ヨーロッパ通貨危機
| 対象地域 | ヨーロッパ諸国、特に東中欧を中心とする金融圏 |
|---|---|
| 発端 | の急落 |
| 波及時期 | 後半〜前半 |
| 関連する二次波及 | のへの影響 |
| 主な原因とされた要因 | 為替スワップ市場の信用連鎖、輸入決済の遅延、銀行間担保の目減り |
| 研究上の呼称 | 「第三次相互担保ショック」および「フォリント連鎖危機」 |
| 当事者として言及される機関 | 各国中央銀行、欧州信用連合(ECA)等 |
ヨーロッパ通貨危機(よーろっぱつうかきき)は、からにかけてヨーロッパ各地に波及した一連の金融不安であり、の暴落に端を発するとされる[1]。さらにのの引き金の一部ともなったとする指摘がある[2]。
概要[編集]
は、為替そのものの暴落だけでなく、「交換のための時間」が欠けたことが決定的だったとされる金融不安である[1]。
本危機は、各国の中央銀行が自国通貨の流動性を守ろうとするほど、別の国の銀行の担保評価が下がり、結果として市場参加者が「次の清算まで待てない」と判断した点に特徴があると考えられている[3]。
とりわけ発端は、のが「二段階で」崩れたことで、同年9月の平均スプレッドが通常のに達したのが観測上の転換点とされる[4]。もっとも、この“平均”は後年になって修正されたとの指摘もある[5]。
背景[編集]
相互担保の迷信と、欧州信用連合の起案[編集]
危機の土壌には、1980年代初頭に流行した「相互担保の思想」があったとされる[6]。これは、銀行が互いの債権を担保として再担保に回すことで、実質的な与信量が増えるという発想である。
この思想を形式化する役割を担ったのが、官僚的な組織名を好むである。ECAはに「ECA担保整合規約(第7版)」を発布し、担保の目減り率を一律とする“簡便法”を推奨したとされる[7]。
ただし現場では、商品輸入の代金決済が遅れやすい銀行ほど、担保評価が遅れて下方修正されるという矛盾が蓄積していたとされる。なお、ECAが当初用いた試算表は後に「縦軸と横軸の単位が入れ替わっていた」可能性が示唆されている[8]。
フォリント市場の“待ち行列”現象[編集]
では、外貨建て決済が「待ち行列」化しやすい取引慣行があったとされる[9]。具体的には、企業が銀行に外貨を預けてから、実際の外貨購入が完了するまでの平均時間がからへ伸びたと報告されている[10]。
この時間の伸長は、単なるオペレーション問題ではなく、清算の段階で担保の再評価が行われる設計と結びついていたと解釈されている。再評価が走る間、同じ銀行が保有する他の担保の換金率も暫定で据え置かれ、その間に短期資金が引き揚げられやすかったという[11]。
さらに、にある「夜間為替照合室」の稼働時間が、紙の照合用紙の在庫不足で一時的に減ったとされる記録もある[12]。この手作業の遅れが、為替の値動きというより“確定の遅れ”として市場に伝播した点が、後述の連鎖の引き金になったと見られている。
経緯[編集]
1983年:フォリント暴落の二段階モデル[編集]
危機は、が「二段階で」崩れたことから説明されることが多い。第一段階は、輸入決済の銀行間スワップで担保評価が先に下がり、実売の前に“信用の価格”が先に変化した局面とされる[13]。
第二段階では、当初据え置かれていた再評価がまとめて発動し、表面上の為替レートが急激に動いたとされる。例えばの一週間、日次の出来高が平常のに膨らんだ一方で、翌週の実需取引はへ落ちたという“歪なブーメラン”が観測されたと報告されている[14]。
このような変動が生じた理由として、投機家が「確定までの時間」をコストとして織り込み、最終的な受渡しが遅れる銘柄だけを集中的に触った可能性が指摘された[15]。ただしこの分析は、後年の再検算で“出来高の定義”が揺れていたことが認められている[16]。
1984年:担保の連鎖と、通貨“自体”の信用低下[編集]
に入ると、危機はに留まらず、隣接する金融圏で担保の受容が一斉に厳格化したとされる[17]。具体的には、銀行が受け入れる自国債・他国債のヘアカットが、数日単位で引き上げられ、結果として短期資金市場が締まったと考えられている。
当時の報告書では、ヘアカットの中央値がからへ上がり、その分だけ与信が機械的に縮んだとされる[18]。この縮みが、輸出入企業の決済条件を圧縮し、さらに為替の先物カーブを急峻にした、という“信用→決済→為替”の循環が描かれている[19]。
また、およびの中継業務に関わる複数の銀行が、担保の再評価に必要な書類の提出期限を前倒ししたため、提出に遅れた取引が一時的に失効扱いになったとされる[20]。この失効は法的には限定的でも、実務的には「約束が守られない」という印象として広まったと解釈されている。
1985年:ドル通貨危機の“助走”としての残滓[編集]
のは直接の引き金が別にあったとしつつも、前段のが市場参加者の行動様式を変えた点で一因になったと見る向きがある[2]。
すなわち、1983〜1984年に広がった「確定遅延への過剰な警戒」が、ドル建て短期資金でも同様に働き、ヘッジを急ぐ動きが増えたとされる[21]。このとき、ドル建てコールの満期構成が「3日」「7日」「14日」に極端に偏ったという統計が引用されるが[22]、その偏りを示した元データは後に整理番号が付け替えられた経緯がある[23]。
結局、ドル市場は欧州から持ち込まれた“担保連鎖への不信”によって、いわば予防的な流動性争奪が先行し、危機が増幅したと説明されることが多い。もっとも、この増幅の度合いは研究者によって差があり、程度とする推計もあれば程度とする推計もある[24]。
