上里解
| 分野 | 解釈学/地域文書学 |
|---|---|
| 主な対象 | 古文書・口承・役場記録 |
| 成立要因 | 行政文書の齟齬調停とされる |
| 関連組織 | 上里解継承会、地方記録保全室(想定) |
| 特徴 | 語の「遅延」を観測して解に変換する |
| 代表的用語 | 符牒遅延、重ね読みの輪 |
| 成立時期(諸説) | 明治末期〜昭和初期のいずれかとされる |
上里解(かみさとげ)は、上里地区に関連づけられた、解釈学的手法として知られる概念である。文献では主に「言葉の遅延」を読み解く技法として説明されるが、成立経緯は時代により異なるとされる[1]。
概要[編集]
上里解は、上里地区で伝えられたとされる「言葉の遅延」を扱う解釈技法である。具体的には、ある記録に現れる表現が、記録を書いた当人の意図から数日〜数年“ずれて”採録された可能性を前提に、語の出現順序や書式のクセから逆算して解を導くとされる[1]。
この概念は、地域の古文書が改綴や口述転写を経て増殖していく過程で、同じ出来事を指しているはずの表現が微妙に食い違うことへの対処として整理された、と説明されることが多い。もっとも、後述の通り、成立経緯には複数の系統があり、特に「符牒遅延」の発明者をめぐっては地域内でも意見が割れているとされる[2]。
成立と発展[編集]
起源譚:『比率帳』の3.17日[編集]
上里解の起源は、明治末期に域の小規模役場で作成されたとされる『比率帳』に求められるとする説がある。『比率帳』は、提出された願書の文面をそのまま写すのではなく、受理の“順番”を3.17日単位で丸めて記録した帳簿だと説明される[3]。
この帳簿では、同一案件が上がっているにもかかわらず、文面中の特定語(例:「差し支え」「目処」「相済み」など)の出現が1〜7日ほど前後しているように見えたとされる。そこで(仮名)が、遅延の平均値を「3.17日」と固定し、語の遅れている箇所を先行語の影として読む“重ね読み”を試したのが上里解の原型だと主張された[4]。
なお、同説は『比率帳』が実在したかどうか自体も争点であるが、編集者のは「帳簿の“比率”が後の理論にそのまま流入している」として、起源譚としての説得力を強調したと記録されている[5]。
制度化:上里解継承会と「符牒遅延」[編集]
上里解が“概念”として制度化されたのは、昭和初期にが設立されたころだとされる。継承会は「地域記録の一致率を年次で報告する」ことを目的に、文書照合のための研修会を開いたとされる[6]。
同会の資料によれば、符牒遅延とは、ある表現が別の案件に誤って移植されるのではなく、当初の案件から距離を持って記録に“寄ってくる”現象である、と整理された[7]。特に「重ね読みの輪」という手順が有名で、参加者は1つの文書から派生する注記を輪状に並べ、最初に現れるはずの語が「何周目」で確定するかを数えることになっていたという。
ただし、輪の周回数は必ずしも同じではないとされ、実務報告では「第4.8周で決着した」との記載が残っている例が紹介されることが多い。ここでの第4.8は、四捨五入を避けた丸め規約(継承会独自)であり、研修マニュアルには「参加者の時計差を加味するため」と注記されていたとされる[8]。
理論の概要[編集]
上里解は、言葉が“固定された意味”として現れるのではなく、時間と書式の摩耗に伴って「遅延しながら意味に近づく」と捉える点に特徴がある。典型的には、文書に付された句読の位置、墨の濃淡、改行幅などの物理的痕跡を手がかりとして、語の採録タイミングを推定し、そのズレを“解”へ変換する[2]。
具体例として、用語「相済み」が通常は決裁直前に書かれるはずなのに、ある文書では後段に現れている場合を考える。このとき上里解では、相済みが後から追加されたのではなく、別段で使われる予定だった語が遅延して流入した、と仮定する。そこから、段落の順序に“輪”の理論を適用し、相済みの周回数を逆算することで、実際に誰が確認したか(少なくとも確認の“時点”)を推定する、とされる[7]。
一方で、理論の厳密化を進める過程で、解が“事実”ではなく“整合性”に最適化されていったとの批判も見られる。継承会側は「整合性の追求は、地域の記録を崩さないための倫理」であると応答したとされ、以後、上里解は学術界よりも地域行政の実務文脈で生き残っていったと説明されることが多い[9]。
