ラーメン十二郎
| 名称 | ラーメン十二郎 |
|---|---|
| 別名 | 十二郎麺、十二層拉麺 |
| 発祥国 | 日本 |
| 地域 | 東京都台東区から神奈川県川崎市北部にかけて |
| 種類 | 発酵麺料理、厚汁麺 |
| 主な材料 | 小麦粉、黒醤油、背脂、昆布、発酵もやし、豚骨 |
| 派生料理 | 逆十二郎、冷やし十二郎、半透明十二郎 |
ラーメン十二郎(らーめんじゅうにろう)は、をで熟成させて作るのである[1]。
概要[編集]
ラーメン十二郎は、極太の麺に濃厚な醤油系の汁を合わせ、上に厚く刻んだ野菜と脂の層を重ねる構成を特徴とする料理である。一般に北部の屋台文化に由来するとされ、現在では深夜帯の定番食として内外に広く親しまれている。
名称は、十二の工程で作られる麺生地と、創始者とされる屋台主・の名に由来するという説が有力である。ただし、二郎系との関連を指摘する研究もあり、麺量の規格が似通っていることから混同されやすい[2]。
語源・名称[編集]
「十二郎」という呼称は、元来は人名ではなく、仕込みの工程を数える現場用語であったとされる。すなわち、麺を練る、寝かせる、折る、再圧、塩霧、再熟成など十二の操作を経ることから「十二の郎」と書かれ、のちに音便化して現在の表記に落ち着いたと説明されることが多い。
一方で、末期にの寄席で活動していた座付き脚本家が、語感のよさから「ラーメン十二郎」を看板名に転用したとする説もある。この説では、もともと「十二郎麺」は賄い料理の隠語であり、常連客の間でのみ使われていたとされるが、一次資料が乏しく、要出典となりがちな箇所である[3]。
歴史[編集]
創成期[編集]
頃、の荷揚げ場近くで営業していた屋台「さえき」が、余剰の中華麺を長時間の塩水処理に回したことが起点とされる。創業者のは、当初は麺の保存性を高めるための工夫であったと述べたが、結果として麺が著しく膨張し、通常の丼では収まらないほどの量になったという。
この失敗作に濃い豚骨醤油の汁を合わせたところ、作業員の間で「腹持ちが異常に良い」と評判になり、夜勤明けの食事として定着した。なお、後の復興期における廉価高カロリー食として広まったという説明もあるが、記録の年代には若干の揺れがある。
普及期[編集]
にの工場街へ移った弟子筋のが、背脂と黒醤油を加えて味を濃化させ、現在の原型を完成させたとされる。これにより、食べ終わるまで湯気が消えにくい「保温性の高い麺料理」として認知が進んだ。
にはの深夜食堂で提供時間を限定した「十二時以降のみ注文可」の制度が話題となり、逆に人気が急伸した。深夜労働者の支持を受け、沿線の駅前を中心に支店が増え、1980年代には一部の高校生のあいだで「週末にだけ食べる修行飯」として流行したとされる。
現在[編集]
現在では専門店ごとに、麺の熟成日数やもやしの発酵度、脂の層の厚さを細かく選べる方式が一般的である。の東日本大震災以後は、保存性の高い乾燥十二郎麺の備蓄性が見直され、自治体の防災食候補に挙がったこともある。
ただし、の一部資料では、背脂の摂取量が標準的な成人の一日推奨値を大きく上回ると指摘されている。一方で愛好家団体は「十二郎は食事ではなく儀礼である」と主張しており、栄養学と信仰が拮抗する珍しい料理として知られている。
種類・分類[編集]
ラーメン十二郎は、大きく「原典系」「濃化系」「簡略系」「儀礼系」に分類される。原典系は麺の十二段熟成を重視し、麺のコシよりも層の密度を評価する点を特徴とする。
濃化系はの一部店で発達したもので、汁に煮干しと焦がし葱油を加え、色味が黒に近づくほど高評価とされる。簡略系は家庭向けに2工程を省いたもので、主婦層を中心に普及した。儀礼系は初詣や成人祝いの席で供され、麺を折らずに完食できると縁起がよいとされている[4]。
材料[編集]
麺には強力粉と準強力粉を7:3で配合した生地が用いられる。これをで再粉砕し、低温で十二時間以上寝かせることで、断面に薄い層が形成されるとされている。
汁は豚骨、鶏ガラ、昆布、干し椎茸を合わせた濃厚なものが基本で、仕上げに産の塩と黒醤油を加える。具材としては発酵もやし、刻みニンニク、厚切り叉焼、揚げ玉ねぎが典型である。店によっては「十二郎油」と呼ばれる独自の香味油が使われ、これはラードに焦がし味噌、紹興酒を合わせたものとされるが、配合は門外不出である。
なお、伝統的な店では野菜の山を麺の上に「十二層」に見立てて盛るため、見た目の高さがを超えることもある。これが写真映えの源流になったという指摘もある。
食べ方[編集]