影響[編集]
本危機の影響は、為替レートの下落以上に、企業の契約条件に及んだとされる。例えば春に実施されたとされる輸入契約の改定では、支払日が平均延びる代わりに、取引銀行の手数料が平均引き上げられたと報告されている[25]。
また、信用の連鎖が疑われると、同じ銀行でも「担保として受け入れられる書類」が増え、結果的に書類コストが増大した。書類コストは当時、内部資料により平均ユニット(通貨単位ではなく慣行の換算単位)と見積もられたとされる[26]。
社会的には、金融の専門性に触れる機会が拡大したことが特徴とされる。市場関係者は「通貨は数字ではなく“受渡しの物語”だ」と語り、テレビの経済コーナーでも“物語化された為替”が流行語として採用されたという[27]。ただしこの流行語は、放送局のアーカイブでは確認できないとも指摘されており、当時の記憶が過剰に脚色された可能性がある[28]。
研究史・評価[編集]
二段階モデルの学術的受容[編集]
危機の説明モデルとして「二段階モデル」が定着したのは、分析のしやすさによるところが大きいとされる[29]。特に、担保評価の先行変化を扱う枠組みが、後年のストレステスト研究に転用されたことで、一定の学術的基盤を得たと考えられている。
一方で、批判としては“二段階”という言葉が都合よくデータを並べ替えてしまうという指摘がある。例えば、の出来高との実需取引の落差を「二段階の必然」と結論づけることに対し、出来高の計測方式が変わっている点を重視すべきだとする[30]。
また、ECAの簡便法(担保目減り)がどの程度実際の現場に採用されたかは、当時の回覧文書が一部欠落していることから評価が難しいとされる。なお、欠落部分は「倉庫の棚番号が誤読された」とする記録があるというが、真偽は不明である[31]。
倫理性と「数字遊び」論争[編集]
研究史の後半では、危機のデータが“統計の見せ方”で印象操作を生むという倫理的論争が生じたとされる[32]。具体的には、同じ市場でも「午前平均」と「終値平均」で危機の強度が大きく見え方を変えるため、どちらを採用したかが論文ごとに異なっていたという[33]。
その結果、ある論文では「スプレッドが」とされ、別の論文では「」とされており、どちらも“平均”と呼ばれていた。最終的には、のある四半期だけ計測カレンダーがずれていたことが判明し、数値の再調整が行われたという[34]。
もっとも、この再調整自体が別の単位換算の問題を孕んでいた可能性があるとされるため、危機研究は「数字の整合性」と「物語の整合性」の両方を問われる分野になった。
批判と論争[編集]
最大の論争は、原因が主として制度設計なのか、それとも参加者の心理(待ち行列への恐怖)なのかにあるとされる[35]。
制度設計説では、の簡便法と、各国の再評価手順の同期不全が決定的だったと主張される[7]。一方、心理説では、危機が起きたという“確定の体験”が投機家の行動を連鎖させ、担保の再評価を自己成就的に強めたとみる[36]。
ただし、この両方を結びつける中間説として、「時間の確定コスト」が参加者のリスク計算を支配し、それが制度の綻びを増幅したという見解もある[37]。この説の根拠として、書類提出の期限前倒しが増えた地域ほど危機の波及が速いという相関が挙げられるが、相関の強さは研究者ごとに異なり、相関係数がと報告された研究もあればと報告された研究もある[38]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エレーヌ・ヴァレンティ『ヨーロッパ信用の時間学:1983-1985年の相互担保』ECA出版局, 1987.
- ^ カール・ヘルマン『二段階下落モデルの再検算(第3版)』シニアス金融研究所, 1989.
- ^ ロベルト・ドゥブロフ『待ち行列としての為替:清算遅延と市場心理』ウィーン商工大学出版会, 1991.
- ^ ミクローシュ・カラーチ『フォリント暴落の実務史:ブダペスト夜間照合室の記録』ハンガリー経済史叢書, 1993.
- ^ ジョアンナ・リッチ『ECA担保整合規約の影響:簡便法はなぜ広まったか』Journal of European Monetary Crafts, Vol.12 No.4, pp. 55-98, 1994.
- ^ ピーター・ランダル『担保ヘアカット再評価の連鎖効果』European Banking Review, Vol.6 No.1, pp. 101-134, 1996.
- ^ アンドリュー・マッケイ『ドル市場の予防的流動性争奪:1985年の前兆』The International Futures Ledger, Vol.3 No.2, pp. 1-22, 1998.
- ^ ソフィア・ベルナー『平均とは何か:統計単位の倫理と危機報告』Econometric Ethics Quarterly, 第5巻第2号, pp. 77-109, 2001.
- ^ 田中セイジ『比較金融史のための架空データ衛生学』東京大学出版部, 2004.
- ^ リュドヴィク・シェル『相互担保ショックの神話と実在』Monetary Mythos Studies, Vol.9 No.7, pp. 233-270, 2006.
外部リンク
- 欧州金融年表アーカイブ(EURA)
- ブダペスト清算手順デジタル保管庫
- ECA規約第7版(閲覧ページ)
- ドル短期市場の満期偏在メモ
- 担保評価単位辞典