下痢うんち保存委員会
| 正式名称 | 下痢うんち保存委員会 |
|---|---|
| 略称 | 下保委 |
| 設立 | 1968年頃 |
| 解散 | 1989年頃 |
| 設立地 | 東京都文京区本郷 |
| 目的 | 排泄物試料の保存規格化、臭気変質の観測、民間展示 |
| 主要機関誌 | 『便性研究通信』 |
| 会員数 | 最大時で約143名 |
| 通称 | 下保委 |
下痢うんち保存委員会(げりうんちほぞんいいんかい)は、において排泄物の即時固定・封存・記録を目的として設けられたとされる民間研究団体である。主に後期の衛生行政と内の博物学的収集運動の交差点から成立したといわれる[1]。
概要[編集]
下痢うんち保存委員会は、下痢便を含む排泄物を「一過性の生理現象が残した文化資料」とみなし、乾燥・樹脂封入・冷蔵標本化によって保存することを目的とした団体である。会則上は衛生団体を装っていたが、実際にはの周辺研究者、地方の博物館員、そして便器蒐集家が寄り集まった半ば趣味的な集団であったとされる。
設立の契機は、の夏にの共同研究室で起きた「第七便器破裂事件」であるとされる。この事件で、実験用に採取された試料がの環境で急速に崩壊し、臭気強度の推移が記録不能となったことから、標本保存の必要性が議論された。なお、当時の議事録には「下痢の形態は消えやすい、ゆえに早い」との走り書きが残るが、筆跡鑑定の結果、3人分の癖が混在していると指摘されている[2]。
歴史[編集]
草創期[編集]
草創期の下保委は、の古い下宿に設けられた会議机一つから始まったとされる。初代委員長のは衛生検査官出身で、彼は「便は現場で死ぬ」と主張し、採取後に封入しなければ学術価値が半減すると考えていた[3]。
この時期、委員会はを用いた固定法と、木炭粉末を用いた臭気緩和法を併用していた。もっとも、初期試料の約3割は輸送中に容器膨張を起こし、受け取り側の研究室で「午後の納品物が全滅した」と記録されている。古賀はこれを失敗ではなく「発酵の自己主張」と呼び、以後の委員会では失敗例をあえて保存する方針が採られた。
には、の私設資料館で初の公開展示「便の断面と時間」が実施された。来場者はで延べに達したが、受付係が香料を誤ってではなくに差し替えたため、展示全体が妙に葬儀めいていたという。
制度化と拡大[編集]
後半になると、委員会は系の衛生資料保存制度に便乗する形で、半公式の保存様式を整えた。特に「下痢便A-2式容器」は、透明度、耐圧、匂い戻り率の3項目で細分化され、全国の保健所に試験的に配布されたとされる[4]。
この頃、の食品衛生研究所と共同で行われた比較試験では、同じ試料を、、で14日間保存し、変色率と層分離率を測定した。報告書によれば、最も安定したのは18℃であったが、委員の一人が「人間の腸は気温に礼儀を持たない」とコメントしたため、以後、議論はしばしば詩的な方向へ逸れた。
またには、の古書店街で委員会の機関誌『便性研究通信』創刊号が発見され、そこで初めて「保存は衛生のためではなく、記憶のためでもある」と明記された。この一文は後年、委員会の事実上の標語として扱われた。
終末期と解散[編集]
に入ると、委員会は公衆衛生の近代化とともに急速に周縁化した。冷凍保存施設の普及により、手作業による封入技術の意義が薄れたこと、また一部会員が展示資料を私的にオークションへ流したとの疑惑が出たことが衰退の大きな要因とされる。
の「第4回全国便器標本会議」では、の宿泊施設で保冷庫が故障し、発表予定の試料のうちが半溶解状態で見つかった。これがきっかけで委員会内部は「保存倫理派」と「臭気優先派」に分裂した。前者は学術性を重視し、後者は「匂いの一期一会」を主張したが、双方とも資料目録の書式だけは異様に整っていた。
最終的な解散は頃とされる。公式には「目的達成」とされたが、実際には会計担当のが保冷庫購入費の残金を使って新潟県へ冬季調査旅行に出たことが決定打だったとの説がある[要出典]。ただし、現在も内の古い研究室で、黒ずんだラベルだけが保管されているという。
組織と活動[編集]
下保委の活動は、標本保存法の標準化、臭気の経時変化測定、民間所蔵品の鑑定、そして年1回の「封入実演会」から成っていた。会員には衛生検査技師、博物館学芸員、印刷会社の製版担当者、さらには香料調合師まで含まれ、異様に職種が広かった。
委員会の内部文書では、試料の硬度を刻みで記録する「便硬度指数」、液相の広がりを扇形に換算する「拡散角」、容器内の視認性をからで示す「ラベル透過度」などが用いられた。これらの指標は外部からは馬鹿げて見えたが、実際には複数の保健所が参考資料として回覧したという。
もっとも、活動の中心はあくまで保存儀礼にあった。会合では最初に必ず「封蓋の黙礼」が行われ、試料容器の蓋を時計回りに3回回してから開会したと伝えられる。会長のは「便は観察されて初めて歴史になる」と述べたが、後年の記録では本人がその直後にくしゃみで試料カードを飛ばしていたことが確認されている。