食べ方には作法があり、まず上部の野菜層を箸で少し崩し、汁を全体に回すのが基本とされる。次に麺を底から持ち上げ、空気とともにすすることで香りを最大化するのが作法である。
一部の店では「十二郎返し」と呼ばれる独自の手順があり、最初の3分で野菜、次の4分で麺、最後の5分で汁を調整して食べ進める。これに従うと満腹中枢の立ち上がりを遅らせられるとする愛好家の主張があるが、医学的根拠は不明である。
また、途中で卓上の酢を2滴だけ加える「二滴礼法」が推奨されることがある。これは創始者が40年代に「味の輪郭は二滴で変わる」と語ったことに由来するという。
文化[編集]
ラーメン十二郎は、単なる料理ではなく、労働・深夜・空腹の三要素を象徴する文化的記号として扱われてきた。の一部地域では、受験生が合格祈願の前夜に食べると「根性が十二倍になる」とされ、専門学校の周辺には小型の十二郎店が集積した。
また、のローカル番組で取り上げられた際、「麺の高さが人生の比喩になる」と紹介され、以後、書籍や同人誌の題材として定着した。2020年代には、低糖質ブームに対抗するかたちで「炭水化物の文化遺産」を標榜する市民運動が起こったとされる。
一方で、食後に強い眠気を誘発することから、内の一部企業では昼休みの提供を禁止した例がある。これに対し愛好会は、午後の集中力が上がると主張し、社内福利厚生に導入する運動を続けている。
脚注[編集]
[1] 佐伯十二郎『十二段麺史考』東都食文化研究所、1984年、pp. 14-19.
[2] 宮内茂樹『京浜麺業の成立と変容』川崎近代出版、1996年、Vol. 3, No. 2, pp. 88-104.
[3] 中村澄江「浅草寄席と屋台料理の命名」『食民俗学雑誌』第12巻第4号、2001年、pp. 22-31.
[4] 厚生労働省食生活調整局『高密度麺類の摂取実態調査報告書』2015年版、pp. 57-60.
[5] 渡辺一雄「ラーメン十二郎における脂層の保温効果」『日本調理科学会誌』第48巻第1号、2012年、pp. 5-17.
[6] Margaret A. Thornton, "Fermented Noodle Cultures in Postwar Japan", Journal of East Asian Foodways, Vol. 9, No. 1, 2018, pp. 41-66.
[7] 山口誠『深夜食堂と都市労働者の胃袋』港北新書、2008年、pp. 201-223.
[8] 斎藤寛「十二郎返しの食行動学的分析」『応用摂食研究』第7巻第3号、2020年、pp. 119-130.
[9] 東京都麺文化保存会『都内屋台麺の系譜と方言』2021年、pp. 73-79.
[10] Kevin R. Hales, "On the Twelve-Fold Fermentation of Broth", Culinary Anthropology Review, Vol. 14, No. 4, 2022, pp. 233-251.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯十二郎『十二段麺史考』東都食文化研究所, 1984.
- ^ 宮内茂樹『京浜麺業の成立と変容』川崎近代出版, 1996.
- ^ 中村澄江「浅草寄席と屋台料理の命名」『食民俗学雑誌』第12巻第4号, 2001.
- ^ 厚生労働省食生活調整局『高密度麺類の摂取実態調査報告書』2015年版.
- ^ 渡辺一雄「ラーメン十二郎における脂層の保温効果」『日本調理科学会誌』第48巻第1号, 2012.
- ^ Margaret A. Thornton, "Fermented Noodle Cultures in Postwar Japan", Journal of East Asian Foodways, Vol. 9, No. 1, 2018.
- ^ 山口誠『深夜食堂と都市労働者の胃袋』港北新書, 2008.
- ^ 斎藤寛「十二郎返しの食行動学的分析」『応用摂食研究』第7巻第3号, 2020.
- ^ 東京都麺文化保存会『都内屋台麺の系譜と方言』2021年.
- ^ Kevin R. Hales, "On the Twelve-Fold Fermentation of Broth", Culinary Anthropology Review, Vol. 14, No. 4, 2022.
外部リンク
- 日本麺食文化アーカイブ
- 京浜屋台史研究会
- 十二郎愛好連盟
- 東都発酵麺資料館
- 深夜食文化データベース