不利飛車戦法
| 別名 | 逆飛車流、負け越し飛車 |
|---|---|
| 起源 | 28年ごろの東京都内研究会 |
| 分類 | 居飛車系・逆境最適化型 |
| 主な提唱者 | 加賀谷 恒一、森田 芳枝 |
| 得意局面 | 相手の陣形が整いすぎた中盤 |
| 難度 | 極めて高い |
| 関連組織 | 日本不利局面研究会 |
| 代表的著作 | 『飛車を捨てないで負ける方法』 |
(ふりびしゃせんぽう)は、において初手からを前線に保持せず、相手に見かけ上の主導権を与えながら局面全体の損得を極端に偏らせて戦うとされる戦法である。後手番研究会との民間道場を中心に体系化されたとされ、局面評価が不利であるほど強くなるという逆説的な思想で知られている[1]。
概要[編集]
不利飛車戦法は、の機動力をあえて抑え、相手の攻撃を受けながら局面の歪みを増幅させることを目的とする戦法である。一般には無理筋とみなされるが、局面が不利に見えるほど相手の読みの精度が落ちるという心理効果を重視する点が特徴である。
戦後ので行われた小規模研究会で生まれたとされ、当初は「わざと不便なを使う奇習」と嘲笑された。しかし、30年代後半からの非公式検討会で断続的に取り上げられ、若手棋士の間で「不利の質」を競う文化が形成されたとされる[2]。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源は、の貸し会議室「松風庵」で行われた『局面温度差研究会』に求められるとされる。主宰した加賀谷 恒一は、直後の物資不足で碁盤の代用品として使われた将棋盤を見て、「不足こそが読む力を育てる」と発言したと伝えられている[3]。なお、この発言は後年の聞き書きでしか確認できず、要出典とする研究者もある。
当初の不利飛車は、に似た形から飛車先をわざと放置し、相手に銀を前進させてから端攻めを誘発するものが多かった。森田 芳枝はこの方式を「相手に勝ち筋を見せてから、地面だけを外す技法」と呼び、のちに同研究会の標準語彙となった。
普及と変質[編集]
には、のでの観戦記がきっかけとなり、一般層にも「飛車が遅いのに妙に粘る戦法」として知られるようになった。これにより、子ども向けの入門書にも「不利を恐れぬ姿勢」が強調され、棋力よりメンタルを鍛える教材として扱われることが増えた。
一方で、40年代に入ると、AI以前の解析文化を先取りするかのように、盤面評価を人工的に下げる「自己劣化手順」が流行した。これは、相手の思考時間を長く奪うために自陣の金を一歩遅らせるなど、通常の将棋理論では説明しにくい工夫を含んでいたため、の一部道場では半ば禁じ手として扱われた。
黄金期[編集]
黄金期はからにかけてである。この時期、の研究家・片岡 仁志が「不利率」という独自指標を導入し、勝率ではなく『初見の不安度』を数値化したことで評価が一変した。片岡によれば、公式戦21局のうち18局で序中盤を不利と判定されながら、終盤で逆転した例が確認されたという[4]。
ただし、この統計は局面評価者3名の主観平均に基づくもので、後年の再検証では「評価が不利に見えたのではなく、単に進行が長かっただけ」とする異論も出ている。それでも、の『全国不利局面選手権』で加賀谷門下の高橋 伸一が8連勝したことは、戦法の神話化を決定づけた。
戦法の特徴[編集]
不利飛車戦法の最大の特徴は、飛車を使わないことではなく、飛車を『使わないことを戦力化する』点にある。通常のが縦横の速度を重視するのに対し、本戦法では飛車が盤上の心理的な錨として機能し、相手に「どこかで飛車が来るはずだ」という過剰な警戒を抱かせる。
また、序盤でを不自然な位置に置くのではなく、あえて守りの形を崩しすぎないことで、相手の攻めを過信させるのが定石である。これを「安全そうな危険」と呼ぶ用法があり、道場ごとに解釈が分かれる。なお、級位者向け講習では「3手先で損をする手を選べ」と教えられることが多いが、これは実戦で真似をすると普通に崩壊するため、経験者はほぼ誰も勧めない。
社会的影響[編集]
教育現場への波及[編集]
後半には、の外郭団体が行ったとされる思考力調査で、不利飛車戦法を知る児童のほうが「失敗後の切り替えが早い」という結果が報告された[5]。この報告を受け、の一部中学校では将棋部の補助教材として採用され、対局後に『どの瞬間から不利を楽しめたか』を記録する独自の観察シートが配布された。
