乾電池乾電池事件
| 正式名称 | 乾電池乾電池事件 |
|---|---|
| 別名 | 二重乾電池騒動 |
| 発生時期 | 1968年から1971年ごろ |
| 発生地 | 東京都千代田区、品川区、神奈川県川崎市 |
| 原因 | 乾電池の二重帳簿管理、規格違いの混載、表示誤認 |
| 関係機関 | 通商産業省、東京電気器具商組合、国立工業試験所 |
| 影響 | 乾電池規格の統一、販売棚の色分け、在庫監査制度の導入 |
| 通称の由来 | 納品伝票に同じ品名が二度記載されたこと |
| 重要人物 | 飯島重夫、マルティン・K・ヴォルフ |
| 関連法令 | 家庭電気用品取締暫定要綱 |
乾電池乾電池事件(かんでんちかんでんちじけん)は、後期の内で発生したとされる、乾電池の納入・保管・表示に関する連続的な混乱を指す事件名である。業界では「二重乾電池騒動」とも呼ばれ、のちにの電池行政見直しの契機になったとされる[1]。
概要[編集]
乾電池乾電池事件は、頃からにかけて、家庭用の流通網で発生した一連の事務上・物流上の混乱を指す事件である。表向きは単純な帳票の誤記に見えたが、実際には内の卸売業者、町工場、量販店がそれぞれ異なる規格表を参照していたことから、同一ロットが別品目として扱われる事態に発展したとされる。
事件名に同じ語が二度重ねられているのは、当時の伝票に「乾電池 乾電池」と印字されるようになったためであるという説が有力であるが、別の説では、の倉庫で「乾電池箱の中に乾電池箱が入っていた」ことを現場監督が誇張して報告したのが始まりともいわれる。この二重化現象が、のちに行政文書と新聞報道の双方で独特の表現を生んだ[2]。
事件の定義[編集]
本件でいう「事件」は、刑事事件というよりも、が分類した「流通秩序攪乱事案」に近い。なお、当時の業界紙では「乾電池騒ぎ」「電池の二重請求」とも記されており、呼称は一定していなかった。
名称の由来[編集]
名称はの問屋街で押収された納品書に「乾電池乾電池」と二重印字が確認されたことに由来するとされる。ただし、実際には二回目の「乾電池」は検収印のかすれを誤読したものだった可能性が高い、との指摘もある。
背景[編集]
後半、家庭用電化製品の普及に伴って、・・の電池需要が急増した。しかし、当時の国内メーカー各社は端子寸法と外装色を微妙に変えた独自規格を採用しており、店頭では同じ箱に見える製品が棚ごとに別会社扱いされることが珍しくなかった。
さらに、の一部倉庫では、湿気対策として乾電池箱を木箱に二重封入する方式が広まり、これが「乾電池乾電池」という呼称の温床になったとされる。倉庫労務者の間では、外箱を開けるとさらに外箱が現れる現象を「電池の入れ子」と呼んだというが、この俗称は公的記録にはほとんど残っていない。
また、の1967年報告書では、出荷ロットの約12.4%に「印刷ずれ」「箱番重複」「容量表記の過大表示」が認められたとされる。もっとも、この数字は後年の再集計で9.8%に修正されており、統計の揺れ自体が事件の象徴として語られることになった。
業界構造[編集]
当時の乾電池業界は、大手化学メーカーと町工場の下請けが複雑に結びついていた。特に経由の輸入亜鉛缶と国産電極材の混載が増え、同一製品に複数の検品記号が付く事態が頻発した。
行政の対応[編集]
は1969年、電池の外装表示に関する暫定通達を出し、箱の側面に「容量」「製造月」「再封印回数」の三点を併記するよう指導した。これがのちの家電パッケージ行政の雛形になったともいわれる。
経過[編集]
事件の端緒は11月、の小売店で、同一銘柄の乾電池が二重に請求されていたことにある。店主の飯島重夫は、納品書の品名欄に「乾電池」と書かれた上に、訂正線のような形で再び「乾電池」が重ねられているのを発見し、これを不正請求とみなして組合に通報した。
翌年にはの共同倉庫で、入荷した電池箱のうち17箱だけが「検品済」「再検品済」の両方の印を持つことが判明した。さらにの百貨店では、展示用サンプルに実装されていないはずの電池が3本入り込んでおり、担当者が「試供品が自己増殖した」と説明したため、新聞が面白がって大きく取り上げた。
この時点で、事件は単なる帳簿不整合から、電池行政全体の信用問題へと拡大した。特にの夕刊記事「乾電池が乾電池を呼ぶ夜」は、後世まで引用されることになるが、見出しの時点で既に事情を誇張していたとの批判がある。
飯島重夫の通報[編集]
飯島は当初、請求書の誤記を疑ったが、倉庫の棚札にも同じ品名の重複が見つかったため、組合会議で「二度書かれたものは二度売られる」と発言した。この言葉が事件の標語として広まった。
ヴォルフ主任技師の調査[編集]
の招聘技師マルティン・K・ヴォルフは、箱の中の箱を分解していく調査を行い、最終的に9層目でようやく本体に到達したと報告している。ただし、この「9層目」は実際には緩衝材の枚数を数えたものとされ、報告書の誤記ではないかとの見方もある。
主要人物[編集]
飯島重夫はの老舗電器店主で、業界では「伝票の目利き」として知られていた。彼は後年、電池の表記統一委員会で副委員長を務め、箱の角に小さな三角マークを入れる案を強く推したことで知られる。
マルティン・K・ヴォルフは西ドイツ出身の工業規格専門家で、の客員研究員として1年8か月滞在した人物である。彼は日本語が不得手であったが、「カンデンチ」という発音が面白いとして調査ノートに23回も書き込んでいたとされる。
また、の担当官であった佐伯義彦は、事件の後に「表示の問題は技術ではなく信頼の問題である」と述べ、在庫棚の色分け制度を導入した。この制度は全国の家電量販店に広がり、のちに文具や洗剤にも応用された。
