レッド・ライオン
| 氏名 | 赤嶺 獅道 |
|---|---|
| ふりがな | あかみね しどう |
| 生年月日 | 1908年4月17日 |
| 出生地 | 日本・東京都下谷区 |
| 没年月日 | 1977年9月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗採集家、演出家、寓話研究者 |
| 活動期間 | 1931年 - 1976年 |
| 主な業績 | 赤獅子譚の体系化、巡回朗唱会の創設、紅章劇場の監修 |
| 受賞歴 | 芸能復興功労章、関東語り部協会特別章 |
赤嶺 獅道(あかみね しどう、 - )は、の民俗採集家、演出家、寓話研究者である。レッド・ライオンという名義で知られ、戦後日本における「赤獅子譚」運動の中心人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
赤嶺 獅道は、昭和中期に活動したの民俗採集家である。彼はの下町文化と周辺の港湾労働者言語を素材に、架空の守護獣「赤獅子」を中心とする語りの体系を構築したことで知られる[2]。
通称のレッド・ライオンは、戦前に彼がの酒場で用いた舞台名に由来するとされるが、本人は晩年まで「それは名ではなく、肩書のようなものであった」と述べたと伝えられている。なお、彼の研究はの非公開資料室に半年だけ収蔵された記録があるとされるが、確認は取れていない[3]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
赤嶺は、東京市下谷区の金物問屋の三男として生まれる。幼少期からの見世物小屋に出入りし、番台の老人たちから「港の獅子は雨を呼ぶ」という断片的な言い伝えを集めたとされる。後年の自筆メモには、8歳のときにで見たライオン像を「都市の神話の空洞」と呼んだ記述が残る。
を卒業後、彼は当初の文学科に進学したが、3か月で退学した。理由は、講義で扱われる神話が「すべて固定されすぎている」ためであり、以後は独学で神話断片の収集を始めたとされる[4]。
青年期[編集]
1930年代前半、赤嶺はの古書店街での周辺文献を漁る一方、演劇研究会「紅角座」の記録係を務めた。そこで彼は、演者が幕間に即興で語る動物譚に注目し、特に「赤い獅子が港を巡回して税を取る」という筋立てを異常に好んだという。
には自費で小冊子『赤獅子断章』を刊行し、わずか47部がの3店で流通した。後にこの冊子を読んだ編集者・三浦康文は「奇妙に整っているが、全体としてはだいぶ危ない」と評したとされる。
活動期[編集]
、赤嶺はの地域文化番組に参加し、港町に残る「獅子呼び唄」の採集を始める。この調査は、、、を中心に行われ、合計218件の聞き取り票が作成されたとされる。もっとも、聞き取りの半数近くは本人が昼食を取りながら脚色した可能性がある、と後年の研究者は指摘している[5]。
には、巡回朗唱会「レッド・ライオン一座」を結成し、からまで18都市を2か月で回った。観客は延べ1万3,480人に達したとされ、特にで上演された『紅章港湾記』は、雷雨のため開演が22分遅れたにもかかわらず、満席となった。ここで彼は初めて、赤獅子を「異国の猛獣」ではなく「地域の記憶を運ぶ仮面」と定義した。
にはの委嘱で「都市伝承の可視化」事業に参加し、赤獅子譚を図譜化した『獅子街図巻』を完成させた。この図巻は全64葉で構成され、各葉に方位、潮位、聞き取り時刻まで記されているが、なぜか第17葉だけ筆致が妙に新しいとされる。
晩年と死去[編集]
に入ると、赤嶺はの借家に引きこもり、赤獅子の「最終標準形」を定める作業に没頭した。しかし、本人は標準化を嫌い、最終的には標準化不能性そのものを保存すべきだと主張したため、弟子たちとたびたび対立した。
9月2日、赤嶺はで死去した。死因は脳出血とされるが、枕元に赤い羽根が12枚並べられていたことから、関係者の一部は「自らの赤獅子譚に回収された」と語ったという。葬儀はで営まれ、参列者のうち11人が同じ文言「吼えずに去るべし」を口にしたと記録されている。
人物[編集]
赤嶺は、温厚である一方で、些細な語句の違いに異様に敏感な人物であったとされる。たとえば「獅子」と「ライオン」は同義であるはずだが、彼は前者を「土地の記憶」、後者を「輸入された威厳」と呼び分けた。
酒席では饒舌で、特にの老舗で供される八角風味の煮込みを前にすると、3時間以上も伝承の変形について語り続けたという。なお、彼は毎朝必ず赤い手袋を右手だけに着けたが、その理由については「左手は聞き役だから」とだけ答えた。
逸話として有名なのは、の朗唱会で台詞を一語忘れた役者に対し、赤嶺が舞台袖から「忘れた語が最も重要である」と書いた札を掲げた件である。この一件以来、彼の周囲では言い忘れや脱字がむしろ演出的価値として扱われるようになった。
業績・作品[編集]
赤嶺の業績は、赤獅子譚を単なる怪談ではなく、港湾都市の移民史・労働史・祭礼史を横断する語りの体系として再編した点にある。特に『赤獅子譚採集綱要』()は、口承資料を12類型に分類し、天候、荷役、船名、鐘楼の位置まで記録したことで注目された[6]。
