二審ニシン
| 領域 | 水産取引・商慣行・司法的比喩 |
|---|---|
| 成立の場 | 北部の港町(とされる) |
| 評価の段階 | 一次鑑定→二審鑑定(再格付) |
| 関係主体 | 仲買人、荷受組合、鑑定員 |
| 象徴性 | “やり直しが勝負”という慣用句 |
| 関連語 | 一審サバ、差戻し鮭、延審イカ |
(にしん)は、二段階の評価手続きを経て“同じ個体”が別の価値を持つとする、まことしやかな水産審査慣行として語られることがある[1]。主に沿岸の仲買制度に結びつけて語られるが、その実体は地域ごとに異なるとされている[1]。
概要[編集]
は、取引に先立って行われる鑑定(一次)とは別に、さらにもう一度“値が動く”仕組みとして語られる名称である[1]。同じ荷(同じ箱、同じタグ番号)が、二審の結果によって「同一品でありながら別の等級」として扱われる点が特徴とされる[1]。
この名称は水産物それ自体の学術的分類ではなく、むしろ「評価の再裁定」をめぐる比喩として定着したとされる[2]。たとえば、港の食堂で判子の押され方がやけに慎重なとき、「あれは二審ニシンだ」と言い換えた例が記録されている[2]。一方で、実際に二審が制度として存在したかどうかには地域差が大きいとされ、後述のように架空の裁定機構を含む説明も見られる[3]。
語源については複数説があり、「荷受組合の内部規約が“二審”と呼ばれたため水産名が転用された」とする説がある[3]。また別の資料では、裁判手続の比喩が先に広まり、後から水産商が自社の“再鑑定”をそれに合わせて呼んだとされる[4]。どちらの流れであっても、“再評価で運命が変わる”という社会心理だけは共通しているとされる[4]。
成立と展開[編集]
北海荷揚げ台帳の「二つの印」[編集]
二審ニシンが生まれた経緯として、(当時の帳簿表記では「小樽湊」)における荷揚げ台帳の運用が引かれることがある[5]。ある年、荷受の印が一次鑑定分と二次調整分で物理的に別位置へ押されるようになり、鑑定員が「印の位置だけは絶対に変えるな」と通達したとされる[5]。
伝承によれば、印の位置は“手首の動きの癖”を統一する目的で、月ごとに微調整されたという[6]。実際の通達番号まで残っているとされ、「昭和」33年に改訂された「湊式再鑑定判押要領 第7条」が二審ニシンの原型だったと説明される[6]。この要領では、等級に影響しないはずの補助情報(入港時刻、氷の粒度、梱包紐の結び目の型)が、二審時にだけ点検対象へ回されるとされる[6]。
さらに、二審で扱うのは“ニシン”に限られたわけではなく、一次の鑑定に納得がいかなかった荷が「再審判定室(通称:二審)」へ回される運用だったという[7]。ただし、再審で値が一番動いたのがニシンだったため、やがて再審の代名詞としてニシンが残った、と整理されることが多い[7]。
「等級は同じ、値段だけ違う」心理技術[編集]
二審ニシンが社会に与えた影響として最も語られるのは、等級の固定性を守りつつ、価格の揺れを“制度の中で正当化”した点である[2]。仲買人たちは「等級は同一だが、評価の再裁定により取引値が変わる」と説明できるようになり、売り手の納得と買い手の期待を同時に確保しようとしたとされる[2]。
この心理技術は、の仲買会館で行われた「十五分講習会」へまで遡って語られることがある[8]。講習では、再鑑定時に必ず使う“合図の言葉”が決められたという。たとえば「二審ニシン、了解であります」という短い決まり文句を、鑑定員が一度だけ復唱する手順があったとされる[8]。
また、講習に参加した若手鑑定員の手元には、二審で参照するチェック項目が「合計23項目」として配られたとされる[9]。項目には、温度計の目盛確認、氷の種類(海氷/河氷として分類されたという伝承)、梱包紐の結び方向、さらに“箱の角の当たり”の有無まで含まれていたとされる[9]。ただし、これがどの文書に基づくかについては要出典の札がつきそうな記述も見られる[9]。
二審ニシンの手続(とされるもの)[編集]
二審ニシンは、少なくとも次のような“手順”として語られることが多い。まず一次鑑定員が等級を暫定し、荷札に「一次印」を付与する[10]。この時点では値段に反映しないことが多いとされ、買い手は「明日、二審がある」と聞かされるだけで待つことになる[10]。
次に、荷札と紐札が照合され、二審鑑定員が「二審印」を押すとされる[11]。この際、ニシンの状態そのものよりも、梱包や搬送に関わる“経路情報”が再確認されるという説明がある[11]。とりわけ、の倉庫経由で来た荷は、倉庫番号(倉庫1号から倉庫9号までの9区分とされる)ごとに再点検が必要とされた、と語られることがある[12]。
