ヤルキデ=ナインゴII世
| 氏名 | ヤルキデ=ナインゴ II世 |
|---|---|
| ふりがな | やるきで ないんご つせい |
| 生年月日 | 5月14日 |
| 出生地 | (外港区画) |
| 没年月日 | 11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 海図学(港湾数理)/行政技術官 |
| 活動期間 | 1618年 - 1669年 |
| 主な業績 | 潮流“九点照合法”の整備と、港湾入出港台帳の標準化 |
| 受賞歴 | 以前の相当称号「潮儀算師範(ちょうぎさんはん)」等 |
ヤルキデ=ナインゴ II世(やるきで ないんご つせい、 - )は、の“海図革新者”として知られる[1]。とくに期の港湾行政に影響を与えたことから、後世には「数字で潮を制した人」と呼ばれた[2]。
概要[編集]
ヤルキデ=ナインゴ II世は、の外港区画に生まれ、後に海図学と港湾行政技術の双方を接続した人物である。
彼が編み出したとされる「九点照合法」は、入出港時刻を“潮の観測点”に紐づけ、海上の判断を帳簿上の照合へと置き換える試みであったとされる。結果として、港の事故率や積荷紛失が減ったと記録される一方、運用のために必要なデータ収集が過重になり、別の争いも生んだと指摘されている。[3]
なお、彼の名が「ヤルキデ=ナインゴ」として史料に現れる経緯は統一されておらず、同時代の写本では綴りが「ヤルキデ・ナインゴ」「ヤルキデナインゴ弐世」などに揺れている。編集者の注釈として「外国商館由来の雅号」とする説が併記されることが多いが、真偽は定かでない。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
ヤルキデ=ナインゴ II世はに、の外港区画で生を受けたとされる。父は“測量棚”の管理役であり、家では毎朝、潮見板に刻まれた溝の深さを指先でなぞって読み取っていたという。
伝承によれば、少年時代に彼は港の勾配を「石の角度」として覚え、さらに砂浜の粒径を数える遊びをしたと記される。ある日、母が「船が遅い」と愚痴るのを聞き、彼は“遅れの原因”を当てるために、波打ち際から歩離れた地点で水位を回測定した。結果は的中し、家人はその手つきを“算術の祈り”として扱ったとされる。[4]
ただし、当時のの外港区画に、記録級の潮位測定器が常設されていたかは議論がある。とはいえ彼の家が、外国商館の荷札に付された密かな番地(港の区画番号)を読み解く役目を担っていた可能性があり、そこから数理への関心が育ったと推定されている。
青年期[編集]
、彼は若くしてへ出たとされる。目的は“海図の模写”であったが、実際には模写の裏で港の入出港台帳を照合し、同じ船名でも時刻がずれる理由を追っていたとも言われる。
この頃、彼はから呼ばれたとされる旧流の算師・玉井宗甫(たまい そうほ)に「九点の取り方」を師事したとされる。玉井は「点は九つ、誤差は無数」と語ったと伝わり、彼の測定ノートには、円周ではなく“舟の軌道”に沿って点を打つ図が残されている。[5]
さらに、青年期に彼が“潮名”の命名を整えたとされる。たとえば、潮が折り返す瞬間を示すための語彙を、方角や季節ではなく「観測番号」で統一したという。これにより、漁師が使う口語と役人が使う帳簿語の齟齬が減ったとする見解もあるが、逆に言えば人々は“番号でしか潮が語れない”状態に追い込まれたとも批判されている。
活動期[編集]
彼の活動期はからまでの約年間とされ、中心は港湾行政への技術導入にあった。
とくに、彼は「九点照合法」を携えての港役所へ乗り込んだと記録される。港役所は当初、測量結果の提出形式が統一されていなかったため、彼の手渡した様式書は“見た目が奇妙”であったという。紙面には九つの丸が描かれ、各丸に「北九度」「外湾十六」「石場四」などの符号が付されていた。役人は符号の意味を理解できず、結局、彼はその場で“符号を読む順番”を口述し、さらに丸ごとに必要な測定回数を回ずつに調整して説得したとされる。[6]
この導入の結果、入出港の許可が“潮の観測点”と結びつき、事故報告は従来より減少したとされる。一方で、帳簿が複雑化し、測定係の人員が足りない港では運用が形骸化し、代替として密かな改竄が起きたとも指摘されている。彼は改竄を嫌い、照合の抜き取りを“日毎の九分率”で行うよう提案したが、現場はその分だけ疲弊したとも言われる。
晩年と死去[編集]
晩年、彼は以降に体調を崩したとされ、測定器を持ち歩くことをやめて“台帳だけで潮を復元する”方法に傾倒したとされる。これは実務上の工夫であったが、弟子筋からは「潮は数字では腹を満たせない」と反発されたという。
、彼は港役所からの依頼を辞したとされる。最後の仕事として、港ごとの“点の対応表”を一冊にまとめた。表には点×港=行の仕様が書かれていたとされ、さらに余白に「算は人を責めるためではなく、時間を救うためにある」と短く記したという。
11月3日、彼はにて死去したと伝えられる。享年は歳とされることが多いが、没年の写本差により歳とする資料も存在し、晩年の記録体系が揺れていたことがうかがえる。
人物[編集]
ヤルキデ=ナインゴ II世は、几帳面である一方、説明が異様に細部へ分岐する癖があったとされる。
同時代の聞き書きでは、彼は会議が始まると最初に「今日の誤差は何粒か」を尋ねたという。これは比喩ともされるが、実際には観測に用いる砂の採取位置を議論したのだとする証言もあり、彼の几帳面さが“測ることそのもの”に向けられていたことが示唆される。[7]
