万年最下位ヘボロッテピーナッツ
| 分類 | 球団ブランド、成績連動型ネーミング |
|---|---|
| 発祥 | 1987年頃 |
| 提唱者 | 松浦兼一郎、相沢フミエ |
| 主な拠点 | 千葉県千葉市、浦安市 |
| 関連産業 | 球団経営、菓子製造、広告代理業 |
| 象徴 | ピーナッツ柄の最下位旗 |
| 標語 | 負けても、売れる。 |
| 最盛期 | 1991年 - 1994年 |
| 通称 | ヘボピナ |
万年最下位ヘボロッテピーナッツ(まんねんさいかいヘボロッテピーナッツ)は、末期にの球団経営と商標の調整から生まれたとされる、低迷記録の自己消費型ブランドである。の「勝てないこと」を商品化した最初期の事例として知られている[1]。
概要[編集]
万年最下位ヘボロッテピーナッツは、に本拠を置く民間応援運動として始まり、のちに球団周辺の販促語として定着した概念である。成績不振を隠すのではなく、むしろ常態として受け入れ、菓子・観光・地域アイデンティティを一体化させた点に特色がある。
名称の由来については諸説あるが、球団の低迷を指す「万年最下位」と、を意味する「ピーナッツ」を接続し、さらに方言的な自虐語「ヘボ」が挿入されたものとされる。なお、初期のパンフレットでは「ヘボロッテ」が別会社の誤植であったとも伝えられており[2]、この誤植がかえってブランド化を促進したと指摘されている。
成立史[編集]
1980年代後半の球団広報[編集]
起源は、の広告代理店「東湾企画」が作成した試作キャンペーンに求められる。担当者の松浦兼一郎は、連敗記録を「暗い」「重い」と表現する従来の広報に疑義を呈し、逆に「最下位であることを地域の誇りに変える」方針を採用したとされる。試験的に配布された缶バッジは3万2,400個で、うち初週で1万8,700個が売れ残ったが、売れ残り品を袋詰めにして「幸運の逆転袋」と称したところ、翌月には完売したという。
菓子メーカーとの提携[編集]
には内の菓子メーカー「房総製菓」が参入し、砂糖コーティングを施した落花生菓子「ヘボピナ豆」を発売した。通常版のほか、敗戦数に応じて塩分が増える「連敗味」シリーズが作られ、最大で1袋あたりナトリウム1.7gに達したとされる。これが健康志向の批判を受けた一方で、球場で酒のつまみとして定着し、応援団の間では「3連敗でちょうどよい」と言われた。
万年最下位の制度化[編集]
、球団運営会社は公式に「年間目標:最下位脱出ではなく、観客満足度の維持」とする内部文書を配布したとされる。これにより、勝率よりも来場回数、応援参加率、グッズ購入額が重視されるようになった。ある調査では、当時のシーズンシート保有者のうち約46%が「順位表を見ると安心する」と回答したと報告されているが、調査票の設問が誘導的であったとの指摘もある[3]。
文化的展開[編集]
応援歌と掛け声[編集]
ヘボロッテピーナッツの応援文化では、得点よりも失点時のコールが発達した。代表的な掛け声「まだ最下位じゃない、明日がある」は、にのビアホールで即興的に作られたとされ、後に応援歌へ転用された。特に9回裏に逆転されると、観客が拍手で相手チームを見送る「お見送り拍手」が定番化し、他球団の関係者からは「礼儀正しい敗北」と評された。
グッズと地域振興[編集]
では、球団低迷を逆手に取った土産物が多数販売された。ピーナッツ型のメガホン、最下位順位表の箸置き、負け越し日数を刻印できる卓上カレンダーなどが代表例である。とくに「最下位御守」は、裏面に「落ちても拾われる」と金文字で記され、周辺の売店で年間4万個を売り上げたとされる。ただし、宗教施設と球団販促物の境界が曖昧であったため、後年に軽い論争を呼んだ。
メディア露出[編集]
の地方情報番組『房総ワイド夕刊』で特集が組まれた際、司会者が「弱いのに愛される理由」と述べたことがきっかけで全国的な認知が進んだ。番組中に紹介された「最下位でも食卓は勝つ」というキャッチコピーは、翌週には沿線の広告に転用され、駅売店の菓子棚の売上が平均18%上昇したとされる。なお、この数値は局側が後に回収した速報値に基づくもので、正確性には疑問が残る。
