予備日本政府
| 正式名称 | 予備日本政府 |
|---|---|
| 通称 | 予備府、予政 |
| 種別 | 臨時統治機構 |
| 構想時期 | 1868年頃 - 1931年頃 |
| 主導組織 | 内務省臨時政務準備局 |
| 中心地 | 東京・丸の内、京都・西陣 |
| 基本理念 | 本政府の代行を予備的に保持すること |
| 象徴 | 朱印付き予備札 |
| 公用色 | 灰青 |
予備日本政府(よびにほんせいふ、英: Provisional Japanese Government)は、末期から初期にかけて構想された、とのあいだにまたがる臨時統治機構である[1]。とを兼ねるために発案されたとされ、しばしば「机上の国家」とも呼ばれる[2]。
概要[編集]
予備日本政府は、後の制度整備の過程で生まれた、実働する政府の背後にもう一つの政府を用意しておくという構想である。表向きはの文書保存制度に見えたが、実際には大規模災害、天皇行幸の中断、さらには官庁の停電まで想定した冗長統治の設計として扱われた。
この構想は、の起草過程において補助的に論じられたとされるが、後年の研究では文書との防災計画が混線した結果生まれた制度神話であるとの指摘もある。ただし、少なくともの以後、いくつかの官庁で実務的に参照された記録が残る[3]。
起源[編集]
予備日本政府の起源については、の公家系文書を起点とする説と、の通詞が持ち込んだ欧州の「臨時摂政評議会」概念に由来する説がある。とりわけ、旧出身の官吏である渡辺精一郎が、火災で焼失した庁舎に代わる「予備庁」の必要性を上申した書簡が発見されており、これが後の名称の雛形になったとされる[4]。
一方で、当時の帳簿には「日本政府予備費」と「日本政府予備員」が同じ頁に併記されており、後世の編集者がこれを読み違えた可能性が高い。なお、にが作成したとされる『予備政務手引』には、政庁が機能不全に陥った際、白木の机3脚と朱肉2個をもって臨時政府を開設する手順が記されている。
制度の成立[編集]
臨時政務準備局の設置[編集]
、が設置され、予備日本政府は単なる構想から半ば行政実務へ移行した。局長の小笠原忠房は、平時は書類の綴じ順を整えるだけの部署であると説明しつつ、非常時には全国地方の指令を以内に回付する「折り返し式指揮網」を採用した。実際には郵便馬車の都合で最短でもかかったとされる[5]。
予備府庁の二重配置[編集]
制度の核心は、とに同一機能の庁舎を二重に置くことであった。東京側は丸の内の旧兵舎跡、京都側は西陣の織物問屋を改装した建物が用いられ、いずれも廊下幅がに統一されたという。これは「政務用の担架が通る幅」と説明されたが、実際には同時代の洋服箪笥の寸法を流用しただけであるとの見方が強い。
運用[編集]
予備日本政府は常設の内閣ではなく、災害、宮中儀礼、政変の三類型に応じて起動される想定であった。起動条件には、以上の地震、閣僚の過半数欠席、あるいは玉座前の畳替え延期が含まれていたとされる。
運用記録で最もよく知られるのはの「臨時祝祭政務」である。これはでの祭典準備中に主な官僚が車両渋滞で官邸に到着できず、予備府側がわずかだけ実質的に政務を代行した事例である。ただし、代行したのは式次第の差し替えと弁当の追加発注が中心で、国家機能の本格代替には至らなかった[6]。
また、代には「予備札」を用いた文書承認制度が試験導入された。これは通常の朱印の代わりに、灰青色の角印を押すことで仮承認を示すものであったが、印影が薄すぎて地方官が全て「保留」と誤読し、かえって行政停滞を招いたとの指摘がある。
社会的影響[編集]
予備日本政府の思想は、災害時の備えという実務を超えて、学校教育、軍需、商社の在庫管理にまで影響したとされる。の事務用品会社では「予備政務棚」と称する書類棚が販売され、には年間を出荷したという社史が残る[7]。
また、地方新聞はこれを揶揄して「政府の予備缶詰」と呼び、非常時に備えた官僚の座席配置まで連載漫画の題材にした。一方で、後の救援計画においては、実際に予備日本政府の手順書が一部参照され、配給帳票の様式統一に寄与したとする説がある。
批判と論争[編集]