代表作『獅子街図巻』は、地図・聞き書き・舞台指示を一体化した珍しい形式であり、のちのの展示設計にも影響したとされる。また『紅章劇場ノート』()では、上演の成否を「拍手の長さ」ではなく「沈黙の質」で評価しており、これが後に演劇批評家の間で小さな流行を生んだ。
なお、に発表された論考「赤獅子はなぜ五本爪か」は、本文より脚注のほうが長いことで知られる。ここで彼は、五本爪の由来を「港の波止場に並ぶ杭の数」と断定したが、実証的根拠は薄く、要出典とする意見もある。もっとも、本人は最後まで「実証とは、時に伝承の後から追いつくものだ」と主張していた。
後世の評価[編集]
赤嶺の死後、彼の活動はの周辺領域から再評価された。とりわけにで開催された小規模展「港の獅子とその周縁」は、来場者数こそ8,200人にとどまったが、展示解説文の密度が異常に高いことで話題となった。
一方で、彼の採集記録には創作の混入が多いとされ、学界では長く賛否が分かれた。だが以降、都市伝承を「事実か否か」ではなく「どのように都市を形づくるか」で評価する潮流が強まり、赤嶺の方法論はむしろ先駆的と見なされるようになった[7]。
によれば、彼の名義を冠した研究発表は時点で年平均14件に達し、その大半が日本国内の港湾都市に関する比較研究であるという。ただし、同会の会報には毎号のように「赤嶺自身が本当にその地を訪れたかは不明」との注記が添えられている。
系譜・家族[編集]
赤嶺家は江戸期から続く金物問屋の家系であり、父・赤嶺庄五郎、母・とし、妻・赤嶺ミツを中心とする家族構成であったとされる。長男の赤嶺照夫は戦後にで船具商を営み、次男の赤嶺義彦はの港で荷役会社に勤めた。
獅道には実子のほか、弟子筋として6人の「門下語り手」がいた。中でも白石冴子は赤嶺の晩年を支え、彼の手稿を1日3ページずつ清書したとされる。なお、彼の孫にあたるとされる赤嶺真琴がに地方ラジオへ出演し、「祖父は本当にライオンを見たことがなかったらしい」と語ったが、この発言の真偽は確認されていない[8]。
脚注[編集]
[1] 赤嶺獅道の異名としてレッド・ライオンが定着した経緯は、戦後の公演チラシに由来するとされる。
[2] 赤獅子譚の体系化については、戦後口承の再編として評価する説がある。
[3] 国立国会図書館の非公開資料室に関する記述は、関係者証言のみに基づく。
[4] 早稲田大学退学の理由については、本人の書簡と後年の聞き書きで細部が異なる。
[5] 聞き取り票218件のうち、半数が脚色を含むという指摘がある。
[6] 『赤獅子譚採集綱要』の類型分類は、後の都市民俗研究で参照された。
[7] 1990年代以降の再評価は、都市伝承研究の方法転換と関係がある。
[8] 赤嶺真琴の発言は一部の回想録にのみ見られ、一次資料は確認されていない。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三浦康文『赤獅子譚の形成と都市記憶』平凡社, 1986年, pp. 41-68.
- ^ 白石冴子『赤嶺獅道手稿集』筑摩書房, 1979年, pp. 9-112.
- ^ 山辺直樹「港湾都市における獅子呼び唄の変容」『日本民俗研究』Vol. 24, No. 3, 1994, pp. 201-229.
- ^ Margaret T. Huxley, 'Urban Myth and Red Lions in Postwar Japan', Journal of Folklore Studies, Vol. 17, No. 2, 2001, pp. 88-104.
- ^ 赤嶺獅道『赤獅子譚採集綱要』青灯社, 1952年, pp. 1-147.
- ^ 河合俊介『図巻と舞台のあいだ』岩波書店, 1998年, pp. 55-93.
- ^ 小寺光一「レッド・ライオンの社会学的受容」『芸能史学』第31巻第1号, 2007年, pp. 13-39.
- ^ Helen R. Baines, 'Five Claws and One Harbor: Notes on Akamine's Method', Asian Cultural Review, Vol. 8, No. 4, 2012, pp. 150-171.
- ^ 藤森和也『沈黙の拍手—赤嶺獅道論』国文社, 2015年, pp. 7-84.
- ^ 国際赤獅子研究会編『年報 Red Lion Studies 2023』国際赤獅子研究会, 2024年, pp. 3-61.
- ^ 佐伯千尋『獅子街図巻の地理学』南窓社, 1964年, pp. 23-119.
- ^ Eleanor G. March, 'When the Lion Became Red: Performance Notes from Yokohama', The Pacific Humanities Quarterly, Vol. 12, No. 1, 2018, pp. 1-19.
外部リンク
- 国際赤獅子研究会
- 港湾口承アーカイブ
- 紅章劇場デジタル展示室
- 下町文化資料センター
- 赤嶺獅道記念館準備室