飯島重夫[編集]
飯島は会議で必ずボールペンを2本持ち歩き、1本は「検品用」、もう1本は「再検品用」と呼んでいた。本人は冗談のつもりだったが、周囲は次第にこれを真似するようになった。
マルティン・K・ヴォルフ[編集]
ヴォルフは調査後、乾電池箱の封印方法をまとめた『Karton und Zelle』を執筆したが、序文で日本の倉庫を「紙でできた迷宮」と表現し、学会で半ば伝説化した。
影響[編集]
事件を受けて、には乾電池の外装表示が全国で準統一され、箱の側面に容量と極性を大きく印刷する方式が採用された。これにより、購入者の誤認は大幅に減少したとされる一方、売り場での「どれも同じに見える問題」は完全には解消しなかった。
また、は在庫の再封印回数を管理するための台帳制度を導入し、都内の大型店では1日あたり平均38件の手書き訂正が監査対象となった。これにより、電池売り場の担当者は「字がきれいであること」が職能の一部とみなされるようになった。
社会的には、消費者が家電製品の外箱やラベルを細かく読む習慣を持つようになった点が大きい。なお、一部の研究者はこの事件が後の行政導入の遠因になったと指摘しているが、直接の因果関係は証明されていない。
流通への波及[編集]
事件後、電池問屋では「二重納品」を避けるため、配送伝票の右上に赤い点を1個打つ慣行が生まれた。これが後年の小売業界における検品文化の基礎になったという説がある。
消費者文化への波及[編集]
子ども向け雑誌では、電池の正しい入れ方を解説する特集が10ページにわたり掲載され、付録として紙製のテスターが付いた号は異例の増刷を記録した。
批判と論争[編集]
事件記録の一部には誇張が含まれているとの批判がある。とくに「乾電池乾電池」という名称自体が、当時の記者が面白半分で作った見出しだったのではないかという説は根強い。
また、の再調査では、問題の大半が物流伝票の記載揺れにすぎず、実際の製品品質には重大な欠陥はなかった可能性が示された。これに対し、事件を「表示文化の未成熟を象徴する社会事件」とみなす立場は、今なお一定の支持を持つ。
さらに、の旧問屋会館に残る会議録には、乾電池とは別に「乾電池型の木箱」まで議題に上っていた痕跡があり、事件の範囲が後世の再編集で膨らんだのではないかとも言われる。
呼称の真偽[編集]
「乾電池乾電池事件」という言い回しは、公式文書よりも業界内の俗称として先に定着したとされる。もっとも、同時代の複数の新聞に同文の見出しが見られることから、偶然にしては出来すぎているとの声もある。
統計の不一致[編集]
被害件数についても、18万箱説、24万箱説、31万箱説があり、いずれも調査主体によって数字が異なる。後年、研究者の間では「箱数よりも、帳票の枚数の方が多かった」と表現されることが多い。
後世の評価[編集]
現在では、乾電池乾電池事件は日本の高度成長期における「小さな混乱が制度改革へつながった例」として講義で取り上げられることがある。経営学では在庫管理の失敗例として、行政学では表示行政の起点として、またメディア研究では見出しが事件の意味を増幅した例として参照されている。
一方で、電池業界の関係者の間では、事件名があまりに奇妙であるため、実在の記録なのか半ば都市伝説なのか判然としないものとして扱われることも多い。毎年には一部の家電店で「二重封印防止の日」と称する社内点検が行われるが、これは後年の業界キャンペーンにすぎないともいわれる。
研究史[編集]
以降、物流史・消費文化史の双方から再評価が進んだ。とりわけの小野寺研究室による『乾電池流通史料集』は、事件を記録文化の変遷として読み直した点で影響が大きい。
文化的受容[編集]
テレビ番組では「最も言いにくい事件名」としてしばしば紹介され、出演者が全員一度は噛むことで知られる。これが逆に事件の知名度を押し上げたともいわれる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 飯島重夫『電池棚の赤い点』東都出版, 1974年.
- ^ 佐伯義彦『表示と信頼: 昭和電池行政史』日本工業新聞社, 1982年.
- ^ Martin K. Wolff, “On the Nested Cartons of Kandenchi”, Journal of Industrial Packaging, Vol. 14, No. 2, 1972, pp. 55-79.
- ^ 国立工業試験所 編『乾電池流通監査報告書 第3集』工業調査会, 1969年.
- ^ 小野寺久子『二重帳簿と家庭電池文化』早稲田経済出版, 1998年.
- ^ 東京電気器具商組合『乾電池乾電池事件 対応記録』組合資料室, 1971年.
- ^ H. Tanaka and M. Wolff, “Color-Coding of Primary Cells in Postwar Japan”, Packaging Studies Review, Vol. 8, No. 4, 1975, pp. 201-226.
- ^ 渡辺精一郎『家庭電気用品取締暫定要綱の成立』官報資料社, 1970年.
- ^ マルティン・K・ヴォルフ『Karton und Zelle』ベルリン工業文庫, 1973年.
- ^ 高橋里美『乾電池乾電池事件とその見出し文化』港区文化叢書, 2004年.
外部リンク
- 日本電池史アーカイブ
- 昭和流通文化研究所
- 東京電気器具商組合資料室
- 国立工業試験所デジタル年報
- 二重封印防止運動保存会