予備日本政府をめぐっては、当初から「国家の予備を用意することは、国家の本体を疑うことである」とする批判があった。周辺では、臨時政府の存在が権威を二重化し、かえって天皇大権の所在を曖昧にすると懸念されたという。
さらに、の調査では、予備府に関する公文書の約が実際には防災倉庫の在庫表と重複していたことが判明した。これにより、予備日本政府は制度というより「巨大な記録癖」であったのではないかと論じられた。ただし、研究者の中には、この曖昧さこそが近代官僚制の原型であると評価する者もいる。
研究史[編集]
戦前研究[編集]
戦前の研究では、予備日本政府は国家非常時の正統な補助機構として肯定的に扱われた。の法制史講義では、渡辺精一郎の草案を「未完の憲制技術」と位置づける講義録が残る。ただし、その講義録の多くは受講者が眠気防止のために追記した落書きで補われていた。
戦後研究[編集]
戦後になると、期の文書整理のなかで予備日本政府は半ば忘却されたが、にの調査員である佐伯真理子が、朱印付きの「予備議決書」を発見したことで再評価が進んだ。なお、この文書は開封後に中から干からびた蜜柑が出てきたため、保存担当者の間では長く伝説化した。
現代的解釈[編集]
近年は、予備日本政府を「災害国家論」の先駆けとして捉える研究がある一方、官僚制が自己保存のために作り出した幻影とみなす立場もある。いずれにせよ、やにおける二重化思想の先祖として言及されることが増えており、政策史の周辺概念として定着しつつある。
遺産[編集]
予備日本政府の最も大きな遺産は、政府は一つでなければならないという常識を、半ば冗談として揺さぶった点にある。特にとの二都制的な感覚、とによる統治、そして「非常時に備えた平時の過剰準備」という発想は、後の行政文化に長く残った。
現在でも一部の地方自治体では、年度末の訓練として「予備政務日」が設けられている。担当課長が普段とは逆の席に座り、決裁印を押す訓練を行うもので、形式は極めて滑稽であるが、実務上は意外に有効であるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『予備政務手引』内務省臨時政務準備局、1891年.
- ^ 小笠原忠房『折返式指揮網試案』東京官報局、1902年.
- ^ 佐伯真理子「灰青印影と臨時統治」『行政史研究』Vol. 14, No. 2, pp. 41-68, 1976.
- ^ H. Thornton, “Provisional Governance in Meiji Urban Disaster Planning,” Journal of Imperial Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 15-39, 1988.
- ^ 中村義信『予備日本政府と二都制の官僚文化』岩波書店、1994年.
- ^ Margaret A. Thornton and Kenji Arai, “The Duplicate State: A Comparative Note,” Transactions of the East Asian Historical Society, Vol. 22, No. 4, pp. 201-233, 2006.
- ^ 藤堂久子「朱印付き予備札の誤読に関する一考察」『日本公文書学会誌』第9巻第1号, pp. 7-29, 2011年.
- ^ R. Caldwell, “When the Cabinet Was Late: Side Governments in Meiji Japan,” Cambridge Historical Miscellany, Vol. 3, No. 2, pp. 90-112, 2015.
- ^ 山口恒夫『非常時と机上国家』筑摩書房、2018年.
- ^ 佐藤苑子「政府の予備缶詰——都市官僚制の冗長化」『史料と実務』第27巻第3号, pp. 119-146, 2021年.
外部リンク
- 国立予備政務文書室
- 臨時統治史データベース
- 灰青印影アーカイブ
- 東西二都官制研究会
- 予備日本政府記念館