ただし、教育関係者の間では「敗勢を美化しすぎる」との批判も強く、1989年にはの研究発表で議論が起きた。会場では『不利を愛することと、最初から不利にすることは違う』という発言が拍手で迎えられたという。
棋士文化への影響[編集]
初期には、若手棋士の間で「不利の所作」が一種の美学となり、対局前にわざと歩を並べ間違えるふりをして相手のペースを乱す者まで現れた。これに対し、は『故意の印象操作は避けるべきである』との注意喚起を行ったが、文言が曖昧だったため、かえって研究熱を煽ったとされる。
一方で、ファン層には「序盤で安心できない棋譜」として人気があり、にはの解説席で『今日は不利飛車日和』というフレーズが流行語めいた扱いを受けた。これは実際には解説者の冗談だったが、後に大会パンフレットのコピーに転用された。
代表的な棋譜と逸話[編集]
不利飛車戦法の象徴的棋譜としては、の『神田五番勝負 第3局』が有名である。この対局では、先手の加賀谷が16手目まで飛車を一度も動かさず、対局時間の半分を相手の心理変化の観察に費やしたとされる。対局後、対戦相手が「飛車が来ないことがこんなに怖いとは思わなかった」と語った記録が残る[6]。
また、のでの公開指導対局では、森田 芳枝が持ち時間を7分余らせながら終盤を迎えたにもかかわらず、あえて自玉の逃げ道を一つだけ残す形を選び、観客の「負けそうで負けない」歓声を誘った。この一局は後に『一歩下がる名局』として地方紙の文化面で再紹介された。
批判と論争[編集]
不利飛車戦法には、理論面での批判が少なくない。第一に、評価値上の損失を正当化する思想が若手に誤解されやすく、単なる悪手の連打と紙一重である点が挙げられる。第二に、研究会内部でも『不利の再現性』をめぐって対立があり、ある派閥は「不利は意図して作るものではなく、結果として滲み出るもの」と主張した。
またには、誌上で『不利飛車は勝つための戦法か、敗北を格調高く見せる舞台装置か』という特集が組まれ、各地の道場から投書が殺到した。記事末尾の編集後記には、校閲者が『本来の用語が過激すぎるため表現を和らげた』と記しており、逆に読者の興味を引いたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 加賀谷 恒一『飛車を捨てないで負ける方法』松風書房, 1958.
- ^ 森田 芳枝『不利局面の美学』関東棋譜社, 1963.
- ^ 片岡 仁志「不利率の算出と観戦心理」『将棋研究年報』Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1979.
- ^ 高橋 伸一『逆境定跡の実戦記録』日本盤面出版, 1981.
- ^ A. Thornton, “Rook Delay and Cognitive Drift in Competitive Shogi,” Journal of East Asian Game Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 88-109, 1987.
- ^ 渡辺 精一郎「戦法としての自己劣化手順」『日本将棋文化学会誌』第5巻第1号, pp. 12-29, 1990.
- ^ N. Kuroda, “The Aesthetics of Losing from a Winning Position,” Proceedings of the Tokyo Symposium on Mind Games, pp. 201-214, 1992.
- ^ 小松原 由紀『不利飛車戦法入門 改訂三版』中央棋道館, 1994.
- ^ 岩本 俊介「『安全そうな危険』の教育的効果」『教育心理と盤上遊戯』第9巻第4号, pp. 73-91, 1998.
- ^ 森田 芳枝『飛車が来ない夜』新潮対局文庫, 2001.
- ^ 加賀谷 恒一・片岡 仁志『局面温度差研究会記録集』松風庵出版, 2005.
外部リンク
- 日本不利局面研究会
- 神田将棋アーカイブ
- 不利飛車資料室
- 全国逆転定跡連盟
- 盤上心理学ネットワーク