社会的影響[編集]
下保委は一見すると奇矯な民間団体にすぎないが、実際にはの衛生標本文化に小さくない影響を与えたとされる。特に、検便の結果を「数値」だけでなく「保存環境」と併記する方式は、後の自治体資料で簡略化されつつも継承された。
また、同委員会が各地の博物館に寄贈した封入標本は、戦後の生活史展示において「家庭の衛生」という視点を補強した。ある学芸員は、下保委の資料によって初めて「排泄は恥ではなく、管理の対象である」という展示構成が可能になったと回想している[5]。一方で、学校教材への応用は激しい反発を招き、のある教育委員会では「説明が具体的すぎる」として採用が見送られた。
なお、1980年代半ばには、委員会の封入技術を応用した「匂いサンプル保存キット」が一般向け通信販売で試作されたが、返品率がに達し、残りも「開封後の家族会議が必要」との理由で普及しなかった。
批判と論争[編集]
下保委に対する批判は、衛生上の不安よりも、文化的上品さを欠くという理由でなされることが多かった。特にの『月刊公衆衛生』誌上では、匿名の投稿者が「学術を装った悪趣味の制度化」と断じ、委員会の存在そのものを問題視した。
一方で、委員会側は「不快を記録することもまた公共史である」と反論した。この応酬は数号にわたって続き、最終的には誌面の都合で打ち切られたが、編集部は付記として「双方とも掲載写真のキャプションが無駄に整っている」とコメントしている。
また、会員名簿の一部に実在の研究者に似た名前が含まれていたため、のちに「なりすましの学術団体ではないか」との疑義も出た。これについては、当時の名簿管理が手書きであったこと、さらにが多い地域性があったことから、真偽は確定していない。
資料と記録[編集]
現存する資料としては、『便性研究通信』のから、封入容器の設計図、会合写真、そして「臭気変遷測定票」が知られている。とくに測定票には、温度・湿度・保管時間に加え、「閲覧者の表情」をからで記録する欄があり、研究倫理上きわめて興味深い。
のマイクロフィルム収蔵目録には、下保委関連資料が別件の衛生工学資料に紛れ込む形で登録されているとされる。ただし、閲覧請求をした研究者のうち数名が「箱を開ける前に引き返した」と証言しており、資料の実見率は案外低い。これがかえって神話性を高めたともいえる。
なお、2021年にはの旧倉庫から「試料台帳1冊」が発見されたが、内容の半分以上が容器番号と日付のみで、残りは「雨」「強い」「やや勝ち気」といった謎の形容で埋められていた。研究者の間では、これは試料ではなく当番職員の健康状態メモだったのではないかとも指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 古賀新一郎『封入標本の民俗学的展開』下保委出版部, 1974.
- ^ 森下久美子『便性研究通信総目録』東都資料社, 1988.
- ^ 佐伯隆一「下痢便A-2式容器の耐圧試験」『衛生工学年報』Vol.12, 第3号, pp. 41-58, 1976.
- ^ Margaret A. Thornton, “Preservation of Transient Fecal Specimens in Postwar Japan,” Journal of Applied Sanitation Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 1991.
- ^ 渡辺精一郎『排泄物保存概論』南北書房, 1972.
- ^ 藤堂理恵「封蓋の黙礼儀礼について」『民間博物学紀要』第4巻第1号, pp. 7-19, 1980.
- ^ Hideo K. Sakamoto, “Humidity and Label Permeability in Diarrheal Archives,” Tokyo Review of Sanitary Anthropology, Vol. 5, pp. 201-220, 1984.
- ^ 中村洋子『臭気の保存と記憶の政治』みなと出版, 1986.
- ^ Eleanor M. Price, “Aroma Retention in Small-Scale Fecal Archives,” Proceedings of the International Society for Domestic Waste Studies, pp. 55-73, 1979.
- ^ 『月刊公衆衛生』編集部「委員会資料の掲載をめぐる覚え書き」『月刊公衆衛生』第29巻第6号, pp. 3-5, 1982.
外部リンク
- 便性研究通信アーカイブ
- 本郷封入資料室
- 東都衛生史研究会
- 国際排泄物保存フォーラム
- 昭和民間標本史データベース