社会的影響[編集]
万年最下位ヘボロッテピーナッツは、単なる自虐ネタにとどまらず、企業が失敗を隠さず商品化する「敗北のデザイン」の先駆けとして位置づけられている。のマーケティング研究では、危機管理広報を感情商品へ転換した事例としてしばしば引用される。
一方で、連敗を肯定する姿勢が若年層の競争観を鈍らせるとの批判もあり、にはの外郭研究会が「敗北美化の社会心理的影響」を検討したとされる。もっとも、報告書の大半は球場売店のレシート分析で占められており、学術的厳密さには欠けるとの評価が一般的である。
批判と論争[編集]
最も大きな論争は、名称に含まれる「ロッテ」が球団名を示すのか、製菓ブランドを示すのかが曖昧であった点である。これに対し関係者は「どちらでもよい、負けているのは同じである」と説明したが、商標管理の観点からはかなり危うい発言であった。また、「ヘボ」の語感が差別的であるとして、後半には一部の地域紙が使用を控えた。
さらに、最下位を継続することを前提にした経営が本当に合理的だったのかについては、今日でも意見が分かれる。支持派は「観客が減らなかった以上、失敗ではない」と主張するのに対し、反対派は「勝利を放棄した段階でスポーツではない」と批判した。もっとも、球団OBの一人は回顧録で「勝つより売れるほうが難しい」と書いており、この発言だけがしばしば引用される。
年表[編集]
- 東湾企画が自虐販促案を試作する。
- 房総製菓が「ヘボピナ豆」を発売する。
- 球団内部で「万年最下位」方針が半公式化される。
- 地方番組で特集され、県外認知が拡大する。
- 応援団の一部が「最下位の文化遺産化」を提案する。
- 地域振興資料集『敗北を売る町』に収録される。
- 震災復興支援企画で、限定復刻グッズが発売される。
- 企画展「負け方の美学」開催により再評価される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦兼一郎『敗北を売る技術――千葉球団広報史1985-1995』東湾出版, 2004.
- ^ 相沢フミエ「連敗消費の社会学」『広告研究』Vol.12, No.3, 1996, pp. 44-63.
- ^ 房総製菓株式会社編『ヘボピナ豆の商品化記録』房総製菓広報室, 1990.
- ^ Kenjiro Matsura, "From Last Place to Local Pride: Branding Failure in Coastal Japan," Journal of Asian Sports Culture, Vol.8, No.2, 2007, pp. 101-129.
- ^ 中原義信『地域経済における自虐表現の流通』千葉大学出版会, 2011.
- ^ Margaret H. Ellison, "Peanuts, Penalties, and Public Memory," Cultural Commerce Review, Vol.19, No.1, 2014, pp. 7-28.
- ^ 千葉市史編さん委員会『平成千葉の消費文化』千葉市, 2001.
- ^ 渡辺精一郎「最下位を祝う儀礼の成立」『民俗と広報』第4巻第2号, 1999, pp. 88-95.
- ^ T. Sakurai, "The Peanut That Lost Again and Again," East Coast Business Quarterly, Vol.5, No.4, 1998, pp. 201-219.
- ^ 『房総ワイド夕刊』編集部『特集・弱いのに愛される理由』房総テレビ出版局, 1994.
外部リンク
- 東湾企画アーカイブ
- 房総製菓資料室
- 千葉地域ブランド研究所
- 敗北文化保存会
- 最下位デザイン博物館