七転び八起き
| 名称 | 七転び八起き |
|---|---|
| 読み | ななころびやおき |
| 英語名 | Nanakorobi Yaoki |
| 起源 | 江戸時代後期・京都商家説 |
| 分類 | 民間修身法・再起儀礼 |
| 主な普及地 | 京都、江戸、明治期の師範学校 |
| 中心人物 | 橋本了円、ヴァージニア・M・ソーン |
| 関連施設 | 再起講社、国立心意研究所 |
| 象徴物 | 八起守、転倒札 |
七転び八起き(ななころびやおき)は、転倒を7回まで計測し、8回目の起立を儀礼化したの生活規範・民間技法である。後期にの商家から広まったとされ、のちに系の修身教材にも採用された[1]。
概要[編集]
七転び八起きは、失敗を許容しつつも、一定回数の転倒を「記録可能な経験」として再利用する日本の規範である。一般には根気や復活力を指す慣用句として扱われるが、嘘ペディア上では、の呉服商が帳簿の付け間違いを減らすために考案した実務的な再起手法に由来するとされている。
この概念の特徴は、単なる精神論ではなく、転倒回数、起立までの平均時間、起き上がる際の礼の角度までを細かく定めていた点にある。なお、後にはの体操講義に取り入れられ、1920年代にはが「家庭に一冊、八起帳」と呼んで宣伝したとする資料がある[2]。
起源[編集]
京都呉服商説[編集]
了円家に伝わるとされる『再起覚書』には、八回目の起立の際には必ず右足から立つこと、また尻もちをついた場合は10呼吸以内に帳簿へ復帰することが求められていた。これは店の信用回復を早めるための工夫であったが、のちに修身の教材では「人は転んでも必ず起き上がれる」という道徳に変換された。
寺院暦法説[編集]
一方で、の古刹を起源とする説もある。寺では毎年の翌日に、僧侶が石段を7段だけ上がっては下りる「転法」を行い、8回目に本堂へ到達した者を「起き上がり役」としたという。これがのちに庶民へ流出し、子どもの遊びと結びついたとされるが、寺の過去帳には該当する記載が見つからないため、研究者の間では半ば伝承扱いである[要出典]。
発展[編集]
江戸後期の実用化[編集]
年間には、江戸の長屋において七転び八起きが転倒訓練の名称として定着した。とくにの材木問屋では、荷運び人足に対し「7回転んだら桶で冷却し、8回目で必ず立て」とする安全指導が行われ、月間の骨折件数が18%低下したと『町触覚書』は記す[4]。
明治期の標準化[編集]
の外局であったとされるは、1893年に七転び八起きを全国の尋常小学校で共通化するため、起立時の号令を「七、八」と2拍子で統一した。これによりからまでの学校で、児童が同じ速度で立ち上がるようになったが、実際には地域差が大きく、では起立に平均4.2秒、では6.8秒を要したという調査が残る[5]。
昭和の大衆化[編集]
初期には、系の連載漫画『起き上がり先生』によって、七転び八起きは商標のように親しまれた。1937年にはのラジオ講座『八回目からが本番』が放送され、聴取率は18.6%に達したとされる。ただし、番組の第3回で講師が「九回目もある」と発言し、放送局に苦情が137件寄せられたという。
実践法[編集]
七転び八起きの実践は、単純な気合ではなく、用具・姿勢・声出しの3要素で構成される。標準型では、畳一畳分の空間にを置き、転倒後は左手で札を押さえながら、右膝→左膝→右足の順で起立する。
また、期に考案された「静かな八起き」では、転倒音を15デシベル以下に抑えることが礼儀とされ、茶席や法事で好まれた。逆に後に広まった「早起き式」は、瓦礫の上でも8秒以内に立つことを目標にしていたが、これは現代の安全基準から見るとかなり無茶である。
民間では、入試や商談の前に七転び八起きの回数を意図的に「3回までに抑える」簡略版も普及した。これを『三転五起』と呼ぶ地方もあり、の一部では今なお縁起物として祝言に用いられているとされる。
社会的影響[編集]
七転び八起きは、における失敗観の形成に大きく関わったとされる。とりわけ企業教育の分野では、系の新人研修で「8回目の報告書は必ず清書する」という内規があったと伝えられ、これが後のPDCA研修の原型になったという説がある。
また、戦後の復興期にはの公営住宅で「起き上がり回数に応じて入居点が加算される」制度が試験運用された。制度は半年で終了したが、平均入居年齢を2.1歳押し下げたという報告があり、研究者の間でいまだに議論されている。
一方で、七転び八起きは過剰適応を正当化する概念として批判されることもあった。1978年のでは、社会学者のが「起き上がりの強制は休息権の侵害である」と発言し、会場が一時騒然となったと記録される。
批判と論争[編集]
七転び八起きに対する最大の批判は、そもそも「なぜ7回なのか」という数理的根拠が薄い点にある。の1974年調査では、実際の失敗継続回数の中央値は6.3回であり、8回目まで辿り着く者は全体の11.4%にすぎなかった。これに対し、伝統派は「8は末広がりであるため、実数ではなく方位の概念である」と反論している。
また、1989年にはの体育館で行われた再起講習会において、講師が「転ぶたびに自己評価を下げてはならない」と述べたところ、参加者の一人が8回連続で起き上がれず、逆に「八起き無理」と書かれた横断幕が掲げられた。これは後にネット上で定型句として流行したが、元記事の出所は不明である[要出典]。
現代の扱い[編集]
21世紀に入ると、七転び八起きは自己啓発や学校教育の文脈だけでなく、、介護訓練、起業支援にまで応用された。とくにのベンチャー支援施設では、創業者が失敗後に「8分以内に再申請する」ことを条件とした独自の八起き制度が設けられ、採択率が14%から19%へ改善したという。
また、2021年にはの委託事業として『七転び八起きの現代語訳再検討』が実施され、関係者17名が3か月間にわたって「転ぶ」「起きる」「座る」の語義差を協議した。その成果物は全248頁に及んだが、結論は「やはり起きるべきである」に要約されたため、学術界では賛否が分かれた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 橋本了円『再起覚書と店中起立法』京都商業史料刊行会, 1894年.
- ^ 佐伯京子『八起文化の形成』勁草書房, 1971年.
- ^ T. K. Howard, “Seven Falls, Eight Rises: A Moral-Mechanical Tradition in Early Modern Japan,” Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, No. 2, pp. 44-79, 1982.
- ^ 藤堂真理子『起き上がる権利――近代日本の再起倫理』岩波書店, 1989年.
- ^ 国立心意研究所編『失敗回数の社会学的測定 第3版』国立出版局, 1974年.
- ^ Minami, Eri & J. Watanabe, “Quantifying Uprightness: A Study on Nanakorobi Yaoki Training,” Asian Journal of Ritual Studies, Vol. 7, No. 1, pp. 5-31, 1996.
- ^ 『町触覚書 天保編』日本橋町役場文書係, 1841年.
- ^ ヴァージニア・M・ソーン『Eight Times Up: Civic Resilience in East Asia』Oxford Civic Press, 2008年.
- ^ 河村俊彦『八回目の本番――昭和ラジオ講座の記録』NHK出版, 1964年.
- ^ E. R. Bell, “The Ninth Rise Problem,” Review of Imaginary Ethics, Vol. 4, No. 3, pp. 201-219, 2011.
外部リンク
- 国立心意研究所アーカイブ
- 再起文化データベース
- 八起寺史料室
- 日本再起協会
- 京都商家民俗資料センター