また、彼は礼節を重んじつつ、相手の言い換えを許さない厳格さもあったと伝わる。港の職員が「九点で照合します」と言い換えると、彼はすぐに「九点ではなく九点“照合”である」と訂正した。言葉の違いが手順の違いになってしまうことを恐れていたのだとされる。
逸話として有名なのが、彼が夜間の見張りに対し、懐中灯の位置をに固定するよう命じた事件である。結果として見張りの影が揺れず、見落としが減ったとも言われるが、同時に灯火の管理が厳しくなり、港内の“小さな自由”が奪われたとも批判された。
業績・作品[編集]
彼の業績は、単なる技術提案ではなく、港湾の運用を“手続きの形”として再構成した点に特徴があるとされる。
代表的な著作として頃に成立したとされる『潮儀九点詳図(ちょうぎきゅうてんしょうず)』が挙げられる。内容は海図の解説だけでなく、帳簿記入の順序、担当交代のときの引継ぎ文章、さらには観測担当の“沈黙時間”まで定めた章立てだったという。[8]
また、彼は口伝の覚書として『外港入出港算式(がいこうにゅうしゅつこうさんしき)』を編んだとされる。ここでは船の遅延理由を「潮」「風」「積」「人」のカテゴリに分類し、さらに各カテゴリの“言い訳”の語尾まで例示したとされる。役人は「潮遅れです」とだけ書くことが許されず、「潮遅れ・北九度観測相当」と具体化するよう指示されたため、現場の文体が変わったという。
なお、彼の作品にはしばしば外国商館に由来すると思われる符号が混入している。これについては“習得した記録体系を港に移植した”とする解釈がある一方で、編集途中に誰かが符号を挿入した可能性も指摘されている。
後世の評価[編集]
ヤルキデ=ナインゴ II世は、後世には肯定的・否定的の両方の評価を受けた人物として知られる。
肯定的には、彼の導入で港の判断が経験則から手順へと移行し、少なくとも“同じ誤りが繰り返されにくくなった”とされる。特にの大風後に、入出港の混乱が限定的だったのは“事前照合の習慣”が残っていたためであるとする見解がある。[9]
一方で否定的には、彼の方法が“正確さの強制”へ転化したとされる。測定係が過剰に働き、健康を害した例が報告されたという記録が残っており、また帳簿が複雑になることで、現場の意思決定が遅れたという指摘もある。
さらに近世の学者の間では、九点照合法の正確性そのものに疑義が出たとされる。彼の作った“表”が暗黙に前提としていた気象の偏りが、長期的には補正を必要とした可能性があり、制度が固定化するほど誤差が累積したという批判がある。もっとも、これらは資料の欠落も影響している可能性があるとされる。
系譜・家族[編集]
家族は比較的よく知られているが、その記録は“役所の帳簿”に依存しているため、私生活の詳細は薄いとされる。
父は港役の測量棚管理役とされ、母は外港の札場で荷札を整理する仕事をしていたとされる。彼には兄弟がいたとされるが、系譜表には「兄は航海を選び、弟は符号を選んだ」と短く書かれており、人数までは確定していない。
妻としてはに婚姻したと記載される“おえん”がしばしば挙げられる。おえんは字が達者で、『潮儀九点詳図』の写し作業を助けたとされるが、彼女の筆跡がどこまで反映されたかは不明である。
子女については、長男が“点取り職”(測定係補佐)、長女が“台帳口述”(読み上げ担当)として名が残る。長男はに港の改竄摘発の際に処分されたという噂があるが、処分の根拠は明らかになっていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鵜飼丈真『潮儀と帳簿のあいだ:長崎外港区画の測定史』西海書院, 1978.
- ^ Marta L. Kepler『Nine-Point Verification in Early Edo Port Administration』Vol. 12, 東洋航海史学会, 2003.
- ^ 小野田清亮『海図学の行政化:江戸前期における手順統一の試み』海事史叢書, 1991.
- ^ 高橋紘一『誤差の粒:算師の言語設計と現場運用』潮見館, 2008.
- ^ 田村善介『九点照合法の成立条件』第3巻第2号, 日本港湾技術研究所紀要, 2014, pp. 33-61.
- ^ Hiroko Tanaka『The Shadow of Mis-Notation: Yarukide-Nainngo Manuscript Variants』pp. 101-129, Journal of Comparative Cartographic Bureaucracy, 2019.
- ^ Sven R. Dahl『Ports as Texts: Paper Procedures and Maritime Risk, c. 1620–1670』Vol. 5, International Journal of Harbor Systems, 2006.
- ^ 編集部『長崎外港区画資料集(写本群)』西海史料刊行会, 1956.
- ^ 中村睦『潮儀算師範の系譜:役職名の起源』潮儀研究会, 2012.
- ^ 秋月重信『ヤルキデ=ナインゴの真筆を求めて(ただし誤読多し)』港帳出版社, 2021.
外部リンク
- 九点照合法資料館
- 長崎外港区画データバンク
- 江戸海図手続きアーカイブ
- 潮儀算師範の系譜調査ページ
- 港湾帳簿語彙研究会