ただし、その根拠文書は見つかっていないとされるため、脚注では「(要出典)」に近い扱いがされることもある[14]。
なお、この説では“モチャ”という語が、配給を司る行事名(Mochā-Qadisi という表記揺れがある)に由来するとされる。一方で、後世の写本では「モチャ=混合茶葉の儀礼名」と整理され、次第に族名へ転化したのだと推定されている[15]。ここが、読者が最初に違和感を持つポイントになっている。
20世紀の民俗学ブームと「モチャ語辞典」の出版[編集]
モチャ族が再注目されたのは初頭の民俗学ブームである。とくに、仏語圏の言語調査隊が内陸の交易村を訪れ、“杯数を数える語彙”が強烈な特徴として記録されたことが背景にある[16]。
この時期、の研究者は「モチャ語辞典の編纂は“発酵茶の香り指数”の記録と同時に行うべきである」と主張したとされる[17]。その結果、辞典の巻末付録には、語彙だけでなく「香りを測る粘度試験(仮称:LQ-04)」の手順が混ざっているという。
出版された辞典は、単語数が「約4,219語」と報告されるが、目録上では重複登録が多く、実際に引ける見出しは「約3,870語」だったという調査もある[18]。この齟齬が、後の研究者に“辞典は翻訳ではなく制度の再構成だった”という疑念を生むことになった。
また、にの助成で行われた“雨乞い杯の再現実験”では、参加者137人に対し、儀礼用の杯が実際には141個配布されたとされる[19]。差分の4個は「不慮の飲料蒸発分」と説明されたが、記録係の手書きの癖が一致していたことから、当時の台帳が後から補正されたのではないかと指摘されることもある[20]。
それでもモチャ族は、制度の模型として説明しやすく、また“杯数”というわかりやすい象徴が教育現場に好まれたため、短期間で教科書的な位置を獲得したとされる。
社会的影響[編集]
モチャ族の影響としてまず挙げられるのは、交易保証の概念が“紙の契約”から“儀礼の物理性”へ移行した、と説明される点である。つまり、契約を破った場合の罰が法廷ではなく共同儀礼の欠席に現れる形で運用されたのではないか、という見方がある[21]。
さらに、雨乞い儀礼の設計が、集落間の協調を促したとされる。具体的には、雨季の初日に各集落が「同数の杯で沈黙を共有」し、その後に差分を交換することで“水の配分”を交渉したと語られることが多い[22]。
一方で、モチャ族の制度が広く模倣された結果、外部勢力が“杯の記憶”を利用して税を徴収し始めたとも指摘される。たとえばの行政文書として「配給杯税(はいはいぜい)—年額換算で住民1人あたり1.8杯分」との記述が現れるが、これは後年の再編集により“税の換算表”が読み替えられた疑いがある[23]。
ただし、そうした批判があっても、モチャ族の物語は地域の教育資源として機能した。杯の数を数える算術が、識字教育(読み書き)と同時に教えられたという証言もある[24]。ここには、制度が単なる伝承ではなく学習の装置になったという評価が付随している。
批判と論争[編集]
モチャ族については、実在の民族像というより「後世の資料が作った制度モデル」と見る立場がある。とくにの辞典編纂をめぐり、エレーヌ・ラグランジュの方法論が“現地語の復元”ではなく“教育用の再構成”だったのではないかという批判がある[25]。
また、の帳簿同盟規約草案については、写本が複数系統に分かれる点が問題視されている。規約のある版では「最大17杯」とされる一方、別版では「最大16杯+調整1杯」と記されると報告される[26]。
この差の解釈をめぐり、17が“海流周期”に結びつくという説明は、天文学的には筋が通りつつも、当時の記録係がその計算を行う立場にあったかが不明だとされる[27]。そのため、学術的には「ロマンの挿入」として扱われることがある。
さらに、雨乞い杯の再現実験()の参加者数と配布杯数の不一致については、「単純な配布ミス」で片付けるには不自然だ、という声もある。結果としてモチャ族研究は、民族学と記録学が交差する領域として注目されつつ、同時に“資料に語らせすぎる”危険も共有している[28]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エレーヌ・ラグランジュ『モチャ語辞典—杯数体系と語彙の地層』マリスト大学出版局, 1919.
- ^ ジョゼフ・アラベール『沿岸交易と儀礼保証:17杯の契約』パリ交易史学会, 1924.
- ^ サラ・ンディアイ『雨乞い杯と共同沈黙:セネガル北回廊の社会技術』北西アフリカ民俗研究所紀要, Vol.12 No.3, 1938.
- ^ ムスタファ・コル『発酵茶葉の香り指数LQ-04の実験記録』実験民族誌誌, 第4巻第1号, 1949.
- ^ F. H. マクレー『“Mochā-Qadisi” の語源再検討』Journal of Trade Mythology, Vol.7, pp.41-63, 1952.
- ^ クレマン・ドゥボワ『世界文化基金と再現実験の倫理:1956年の杯数』文化助成研究年報, 第9巻第2号, 1961.
- ^ イブラヒム・サンゴ『配給杯税の台帳分析(暫定報告)』西アフリカ行政史料集, pp.101-138, 1975.
- ^ L. M. ロハス『契約は燃えない—儀礼物の経済学』Cambridge Border Economies, Vol.3, pp.9-27, 1986.
- ^ (書名が微妙に誤記されている)H. R. ダール『モチャ族の存在論:杯数と記録のねじれ』The Journal of Uncertain Ethnography, Vol.19, pp.77-94, 1999.
外部リンク
- モチャ語学習アーカイブ
- 沿岸帳簿監理局デジタル史料
- 雨乞い杯再現研究会
- 発酵茶葉香り指数(KX-11)データベース
- マリスト大学 特別資料室(未整理分)