社会的影響と具体的運用[編集]
上里解は、単なる学問的遊戯としてではなく、地域の調停や記録保全に応用されたとされる。特に周辺の古い紛争記録では、当事者の発言が転写の段階で揺れ、同一人物と判別できないケースが多かったとされる。そのため継承会は、上里解による照合の“結果一致率”を指標化し、年次で報告する制度を作ったという[6]。
ある報告書では一致率が「72.4%から83.9%へ上昇した(昭和13年度、対象文書1,246点)」と記されている。さらに内訳として、「符牒遅延の補正を適用した語群では89.2%」「適用しない語群では61.0%」といった具合に、数字が細かく分類されていたとされる[10]。
このような運用は、当事者同士の当時の認識を“確定させる”方向に働いたとも評価される。もっとも、記録が整合するほど、異なる証言の存在は目立たなくなるため、「勝手に正しさを作ったのでは」という疑念も生まれたとされる。実際、の公文書庫では、上里解の手法で整えられた写しが“参照優先”扱いになった時期があったとされ、後年の利用者から不満が出たという[11]。
批判と論争[編集]
上里解には、少なくとも2つの主要な論点があるとされる。第一は、遅延を前提とした解釈が、証拠の弱い箇所ほど“もっともらしく”見せる点にある。批判者は「遅延仮説は便利だが、仮説のほうが先に勝つ」と述べたとされ、継承会の研修は結果を先に描いているのではないか、と疑われたという[9]。
第二は、符牒遅延が“現象”として扱われる一方で、その測定がどこまで客観的かという問題である。継承会資料では、周回数(例:第4.8周)に小数が許容されるが、その規約の根拠が統一されていなかった、と指摘されている[8]。加えて、一部の編集者は『比率帳』を起源として扱うが、別系統の研究者は『比率帳』ではなく『墨痕標本(ぼくこんひょうほん)』こそが原型だと主張したとされる[12]。
論争の帰結として、上里解は“実務の道具”としては残ったものの、大学の講義で正面から扱う頻度は下がっていった、と語られることが多い。なお、最も風刺的に扱った人物として、歴史記録評論家のが「遅延は証拠を食べ、解は空腹を満たす」と書いたと紹介されるが、原文の所在は確認されていない[13]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺さくら『地方案内としての解釈学:上里解の周縁』地方史叢書刊行会, 2012.
- ^ 鈴木保義『比率帳の3.17日:重ね読みの試算手順』上里解継承会記録集, 1938.
- ^ 牧野恵作『遅延仮説の倫理学』新潮地域研究所, 1979.
- ^ Margaret A. Thornton『Interpretive Delay in Rural Administrative Writing』Journal of Regional Philology, Vol. 41 No. 2, 2006.
- ^ 山田光一『墨痕から読み直す行政文書』東京図書出版, 1999.
- ^ Katsuro Nishimura『The Circle Method of Symbolic Staging』Proceedings of the Society for Textual Mechanics, Vol. 7, pp. 101-134, 2011.
- ^ 上里解継承会編集『上里解継承会研修マニュアル(周回規約改訂版)』同会, 1942.
- ^ 井上慎二『一致率と記憶の分布:上里解の実務評価』日本文書学会紀要, 第18巻第3号, pp. 55-72, 2005.
- ^ 本庄市文書保全室『公文書庫における参照優先の運用履歴』本庄市, 1956.
- ^ Taro Aoyama『Kamisatoge and the Fictional Measurement of Time-Lag』International Review of Semantics, Vol. 12 No. 1, pp. 1-19, 2018.
外部リンク
- 上里解継承会アーカイブ
- 比率帳オンライン閲覧所
- 重ね読みの輪・図解集
- 公文書庫参照優先ガイド
- 符牒遅延研究フォーラム