最後に二審結果が確定し、「同一品だが扱いが変わる」という形式で価格が調整されるとされる[3]。この“形式”が比喩として強く残り、のちには裁判の比喩としても流通したとされる[3]。その結果、実際の漁業慣行と切り離され、二審ニシンという言い回しだけが独り歩きした、と推定されている[13]。
具体例(現場での「事件」)[編集]
二審ニシンには、現場での小さな事件が“伝説化”した具体例がいくつか付随する。最初に語られるのはで起きた「氷粒違反」事件である[14]。伝承では、二審鑑定員が氷の粒サイズを爪で確認し、規格を超えていたとして二審印を保留にしたという[14]。その結果、同じニシンが等級の等しさを保ったまま、取引値だけが一晩で3.2%下がったと記録されている[14]。
次に取り上げられるのがの「タグ番号の二重読み」事件である[15]。荷札にはタグ番号があるが、二審では“印字のかすれ”を読み直すというこだわりがあったとされる[15]。ここで鑑定員が番号を1桁誤読しそうになり、同僚が制止するためにわざわざ「二審ニシン!」と叫んだところ、取引が遅れ、結局その日の成約率が「当初予定の76件から61件へ」落ちたとされる[15]。
さらに「二審ニシンは政治を呼ぶ」という逸話もある。これは、の仲買組合が二審手続の情報公開を求める署名運動を始めた際、署名用紙に“ニシンの絵”が描かれていたため、新聞が比喩として取り上げた、という筋書きである[16]。その記事により、制度の核心が一般化され、「二審ニシン=再審の権利」として市民の会話に侵入したとされる[16]。
批判と論争[編集]
批判としては、二審ニシンが“同一品の別評価”を許すため、透明性を欠くのではないかという指摘が挙げられる[17]。特に、二審印がいつ誰の判断で押されたかが追跡不能になる局面があり、「結局、相場の気分が制度を借りただけではないか」とする論調が現れたとされる[17]。
一方で擁護側は、二審は恣意ではなく経路情報の点検であり、等級そのものの論理を守るために存在すると主張したとされる[2]。また、二審で扱われるとされるチェック項目が多い点(先述の「合計23項目」)が根拠として挙げられたとされる[9]。ただし、その23項目の実在性については裏取りが難しいとして、学術的には慎重な態度がとられることがある[9]。
なお、この慣行が司法手続の比喩として広まった過程で、説明の整合性が崩れることも指摘されている[3]。ある評論では「二審ニシンは裁判よりも先に始まった」と主張されるが、別の資料では「裁判の比喩が先で水産語は後付け」とされており、どちらが先だったかは決着していないとされる[3][4]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『北海荷揚げ慣行の記号学』港湾調査会, 1961.
- ^ Margaret A. Thornton『Market Reassessment and Coastal Folklore』Oxford Seabridge Press, 1978.
- ^ 佐藤光太郎「二審印の運用と価格変動」『北海道商事研究』第12巻第3号, pp. 41-58, 1973.
- ^ 田中ハルオ『等級は同じ、価格だけ違う——再審の経済史』法政水産出版, 1984.
- ^ Klaus Mertens『Second-Instance Value in Commodity Trades』Vol. 5, No. 2, pp. 99-121, 1991.
- ^ 小林正矩「梱包紐の結び方向と鑑定者の統制」『港町技術報告』第7巻第1号, pp. 12-27, 1959.
- ^ 高橋洋介『倉庫番号文化圏の形成』札幌文庫, 2002.
- ^ William J. Ransom『Procedural Metaphors in Everyday Commerce』Cambridge Maritime Review, 2010.
- ^ 松井和則『北海の判子文化——要領・判押・再鑑定』内海印刷, 1997.
- ^ ネルソン・クラウス『再審の権利と神話化された手続』第3版, pp. 3-18, 1971.
外部リンク
- 二審ニシン資料館(架空)
- 北海相場語彙データベース(架空)
- 二審印運用アーカイブ(架空)
- 港町判押研究フォーラム(架空)
- 小樽湊台帳の復元プロジェクト(架空)